越國から井出派 出羽根国は、ものかみの海の界隈か、 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

越國から井出派 出羽根国は、ものかみの海の界隈か、


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菩提僊那 - Wikipedia
菩提僊那(ぼだいせんな、704年 - 天平宝字4年2月25日〈760年3月16日〉)[1]は、奈良時代の渡来僧[2]。現在の南インド出身。ボーディセーナ(サンスクリット語: बोधिसेन', Bodhisena)[3]、菩提僧正[1]、菩提仙那とも称される[2]。

唐に滞在中に日本僧の招請を受けて開元24年 / 天平8年(736年)に訪日。天平勝宝4年(752年)に東大寺大仏殿の開眼供養法会で婆羅門僧正として導師を務めた。弟子の修栄が撰した『南天竺婆羅門僧正碑』[2]・『東大寺要録』中の「大安寺菩提伝来記」に伝記が残されている。

生涯
    
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出典検索?: "菩提僊那" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年11月)
南インドのタミル語のパルパナール氏族階級に生まれた[3]。姓はパラタヴァラジャン(婆羅門遅)と伝わっている。青年期にローカタクシャや安世高の偉業を追って、ヒマラヤを越えて入唐し、五台山にも滞在した(五台山の文殊菩薩からの霊験を受けて赴いたという説もある[3])。

唐では長安の崇福寺を拠点に活動していたようで、唐滞在中に日本からの入唐僧理鏡や第十次遣唐副使中臣名代らの要請により、ペルシア人の李密翳や、唐人で唐楽演奏家の皇甫東朝、林邑楽を伝えた林邑僧仏哲、日本から伝戒師を委嘱された唐僧道璿、後に音博士となる唐出身の袁晋卿らと共に開元24年 / 天平8年(736年)に訪日した[2][1]。菩提僊那ら3人の僧は5月に大宰府に赴き、8月に難波津を経て、行基に迎えられて12月13日(737年1月18日)平城京に入り、左京の大安寺に住し[3]、時服を与えられた。

菩提僊那は華厳経の諷誦に優れ、密呪にも通じていた。その密呪は、菩提僊那から日本僧の弟子へ伝授された。

天平勝宝3年(751年)に僧正に任じられ[3]、翌天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)には東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師を務めている[2]。こうした功績から菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁と共に東大寺の「四聖」としてその功を称えられている。

天平宝字4年2月25日(760年3月16日)、大安寺において西方を向いて合掌したまま死去した。翌3月2日(3月23日)、登美山右僕射林に葬られた[3]。

2002年(平成14年)、大仏開眼1250年法要を機に、残された僅かな図画を基に三輪途道らにより菩提僊那像が製作され、現在、本堂に安置されている。運慶の無著像、世親像(興福寺蔵)に倣って日本人風の顔立ちであるが、眼は緑色に彩色されている。

脚注
^ a b c 日本の名著 1970, p. 464.
^ a b c d e 岩波 仏教辞典 2002, p. 924.
^ a b c d e f 菩提僊那. コトバンクより2020年8月19日閲覧。
参考文献
    
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中村元 編・監 編『日本の名著〈2〉聖徳太子』1970年。
中村元ほか 編『岩波 仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月。
小島裕子「大仏を開眼した菩提僊那(ボーディセーナ)- 日本文化の中に構築された「印度」 -」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』第24号、鶴見大学、2019年、205-248頁、doi:10.24791/00000295。

菩提僊那 - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

 

 




バラモン - Wikipedia

バラモン(梵: ब्राह्मण brāhmaṇa、婆羅門)とは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。ブラフミン(梵: brahmin)ともいう。

名前の由来
「バラモン」とはサンスクリットの「ブラーフマナ」(brāhmaṇa)を漢訳した際に音写された「婆羅門」をさらにカナ転写させた呼び方であり、正確なサンスクリット語形ではない。

ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。

神話的起源
『リグ・ヴェーダ』に収載された「プルシャ賛歌」によれば、神々が祭祀を行うにあたって原人プルシャを切り分けた時、口の部分がバラモンとなり、両腕がラージャニヤ(クシャトリヤ)となり、両腿がヴァイシャとなり、両足はシュードラとなった、という[1]。

歴史
起源
紀元前13世紀頃、インド・アーリア人が原住民族のドラヴィダ人を支配するためにヴァルナを作り出した。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置き、ブラーフマナすなわちバラモンと称したのが始まりであると言われている。

こういった歴史的見解は、ヴァルナ(四種姓)の起源を神話上の宇宙論に求めるヒンドゥー教徒の考え方とは相容れないものであった。

中近代のバラモン

バージー・ラーオ1世、彼はバラモンのマラーター王国宰相である。

西ベンガル州のバラモン、ラビンドラナート・タゴールの相貌。
12世紀後半以降イスラーム教徒が侵入し、13世紀にはデリー・スルターン朝、16世紀にはムガル帝国が成立したが、バラモンはそれらの支配のもとでヒンドゥー貴族や地方官吏などとなり、依然として高い地位にあった。

また、18世紀にデカン地方を中心に支配したマラーター王国の宰相をはじめとする支配層もバラモンで占められていた。

現代のバラモン
2011年の国勢調査によると、インドのバラモンの人口は6500万人であり、全人口の約5%を占める[2][3]。


各州におけるバラモンの割合。カースト国勢調査による
  16–20%
  12–16%
  9–12%
  4–8%
  1–4%
  0–1%
仏教での用例
バラモン教が説く生まれによるカースト制を、釈迦は業に基づいた理論にて否定した[4]。そのため仏教はヒンドゥー教異端派(ナースティカ)であった。

人は生まれによってバラモンとなるのではなく、生まれによって非バラモンとなるのではない。業によってバラモンとなるのであり、業によって非バラモンとなるのである。[5]

初期仏教の経典の一つ『法句経』(『ダンマパダ』)26:393では、著者(釈迦に擬せられる)は以下のように、出身階級による差別を明確に否定している。同書の第26章「バラモン」全体では、執着を断ち切って安らぎの境地に達し、完成された人をバラモンと呼ぶことを繰り返し強調している。

螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法とをまもる人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである[6]。

日本では、渡来したインド人の仏教僧全てを、出身のカーストにかかわらず婆羅門と呼んでいる。

脚注
[脚注の使い方]
^ 辻1970、320頁。
^ Brahmin population in India - an Analysis, Brahmanipedia, (2015-10-02)
^ State wise Brahmin Population in India, (2017-12-19)
^ 志賀浄邦「インド仏教復興運動の軌跡とその現況」『京都産業大学世界問題研究所紀要』第25巻、2010年、23-46頁、NAID 110007523445。
^ パーリ仏典, スッタニパータ 653, Sri Lanka Tripitaka Project
^ 中村1978、65頁より引用。
参考文献
『リグ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1970年5月。ISBN 978-4-00-320601-0。
『ブッダの真理のことば - 感興のことば』中村元訳、岩波書店〈岩波文庫 青302-1〉、1978年1月、65頁。ISBN 4-00-333021-8。
関連項目
ゴートラ
ドヴィジャ
リシ
外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、バラモンに関連するカテゴリがあります。
山上證道「インド理解のキーワード—ヒンドゥーイズム—」(京都産業大学『世界の窓』第11号)
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