形式的なかしこみ行為や神妙さなどは不要だ一切、なぜか、生は共にいつもあるもの、だからさ、
形式的なかしこみ行為や神妙さなどは不要だ一切、なぜか、生は共にいつもあるもの、だからさ、
儔ともから
トモガラ
朋
伴
奉
供
ともとは
共に在る事ですので
いつでもいつまでも一緒にある事は
生
そのものですよ
肉体からは
生は
過ぎて行きます
肉体からはね
仮の宿とか言っている次第です
うつ
空うつほ
筒
人の生の事は
その人自身による力能では
どうにもできませんよ
どんなに元気な肉体を保持しているとしても
一瞬
で
生は
その者の肉体から
過ぎ去る事もあるんだ
いつかもしらない
ほとに
そうなんだ
から
caseは
複数ある
全て
個人
別
case
全く
その人
年齢も関係無い
元気な小学校の二年生が
突然
道路で
車に衝突されて
即死です
その事例は
自分が知っている方だし
その親は
どんなに嗚咽したでしょうね
慟哭とはその事
直ぐ
隣にいたのです
実際に
一人子を
喪失した
母親なら
どうでしょうかね
もう
子の事を希望も出来ない
死んでしまったから
永久にその傷は残りまして
苦痛
棘そのものだ
その事を無視などできない
ではないかな
周囲の人でも
知っている事なら
そして
理解しようと
努力もするでしょう
存在自体のその
事と
生命の
現象と
生の事自体を
車を運転していた若者は
いまどうしているのか?
償い
とか
埋め合わせの
行為とは
ほんとは
何をしたら
出来るのでしょうかね
完全に
祈る事とは
そうして
善徳の事を
思い巡らす事だ
生命とは
善徳
そのものです
から
それを
喜悦として
認知形成できたかどうかね
そこから
でしょうか
償いが
完了するための
選択できる
内実は
埋め合わせは
無理でしょう
自力では
生命を破損したのですから
どうしても
生は
人力で
その人を
蘇らすことなど
出来る事はまず無いのですから
神さまと
祈る事しかできないですよ
復生きる事を
希望し
その人の事を
いつも
忘れない事だ
償いとは
金品だけの
支払いで済ます事は
それも
無理だし
車の勢と云う訳でもないがね
車は
不完全な人の意図で作成した品物の一つだから
完全に御得な品物でもないし
そういう不完全である者で
不完全である品物を
運転している事なのですから
それは
危険
ハイリスクですよね
何を見返りに
その車を運転しているか
スピード
速く移動することで
時間を稼いで
仕事を早く済まして
もっと金を稼ぎたい
という欲の実現かな
さてね
当時は
どういう意図で
車など開発してきたのかな
今後
全部
自動の管理で
安全
安心の品物として
人に
最大の幸福を
提供できるかな
人自身が不完全と云う事なのですから
いつか
完全に善徳者であることを
欲するのは
どうかな
権威を振りかざして
何でも出来る者になりたい
という願望がある人もいる
なんでも
全部
自分こそ正義者なんだぜ
と
いいたいし
そうしていたい者もあるしね
人というのは
そうしているので
やっぱり
不完全なんだなと
判断できます事例もあるのです
複数のcase
同時に
いまも存在している
case
事例の事例化
価値の価値化
自己覚知の作業とは
自分を知る事だが
自分の中に何があるか
知らないと
はじまらないね
棚卸とは
そういう事だ
南山堂