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諏訪の神様の事は、どうなっている?


甲賀三郎(こうがさぶろう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
「甲賀三郎」の意味・わかりやすい解説
甲賀三郎 (こうがさぶろう)

伝説上の人物。諏訪明神の本地を説く語り物の主人公である。南北朝時代に成立した《神道集》所収の〈諏訪縁起の事〉は甲賀三郎譚としてはもっとも古い。それによると,近江国(滋賀県)甲賀郡の地頭,甲賀三郎諏方(よりかた)は,最愛の妻春日姫を伊吹山の天狗に奪われ,66国の山々を探し歩き,信濃国蓼科(たてしな)山の人穴で発見し救出する。しかし三郎は兄の二郎のために穴へ落とされ,73の人穴と地底の国々を遍歴する。最後にたどりついたのは維縵(ゆいまん)国というところで,その国では毎日の日課に鹿狩りをする習俗があり,三郎はそこで好美翁と維摩姫のあたたかいもてなしを受けて日を過ごす。だが,春日姫恋しさに日本へ戻りたいと願っていた三郎は,翁から渡された鹿の生肝で作った餅1000枚を,毎日1枚ずつ食べることの戒を守り,また途中で遭遇した数々の試練にうちかって無事日本の浅間嶽へ出る。やがて三郎は浅間嶽から本国近江国甲賀郡笹岡にある釈迦堂(岩屋堂)に戻ってくる。ところが自分の姿が蛇になっているのを知り,驚きと恥ずかしさから釈迦堂の縁の下に隠れる。その夜,堂に集まった白山,富士浅間,熊野権現などの化身である10人の僧の口から,蛇身をのがれる法として,石菖(せきしよう)の植えてある池に入り,脱蛇身の呪文を唱えれば人間によみがえることを知って,もとの甲賀三郎となる。その後春日姫と再会した三郎は,信濃国に諏訪明神として上社に鎮座し,春日姫は下社にまつられるというのがその内容である。

 地底の国を遍歴した甲賀三郎は異界への訪問者であろう。この種の人物に似たものとしては,《富士の人穴》の草子の新田四郎忠綱(仁田忠常)がいる。《吾妻鏡》建仁3年(1203)6月3日の条所載の秘窟探検の話は有名で,《富士の人穴》の草子はこの伝承を踏まえ,人穴の内部を六道地獄とし,新田四郎が浅間大菩薩を案内役にして地獄の苦患に沈む衆生を見て回るという趣向に変わっている。一方,甲賀三郎が遍歴した地の底は地獄ではない。73の国々があたかも農耕に従事する村落を思わせ,その国々を春夏秋冬の季節に沿って循環式にさまよい歩くという構造になっている。三郎には外から村落を訪れる神の姿が重なっており,村落民に畏怖されつつも歓待され,永くとどまることをすすめられながら,その好意をふり切って次の国を求めてさすらうという形をくり返す。狩猟国である維縵国で最後の歓待をうけ,地上へよみがえるという甲賀三郎の地底遍歴の意味するものは,狩猟神であると同時に農耕神でもある諏訪明神の二面性を甲賀三郎に託して表現化したものとみて誤りはない。地底の国々の遍歴は,中世における今来(いまき)の神,諏訪明神の誕生にとって,経なければならぬ試練であり,通過儀礼と同じものであって,それは八十神たちの迫害を受けた大穴牟遅(おおなむち)命が,地上から地下の根の国へと難を避け,須佐之男(すさのお)命の課すさまざまな試練に耐えて地上によみがえるまでの神話の構造と重なる。なお末弟である三郎が,兄の謀事に会って地底に落ち,困難を克服して最後に成功するという筋立ては,末弟成功譚の一つの形でもある。昔話では兄弟話として語り伝えられている。《神道集》の〈那波八郎大明神の事〉には末弟の八郎が,兄たちの夜襲を受けて殺され,後に大蛇となってたたりをなし,兄7人の命とその一族,妻子眷属までとり殺すという,末子復讐譚となっている。

 〈諏訪縁起の事〉は諏訪信仰を宣布して歩いた山伏修験(諏訪神人)に担われて広まったものであろう。近江国甲賀郡に現在でも多く見られる諏方の後胤といわれる人々の出自が,信州望月氏であるというのは,諏訪と甲賀の因縁の深さを物語っている。甲賀郡甲南町(現,甲賀市)の人々は,甲賀三郎を実在の英雄と信じ,岡町塩野の諏訪社を氏神と仰いでいる。諏方系といわれる〈諏訪縁起の事〉に対して,兼家系といわれる甲賀三郎譚が,近江国甲賀郡水口町(現,同市)岡山のふもとにある大岡寺(だいこうじ)の観音霊験譚に組み込まれながら伝承されている。
執筆者:岩崎 武夫

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」