肉体は物体 素粒子群の集積体 MATTER モノ いろんな表現がある、モノはモノ
肉体は物体 素粒子群の集積体 MATTER モノ いろんな表現がある、モノはモノ
人の肉体の構成要素は
炭素
水素
酸素
窒素
硫黄
とかさ
地球と同じ
構成している要素は
同じ資源
無数の要素の組み合わせの結果が
一人
一人の
存在を形成してくれてある
肉体と存在そのもの
目には見えないから
霊といっている
肉と霊
それでいいじゃね
あまり
その点を追及しても
生きる事は
支障を抱えてしまうかもしれね
存在を抹消はできない
なぜって
自分で存在を
創生した訳ではないもの
そもそも
出会いは
精子
卵子
それは
父の肉体で内部で形成されて排出された精子群の一個と
母の肉体で内部で形成されて排出されて卵子群の一個の
出会いは
女性
その母の
胎内です
婚姻があり
確実に結婚し
相互作用の結果の
子
子は
意図して
授かるものではない
必ず
授けられたとは成りません
水子とかいいますけど
受胎し
途中で
流れてしまう子もある
し
生まれては直ぐに
肉体から
生命の生は
その小さな肉体から
過ぎ去ってしまう事例も無数にある
母も
父も
悲しみは内在したまんま
自身の死を迎える時を待つ
@@@@
神はいいます
人よ
わたしがあなたの存在を無から
生産
したのだよと
それは
どうかね
存在して
わたしと永遠に
いたいですか
と
この世界を
観察して
御覧と
推察
察して
何を知る事が
最も
賢明か
それは
父の意向そのものが
一体
なんだというのか
と云う事です
子
父の一人子は
その言
その意向
そのものだと
そうして
LOGOS
と
IYAPHUANE
は
悟りまして
気が付かされるのです
神の7つの贈り物は
聖なる
奉献されている
天主
二方の意向そのものです
霊
だから
サンクトスピリトス
生
いきてあるもの
LIVE
VIVE
VIO
LIFE
LIPHUE
神は事を白く
息を吹いたそれこそ生命の生なのです
と云う事
神とは
申します
示す方の事をいっている
では何を
事申すのりたまふるか
のり
たまふる
清玉
生玉
慈愛
いつくしみの滋養ですね
永久にわたる
滋養の無限無量
つまり
寿命と光といっている
これを
生
おがる
暗い
土から
種子
たねこ
の
一粒が
水を吸って
そして
二つに殻は
割けます
割れて
新芽
若芽が
おがる
のです
丘る
おかつる
根っこも
吹きだす
地下に
天に向けて
双葉は
開くのです
こうして
小さな
辛子の種子のよりも
小さい
人の
たねこ
玉子
がある
卵子
と精子
結合した
受精卵です
0.1mm
ですから
目に見えるかな
そして
そこから
その人
UNIQUE
その人しかいないのですよ
滋養ある養分を提供されているのは
底の胎盤に根っこのように
形成されるから
です
母の胎内に
子の庵室
正に
その子の住まう御屋家 宮となる
みやけ
小箱
瓢箪のようになっている
子の住まいは
羊水
といいますけども
管で
母とつながっている
そもそも
人自体は
管
TUBE
の構造なのですし
細胞も
丸く形成しているが
一つのTUBE
包こみの形状である
展開できますね
形式では
物理としては
箱のような
計上
cellといっている英語では
それは
更に
筒を形成して
多くの筒が
あつまりまして
あつめられて
人は形成されていますね
植物もそうだし
動物の要素と
植物の要素が
人は統合化されうまく配置されて素晴らしい造形があること
これも
人自身の総意でもないし
企図でも
意図でも
意向でもない
人がなぜ
手足首頭
などあるのか
胴体と
骨と
血管と
臓器の多種と
頭脳神経系SYSTEMの
予め
誰か
設計でもしたのでしょうか
という疑問は
あって当然なのです
ただあるんだし
そんな愚問題なんだと
しても
それでも
疑問はあるのです
それを拒否しようが
受け入れようが
一切
関係しない
命題は
命題
Themeではあるから
人の認知とは
完全に切り離す事こそ
知恵
なのです
賢明の処置です
理知とはそう云う事
感情も
気分も
あって当然
同時に
それは
無視しなくていいし
そうだというだけ
受け止める事を
厳正に荘厳にしているだけでいい
そして
問題を
探求する事は
御徳なのです
メリット
何を知らないでいる事よりも
御徳
それは
父の意向を知りたいからです
なぜと
天主とか
漢字
中国では
翻訳したのです
マテオ・リッチさんもいたしね
マタイですよね
マタイは
マシュー
マテオ
もうね
その人のコトバで
発音が
変化するので
そこで
拘ると
おかしくなる
イエシュア・Nazarethから
コーリングされて
はい
と
いって
イエシュアの後をついていった人の一人
ガリラヤのユダヤ人です
南の
ユダの地方の人では無い
中間には
サマリアがある
北部と
南部に
分断した
イスラエルは
民族としての
統合化はできないまま
みんな
バラバラになったのですよ
それは
人の王が
王としていたからです
どこまでも
他の民族のように
人の王を欲しがるのが
あの時のユダヤ人
イブリールたちだったので
神は
ね
何度も確認する
人の王で国は亡ぶぞ
と
それでもいいのか
あなたがたの王は
このわたしではないか
!!!
と
何度も確認して
それでも
どこまでも意固地であって
人の王を欲しいと
それで
父と子と聖霊は許可した
三方は既に
登場し
訪問神である
エイブラムとサライに
イサク
笑った
という意味だ
99歳のエイブラム
89歳のサライだ
子など出来るはずないが
と
笑う
なにをいっている
神にできないことはない
必要な事を神はしますという意味ですからね
なんでも人の希望を叶えます神
便利道具では無いのです
そこのなんでもできる
の意味を
詳しく
検分し
しることだ
ころしてはならないと
殺害を
禁止している事を知る事です
そこで
他の神々は殺せと
命令しているのですから
その問題は
一体何か
人々の中で
父の意向に反対し
殺人した者は
処刑されます
その身代わりに
祭司が
奉納されています
それこそ
レビ
神に自己奉献している者だから
支族として
ヤコブ
IYAKOPHUE
の
子の
一人でしたがね
次第に
父の意向が鮮明になる
その時々の
イブリールと他の諸民族
全ての民です
これは
ユダヤ人にさきにしらせ
父の意向を十二分受け止め
それ自体を自己の喜悦とする事を
希望し
信頼し慈愛を
送っているのです
と云う事でした
それこそ
Nazarethのイエシュア
未だに
ますます
酷くなって
ローマの神々とか
PHOENICIAの神々とか
ギリシアの神々など
エジプトの神々など
あらゆる地域の
神々を礼拝しまくるのは
なんと
ソロモン
SOLOME
平安の主君でした
かれは
千の神々を礼拝し
しかも
妻の千人
どんどん
子を授かる
その初子を
男子を
モレクに奉納し
焼いて
香を届けるなどした
それは
父は
やめなさいと
なんども
クレームしたが
とうとう
彼は
自分で国を分断したのです
そして
細分されて
大きな国の威丈者から
呑み込まれて
噛み砕かれてしまう
イスラエルよ
と
ああ
あなたは
なんと愚かな事を選択してしまったのか
白く光
羊毛を
知れと
あのヘルモン山の
峯は白き雪の頂きの光線をみよ
青き空の
かなたの上を知れ
と
カルメル
居住まい
イサベルもいた
彼女も
魔術を屈指し
自分の地位を保持する事しか
頭脳に無いのですし
王権を
奪取すると
権勢を誇るこそ
それは既に滅びの予兆
見えているの
です
その人自身が
SYMBOLで
印だという事なのですから
証拠品
滅びの
それを父は観ていて
なんと思うか
です
この子は
と
そして
慈愛を更に強化するです
あまやし
ではない
底付きを知る事を
観ている
そして
理解を
気が付き
あかりのともる事に
きがついてもらいたい
から
自己を
振舞いを
鑑みてもらうことを
を
用意しているのです
エジプトの王も
そうだ
神は意図して
エジプトの王の心をますます
意固地にしたのです
それで
ユダヤ人は
自由を得た
奴隷状態から
主は一体だれなんだ
と
気が付きを
促す
しかしね
荒野では
苦痛が多いから
おまえはこの私を殺す気か!!!!
なんて
怒鳴るし
アロンも脅した
彼は弱すぎて
直ぐに
その怒声に
おびえてしまう
神の意向をしっていたはずなのに
ね
アロンさんは
83歳ですよ
しかも
レヴィだ
祭司の支族なのに
なぜ
あんな
黄金の仔牛の像を作って
みんなで
バカ騒ぎしたのでしょうね
というのは
レビの中で
脅した者があったからですよね
こわくて
しにたくはないから
モーゼ
弟は80歳
もどってこないし
神の山で
すごしている
40日間
光は無いからね
降りて来ると
モーゼは
レビに怒る
板も悪る
レビ
6000人
二組
一人は短剣で
突き刺すのは
生贄としては
償いの事ですよ
レビだからです
これは聖なる死滅では無い
償えという事だった
それくらいの罪は
無限の大罪であるのは
そもそも鷲の翼で
エジプトから
載せてくれた
葦の海を
渡るので
それは神自身の
意力の御蔭でした
火の柱
雲の柱
箱を途中で形成しましたけども
テントを羊毛で作りますし
12の支族が東西南北と並び
真中に
そのテントを張るので
その中に
至聖所です
東を入り口
西に至聖所なのです
聖なる庭では
生贄を屠る
それは
清い生贄は奉納
汚い生贄は
人の罪や穢れを
当て擦りまして
燃やすとか
荒野に
放置し
悪霊と
共に
追放するのです
と云う事でした
人の心身の浄め
です
穢れをふき取るため
吹く
拭く
あらい
いそそく
雪よりも清くするため
それは
人力では無理だから完全に
完全な者
とは
父のように
完全な者になりなさい
という
命令が言としてある
これは
完璧主義者ではない
完全にゆるします
と
父と共に在る者の
使命だからで
存在自体を
永久に喜悦として
いつくしみを
贈り物として
贈りますと決意しそうする事なのです
マリアとJosephと共にです
マリアは
常に
父と子と聖霊と三位と
一緒にある
受け皿
上智の座する處の者です
汚れない方です
マリアこそ
Nazarethのイエシュアを
身ごもった方
母です
南山堂