GOODNESSはある 亡い 無い 失っている状態かどうか、NONGOODNESS | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

GOODNESSはある 亡い 無い 失っている状態かどうか、NONGOODNESS

『西洋の哲学においてはたいていの場合、身体や欲望、感情などは知から排除されてきたが、東洋の伝統思想の根底には、事柄の真相は知だけでとらえることはできず、むしろ身心全体によってはじめて把握されるという考え方があった。しかも、そのことを単に知るだけでなく、実際に「修行」を通して自分自身のものにすることがめざされてきたと言ってよいであろう。そこに東洋思想の大きな特徴を見いだすことができる。さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りついたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。』

 

以上は以下の記事から参照。

 

この身体はどこからきて、どこへいくのか…日本の哲学者が苦悩した「西洋と東洋の本質的な違い」 (msn.com)

 

 

 

@@@@@

 

ほんとにそうかな

 

疑いますと

御徳だ

 

どこまでも

地道に

検証しますと

意図して

作業に取り組みます

それこそ

御徳ですよ

 

心理と

真理

 

コンフィデ

 

フィイデ

 

事実です

 

簡単だ

いちいちあまりにも

複雑に思考して

道具を沢山用意しても

 

結果をご覧くださいね

 

 

 

何があるの

大切な事は

一体なに

常に疑問を抱いている事

観察は

予見のためです

あらかじめ

先を知りたいなら

観察す

 

物事を

空想で

理論化して

 

そして

数字を媒体にしないで

利用する時は

非常に

厳密な定義を必要とするのです

そこは

不完全な人は

無理ではないかな

 

裁きは無理だ

審判行為は

本来

人は不確実な状態を常に維持するので

無理なのですよ

 

厳密さを追求するのは自由だけどもね

 

でも

そもそも

無理だ

ほどほどにしないと

おかしくなるよ

 

 

 

 

「「「「「

」」」」」

 

 

GOODNESSはあるなら加増するいつまでもどんどん増やす事が出来る増やしたい人は

 

もし

嫌だとすると

GOODNESSは

あるまま

そのまま

です

増える事は無い

その人自身に内部に於いては

という

個別の条件が付く

 

正に

その人だけは

です

 

|1|

 

 

 

であるので

積算

かける

 

かけあわせ

一つを

複数にする手法は

いろいろな

アプローチがある

 

同じ経験は

同時にその場所に居まして

その人の姿を

見ていても

観ていても

 

全く善徳は⓪の人もある

 

 

ある者は

その善徳を

常に

受け止めている

受け皿を既に知っている

 

うつわを

 

汚れない器だから

常に

汚れない

 

あの蓮の葉っぱのように

汚れはつかない

跳ね返すから

構造が

 

 

生物の物体と物質の

複数の

組み合わせは

materialです

MATTER

 

 

 

 

 

その内容によって

構成した

結果が

違います

 

ゆえに

 

決して汚物があるとしても

汚れないから

という状態を

得ているなら

どうでしょうか

 

いう事

 

どんなに

汚い御品物でも

問題は無い

支障もない

 

無理だと

いう者も大勢あるが

 

しかし

 

きたない

おえ

 

と吐き気があっても

 

その本質を

知る事は

重要であり重大なのです

 

そこに

意図するか

 

単純だ

 

御徳を

知っているかどうか

でもある

 

Sophiaとは

その部分

智慧

 

 

知恵

では無いのですから

 

 

 

恵みとは

天主

から

拝領するもの

 

 

すまり

下賜品

 

正に

 

母の鳥が

雛に

口移しで

 

餌を

和かにして

 

与える品物それ

こそ

滋養品

 

 

育成

育み

養うため

であるからです

 

 

その子

弱き

小さな子を

 

そして

 

みな

 

幸福を追求はしている

 

 

 

人だから

 

動物の幸福と

 

人の幸福の

違いがあるかないか

など

議論もある次第であるが

 

 

家畜よりも

 

人を

卑下して

しまう

人も

いますね

 

 

 

複数

 

 

あんな人

 

存在を拒否する方もあるし

 

人というのは

頭脳神経細胞システムのある

ために

そうして

妄想を

自分の本位にしてしまう

認知行動パターンもあるのです

 

その自由は

 

それぞれにある

 

であるので

明確な理由で判断をして出来る

有効な

能力が

どうしても

必要だと

いう事だ

 

それは

合理なのです

 

それを

 

フィロソフィア

 

哲学とは違いである

 

 

 

 

 

希哲学

 

としたのは

あきらかにする

という

意味で

哲学にしているが

 

さて

信念体系にしては

ならないのですよ

 

どこまでも

事実を

どう

認知するか

その基盤を

探求する

作業を

 

哲学といいます

 

Sophiaでは無いのです

 

 

知恵は智慧には成らないから

 

啓示とは

 

人よりも

永久に

善意である

完全な善からの

情報源

です

 

しかも

確実にある品物ですので

 

それは

人の頭脳で開発した御品物では無い

 

御大切な品物は

 

何かと

人自身は

おもい

めぐらすことこそ

賢明

ワイズ

 

徳目の一つ

 

そうして

 

行為するなら

徳を得ると

いうのは

功徳と

いい

メリット

と云っているのです

 

 

善徳の事

 

純粋な善徳です

 

ですから

生命を保持している存在を殺せ!

消せ!

なんて

いう

思いを抱いた者は

 

大罪を

自分につみました

という

証明が

その個人の内実に

誠実にあるのです

 

 

荘厳に

 

シンプルに

酔わないです

何も

 

 

その事は

その個人は理解できる

しかし

とぼける人もあるものだ

 

 

 

それはその方の

たしなみ

 

それです

 

 

どうにもならない

 

その人の

自由自主だから

判断結果は

その私的行為の結果です

 

公になるか

ならないかは

知りません

 

自分で

やる必要があるかもしれない

 

それをしたのは

サウルさん

ベンジャミン族の

金持ち青年でしたね

 

イスラエルの正当な種族の一人

 

 

偉ぶる若者でしたね

 

 

 

南山堂