雄の熊は子の熊を食べてしまう事もあるそうだし、、発情期など、、そんなふうに生態はある
母熊を怒らせたら「停止せずバックで逃げる」 体当たりで車の窓にヒビ! 子育て中のクマの注意点を専門家が解説 (msn.com)
『オスが子熊を食べてしまう場合も5月を過ぎるとクマは発情期に入るが、子熊を食べてしまうオスもいるため、母熊はより神経質になる時期だとパンク町田氏は話す。』
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人も殺すよね
人が人を
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生き物っていうのは
殺意
とかいいますけども
存在自体を
他者を抹消して
自分の物として
呑み込みたいという
欲望は
顕著なんだ
それは
操作する意図そのものだね
IMAGEは
その頭脳神経細胞の連続の内部から
生産して
それが
命令主体だものね
MIND形成しているのも
頭脳神経細胞システムだし
それに
忠実なその存在の
意向は
同意するから
当然だと
そうなるので
呑み込むために
殺す
と云う事をする事が
当然という事なのよね
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自分の生命を維持しなさいと
その頭脳こそ命令してくる
その主人だから
かな
やっぱり
頭脳こそ
恐怖の大王かもしれないね
人は人を呑み込む
生き物は
生き物を呑み込む
そしないと
生きる事の存在のその肉体を
保持できない仕組みだものね
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だからかな
ビーガン
草の実
木の実
だけで
生きる肉体を
保持する人もあるし
殺傷がダメというよりも
なんとも
えげつない
何でも
呑み込みたいという
その意図こそ
恐怖を齎している
何かだろうか
暗黒の雲の中に入り込んだり
大津波も
人々を呑み込むとか
赤い溶岩の噴火も
人々を呑み込む
赤い竜とか
黒い竜とか
緑の龍とかさ
白い竜とか
黄土黄金の龍とか
なんともその
龍という存在は
如何にも
超絶な力能の存在だし
角は鹿
頭が駱駝さんとか
体は鱗が鯉で
爪は鷹の爪で
掌は虎とかで
などなど
それぞれの生物の要素が合成されているイメージ
水に住まう蛇のよなものが次第に
成長して
長生きして
神のようになるとかね
いろいろな権威の象徴だ
とする事なのでしょうが
実際に
大熊
にであってその熊さんの一撃で
死んでしまう人もあるし
喰われて呑み込まれてしまった人もいますね
野に住まうケモノ
獣
ケダモノ
毛の生えている生き物
は
そうして
人も範囲を越えたら
当然
自分の自己防衛があるからこそ
進んで
防衛する
保護のためだからですよね
人も
森林に
山や
海とか
野生の生き物のいる世界に
入り込むので
それは
正に
戦争のようになるかな
とも
おもえる
何で
そのような
行動があるか
は
自分の保存のため
生き残る事を
頭脳は命令しているからだからね
寄生虫が頭脳に入り込むと
自分を
自分で
害して
他の生物の
糧になるように
振舞う事もあるそうだし
または
明確な
救い
と云う事で
犠牲を
自分で成す方もあるものだ
腹をすかせた虎に
自分を喰わせた人とかの
お話もあるしね
兎さんの事もあるしね
月にいった
望月の宇崎は
宇渡
兎羽根
は
自分を喰ってくれと
いって
そうされたので
ブラフマ
PHURAPHUMA
は
その行為を尊重して
月に
その兎さんの
霊を
送ったそうだ
ずーーと月にすんでいるその自己犠牲の兎の住まい
それを
望月といいますけどもね
餅つきは
そして
皆に
その恩恵を
別けて呉れとるんだと
いう説話のようですよ
餅つきの兎さんはね
であるからこそ
満足であり
信頼してあるから
望月で
円満に
後生
この世での生きた事の
後の世の心配は
無と云う事で
望月だそうだ
幸福のシンボルは
満月
月から
地球に
参りました
籬
隔離されている
月の女
は
償いのためとかで
地上の竹笹の中に
うつめられて
光り輝いている
直ぐに
成長したし
黄金小判が
一緒にあった
御爺さん
御婆さんは
子が無いので
悦ぶが
そして
求婚もされているし
帝のような高貴な方も
申し出ている次第ですけども
叶う事も出来ません
題目を
提案するが
みな合意する事には至事
叶わずでした
教訓であること
地上に
ある人の
その儚い事の欲望が
どうなるか
示している
次第だ
生命の
生こそ
貴重で
絶え間ない
愛情の原点
源流と
いう事を
母性でも
父性でも
子の真心を
その子を
媒体にして
繰り広げられている
人の世のシキタリや
価値は
はたして
幸福を
その者に
招く事になるかどうか
と云う事の
反証でしたね
生命の現象と
事例
一つのcaseは
何を
おしえてくれている
知識と
知恵と
智慧
Sophiaとは
実際には
人が
善徳を
おもいめぐらすことで
善徳の品物を
媒体にして
まなひ
しること
ならう
事と
解する
前段階では
教示
いままでの成果を
そのまま
事実として知る事
体験は
死ぬことなど出来ませんしね
最期の時に
知る事が
完全の要件ではあることで
取り返しのつかない事だという
同時に無限に貴重であることの
生と死の事です
という
確固不抜の
証拠品
ポジティブとは
何があるんか
その事の
全ての
あけること
つま
ひらくこと
知る事
顕示してある物事を
そのまんま
受け止める事と
同時に
智慧は
何か
ウイズダムを理解する事ですが
理解とは
正に
徳の一つだから
と云う事で
野生の動物には
理解と云う事が
出来ないのです
完全に
物事の
理を
理解し
知る事を
全て
完済できるのは
唯一人という存在だけだと
証明できるのです
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善は
徳
と云う事を
理屈で知る事と
体験して
知っている
必要十二分
それは
受け止める事の行為があってのこと
小さい事を
詳しく知る事を過ぎ越してですね
知る事に至のは
生命の危機を過ぎ越した人は
知るでしょう
いのちひろいしたということ
一人は残り
一人は取り去られると
いうのは
常にあるのです
から
生とは
無限に
貴重だ
喜悦だと
理解は出来る事なのです
そこは
倫理と云っている次第だ
ethics
etiquette
エートス
精神と翻意してもいいけども
その
MINDの中身の集積した結果が
一体
何があるか
点検し
棚卸は
人自身には
必要なんだと
いう事
そこが
ケモノ
との違いがあること
自然が神だとか
ケモノは
神の使いだとしても
また
IMAGEの
キメラのような
龍とか
鳳凰とか
そのような存在が
見える人もあるのでしょうが
それは
それで
存在自体はあるなし
あっても
なくても
メリットがあることを知る事
善は
善
だからです
生命の
生は
生なのですから
生と共に在るという事が
無限に喜悦だと
知る事こそ
賢明で
御徳が無量だと
いう事なのですから
永遠に
南山堂