人の王によってその国は亡ぶは正解だ、なぜなら人は不完全であるから誰もが、神の様では無いから
ローマ教皇、観光過剰に警鐘 「水の都」ベネチアでミサ (msn.com)
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人の王によってその国は亡ぶは正解だ、なぜなら人は不完全であるから誰もが、神の様では無いから
神では無いから
神さまのようにふるまっても神では無いのです
ゆえに
『「わたしこそ神の子」だ』
というのは
とても曖昧で至便だ
ならば
それを全て証明してみせよ
なら
おまえを礼拝してやるぞ
信じてもいい
とかなるが
そんなことおかまいなしで
武力をもって
武器をして
神の子と主張する者があるが
武
威武
は
武器を使用しなくても
神なら
一言で
済ます
目的を
全部
必要十二分を常に満足する事が出来る存在を
本来なら
神というでしょうが
全智全能全善の神の
分身のような神々が登場するし
12神族とか
神々が
喧嘩しているし
嫉妬に狂うし
sexしているし
など
ほとんど
神と人の境目は
無い
偉大な権能の違いだけ
では
優しい
優れた神は
完全に全てに勝利する神は
どこにあるか
です
巻物である
バイブルでは
イスラエルの人々の事が記事されているけども
長い時間の経過で
イスラエルの12の男子の末裔である
ヨハネが記事したという
神の意向の秘匿を
全て開示した記録を
もって最期に納めている内容ですが
はじまりの事からずーと
そのイスラエルの民の歴史記事が内容です
そこで
天帝
または
天主
あめつちを治める者の意向が
人々に
何を知らせたのかの記事です
記述
その内容は
正に森羅万象で
人の愚かさを如実に表記しているのです
神は全智全能全善である者だからこそ
人の愚かしい行為の羅列が
時代と変遷とその人の
conversionの
過程も
同時に
どのように
自分自身に
気が付いたか
の証拠品でもある
大祭司のヨゼフは
イエシュアに出会うが
どうしても
ゆるしたくなかった
イエシュア・Nazareth
おまえは一体
誰だ
何の権威でそんなことをするか
事白か
と
嫉妬に狂う
邪魔者だと認定したので
死刑を宣言した
殺すなと
イスラエルの礼拝す神は
命令しているが
死ね
と
どこまでも
尖がるのです
剣
正に
もう一つの剣なのですが
さて
イエシュアは
全部
それを
受け止めている
し
処刑されて
晒しモノとされ
あの青銅でカタチつくられた火の蛇
のように
旗さおに
晒しモノとなる
蛇は
あの時
イスラエルの人々が
なんということを
生命の救い主に
何をしたか
でした
どうして
そうして
どこまでも
意固地であったか
です
エジプト人の奴隷でいるほうがましだったと
そして
こんな扱いをしやがって
神め
と
モーゼめ
と
怒るのは
はじめに
レビの末裔
もっとも
神に奉仕する必然のある支族でした
食べ物が無いぞ
水も不味い
肉が喰いたい
エジプトでは毎日
くっていたぞ
おまえたちおれたちをここで殺す気だな!!!
こんちくちょう
と
奴隷にあっって
非常に虐げの身であるからこそ
長年
そこで
神自身
Phualo
をますます意固地にして
やっと
自由にする事にした
のに
出て行け
もういい加減にしろ
と
最期は10番目
エジプト全土に疫病ですので
初子の男子は
全部
死んだのです
疫病の過ぎ越しには
イスラエル
イブリール
彷徨っている者たちは
門と鴨井に
仔羊の屠りました時の血を
真っ赤に染めて
印をつけた
そすと
その疫病は入り込まないとしたので
約束の通りでした
家では
パンは直ぐに食べる事ができるために
そのまま水で捏ねて焼くだけ
仔羊の肉は
みなで別ける
苦菜と一緒に食べる
そして
生き延びるためです
直ぐに用意して
腹を満たして
なぜなら
エジプトの王は直ぐに
こころかわりして
追跡してくるから
やっぱり手放すのではなかったと
出て行けと
命令したことを
くやみ
どこまでも
追跡してきた
部下をひきつれて
で
葦の海までくる
距離とすると
海の道がいいのですが
でも
海の民と
イブリールが
やり取りしたら
またしても
イブリールは奴隷になるしかない
とても
弱いのでね
ゆえに
40年間とは
さまよい
迷い
惑うのは
力を身に着けさせるためでした
ユダヤ人とは
イブリールの事であり
イヤコペ
Iyacophue
の
13人の子の末たち
400年間のエジプトの最も善い場所で暮らす人々でしたが
ラムセス二世の時に
は
そうしないで
ユダヤ人の事を奴隷化していくという次第だ
ユダヤ人がエジプトを奪い取ると困るから
ナショナリズム
初子の男子は
全員
生まれてすぐに
ナイルに廃棄せ!と命令されていた
女子は
なぐさみものだ
また
子を産ませる事で奴隷を作る事だし
という事だ
それは
神の心を痛めていたのは
嘆きを聴いているとして
放置していない
モーゼは
母は
ファラオの命令では無い
父
神の
命令のまま
三月
保持していたが
もう大きくなるんで
河に流す
その理屈は
王女の一人が
沐浴の時を
知っている
そして
ひろってもらうのです
すくいあげてもらう
水からね
箱舟は葦船となるが
生命
小さな生命を
処刑せという
父の命令に
反対したのは
王女自身
ユダヤ人の子
を
養子にした
宮廷で
モーゼとその家族は過ごすから
神の意図は
こうです
大王である
ファラオ
パロ
Phualra
に
生と光を知らせる事でした
あなたの権能の振る舞いは
まちがっているんだぞ
と知らせに来たのでしたが
どこまでも
彼らは
意固地だった
殺すな
の命令に
殺すのですから
しかも
生まれた子
赤ちゃんを
そして
ナイルは
真っ赤な血に染まった
10の事件は
イスラエルの神の
印です
エジプトの王とその統治下の人々に
なぜか
エジプトには
イヤコプの
末の子
IYOPHUSEPHU
有能な宰相でいました
からです
大飢饉を
メソポタミアを襲うから
その時
エジプト
つまり
コプトは
イヤコプの
神の
御蔭で
繁栄したのです
その恩典を
ラムセス二世は
忘却していた
と云う事だったのです
100年間
イスラエルの礼拝した神の事は
世界中に
知らせがある
そこで
エリコでも
同じでした
いきなり
処刑したりしていないのですよ
イスラエルの神の意向は
十二分に
報せてあること
で
人々の選びがあるのです
反対する者は悪だから処刑せ
では無いのです
そこは
非常に注意して
観察しないと
間違う
し
権力とは
本質は
何かです
殺すな
という内容を理解していないと
この件は理解できない
小さな子を
モレクに捧げて
そして焼いてしまう親こそ
死刑だぞ
と
顕示している
その事を
ソロモン王もしていたのですから
それはPHOENICIAなどの海の民の
霊儀式だったそうです
イスラエルの礼拝している神の意向は
生命の
生そのもの
それを
わざわざ処断する事こそ
善徳の喪失を
自分から選択した事なのですから
徳を
自分で
永久に損しているので
それで
指摘
されているのです
神は
そこから
立ち去るとは
生命の生が
喪失することが永久だと
それは
その個人が
その事を
意図し
判断し
そうした
行為があるからです
確実に
その個人が
意向として
はっきりと選択したからです
それは
そうすると
自分こそが繁栄すからだという信じ込みがあるからですが
生を処刑して
自分が繁栄するとは
正に
異常
それを正常だ正義だとして
自らの
幸福追求権をどこまでも
不正にして
追及したい者だからこそ
反対しますね
その結果が
はがみ
はぎきり
だと
最期の巻物に記事されている次第です
天から
地上に
新しい
エルサレムは
降りて来る
迎える者は
そのまま
狭き道の門を通り招きを受け
その招きに答えた者だからです
全部
必要な具備具足を用意されているからこそ
それを予め
身に着けて
待っている者ですね
待機している
その時を
これは
聖体拝領です
そもそも
サクラメントの一つです
実際に
自分の内に
新しエルサレムを
迎えたのです
初聖体で
それでも
まだ
何か追及しているのは
おかしい
わざわざ
不正を
正義として
流布している者は
複数人ある
そこが
異常なのです
ローマカトリックとはいいながら
Catholicを
根本から無視していているカトリックの自称者ですね
これは
政治的な
エージェントが利用してる
応援している振り
そして
混乱を人々の心に
まく
プロパギャンダの一つの方法です
南山堂