PHUEMAN BEINGがMINDを媒体MEDIAにしている事でIMAGEはあるそれを直ぐ具現 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

PHUEMAN BEINGがMINDを媒体MEDIAにしている事でIMAGEはあるそれを直ぐ具現

「中国」と「地中海」が文明の二大源流。ローマ史はメソポタミアから見直す必要がある。 (msn.com)

 

 

PHUEMAN BEINGがMINDを媒体MEDIAにしている事でIMAGEはあるそれを直ぐ具現

 

 

もしも

人間が

生きている時に

自分のIMAGEした事を

直ぐに誰かに伝える事ができたら

どうなるか

 

これは

カルチベイトした情報がカルトだし

耕作するための鉄器など加工して作品化して食糧を得る過程での文化だし

 

カルチャー

シビリゼーション

 

Civil

 

 

市民化

 

リベラルアーツアンドサイエンス

 

格物致知です

知識を得る事です

市民とは

 

何も物や事について究明理しないで

ただ

食べる事

寝る事

住まう事

では無いと

云う事です

 

 

知識は

観察し

誠実に

その情報を

一つ

一つ

受け止める事

そして

更に観察し

推察したり

構造を検分したり

価値を計算したり

 

何であるか

その本質を追及していく作業である

 

からこそ

知るは

体験のそれでもあるのです

 

本質

クオリティ

クオクエ

何が何であるのか

 

クオンティティ

 

それは何?

思い

考える

鑑みる

事は

 

には出来ます

 

失敗

とか成功とか

ターゲットで

狙いを定めて

捕獲して

餌を得る事をしているのは他の生き物も全て

 

同時に

人は思案する

なぜ

自分は生きて今あるのか

いう疑問

生きる意味

価値

目的

不明であるが

そもそも

 

存在していまあるので

 

しかし

価値を

探す事になる

それは

STUDYです

 

 

文明

文化

コトバ

 

があることですが

 

 

 

その言

記述する事

 

読みます事

情報を知る事

情報を知らせる事

 

お互い対話する事

 

音でコミュニケーションはしても

 

報せているとしても

 

自信の保全と安心

また

その為の生存の保護に纏わる斯業である事と

更に

同時に

 

本分

本質

本義

などを

追及し究明し

さらに

 

善を知る事

善の欠落の状態を知る事

こそ

人の人足る由縁だといっている

 

意図

私的な意図が

邪なら

よこしま

なら

人は自分を侵害している事に

気が付くでしょうか

 

自分を自分で貶めている事

利潤利益

利権

利徳を

得る事に集約してしまうあらゆる力の投資なら

一体

その者は

何をホントは得たか

 

唯物主義者ならどうか

 

とか

 

または

仁徳と云う事では仁慈こそ

賢明だと

徳目は実は全て

重層でかさねて

一つなのです

という見識があるが

それを知っている者と

そうではない者の

計算の結果の

違いは

損得

メリット

DEMERIT

メリットを失くすという事を

知っているかどうかです

 

一見

御得というだけで

ほんとは

損した徳を

という場合もあるのです

 

その時

人生に自分を自分で後悔するのは

 

やはり

その行為を選択しませんと

いう

選択行為を選択するほうが

無難で

永久に御徳だと

している

論点が一点で逆転している事を

反証しているのは

 

喩え

METAPHUA

であり

文脈や

その本質と

方便の

違いとか

 

何を謂いたいのか

と観察し

理解したいと希望する事

その確実にある事を

立証する事に信頼する事など

いろいろな徳目でも

重要で

枢要な徳があるのですね

多くの人々が再確認

再認識

して

生きる事に充実にして

メリットを得たと云っている証言はあるのです

 

しあわせ

とは

私的な感情や気分の事だし

 

至福とは

福自体

 

永久に喜悦の状態と共にある事を云うとしたときには

円満

福徳

萬徳など

と云う事ですので

 

ホントに信に

ある事で

その言説など不要で

 

あるものはある

完全に善いものだ

それは

それを試すなら試してみる事で

知る事なのです

知るとは

主体が主客が

体験して

実際に

味わいをもって知る事

さきしることで

さちを知る事と云う事なのです

 

これは

Catholic

とか

カソリックといっている

香取です

 

カトリ

 

 

 

 

花鳥

 

花鳥風月

でもいい

 

野の花

空の鳥

海の魚

 

みな

生存のその生を喜ぶ事こそ

賢明と

 

なるから

 

草木の実を成らすこと

種子

があること

 

小さな辛子の種は

 

ホントに小さい

 

同時に

一人の存在も

小さい小さい0.1mm

の玉から

はじまるのです

 

それは

人には不可思議であるが

 

おガル

生い立つ

 

そして

あるき

生きているための

環境を知り尽くして

物質を利する事で

自分を更に活かすをしている

 

そして

死を迎える

息を白を終える時です

 

 

それは

人が

罪を重ねたから

だという事を自明の理としているのは

 

説明として

合理だから

 

盗みは

他者の私物を奪う事だから

大損害を与えていることですよ

 

 

騙して

とか

主人と奴隷の関係を構築するとか

 

そもそも

人は対等なのに

 

強い権能を破壊と共に見せて

そして

従え

さもなくば

処刑する

なんて

強欲の事を宣言したり

して

多くの人々を操作するのは

 

これに

その者を最も愛する事をせ

と命令した主人もあったのです

 

 

そして

剣の柄を握り

 

相手の部下を切り裂く事をした

それを全部

償い

埋め合わせた

主人もあった

 

これは

感情や気分や同義として

 

いったい

何を動機にしているのか

 

案ずることがどうしても必要です

 

完全に善い方なら

何も生きる事も困る事は無いのです

 

既に全部善いがあるそのものだから

失いがあるとしても直ぐにその失いを

完全に善くして出来る権能があるのですから

 

であるので

 

あわれむのです

 

泣きます

なぜなら

目の前が暗いから

まったく

光の無い

闇で生きているから

こそ

主人は

その主人は知ってるので

泣くのです

 

涙を流して

 

 

自分から自分を損なう事をして

笑っているのですから

 

ミゼリコルディアはそのためにある

恩義

恩寵

恩恵

恩典

回復の為の支援なのです

 

 

それこそ

仁慈

慈愛

滋養

滋味

寛容

甘美

完全に善い実の事

水と血

肉と骨

と油と塩

生命の糧なのです

 

 

生の木

生木です

枝には

花満開で

完全に善き実をたわわにつける

葡萄の木

葡萄の木は接ぎ木している枝がある

枯木に成らないためですよ

 

 

そして

同じくたわわに実を善き実を成らすためにあるからです

 

枯木は

主人は

めしつかい

に命じて

燃える火の竈門に

くべるのです

 

それは

METAPHUA

 

この世の柵から

完全に自由自主を贈るものなので

理解するために

努力を自分で惜しまない事こそ

賢明なのですよ

Sophiaは

あるのです

 

 

上智ですね

 

 

 

 

南山堂