ブラフマ 梵天 ビシュニュ 毗湿奴 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

ブラフマ 梵天 ビシュニュ 毗湿奴








オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ
 

 

普く維持する千面顔

 

わたしにはいいことをしてくれはったから

あんさんは

神仏にちがいない

 

おかしい

 

 

のです

論理としては

 

 

矛盾しまくり

 

 

いいこと

の内実

 

私には

だから私的な事でしかない

 

 

 

ある人は親から一度も褒めてもらえないから

 

だれか自分を褒めてくれる人を探して

三千里探します

 

やっと

自分を褒めてくれた人に出会った

 

あー

この人こそ

仏に神だと

願ったりかなったり

その御恩に

報恩しようと

努力し

全財産を

その者に喜捨する

 

 

よろこんで

はい自己を捨てます

あなたに

となる

 

 

しかし

その褒めた者は

操作する意図を固持した

破壊の王である

破壊者として

大勢を門徒にしていたい大王だった

 

さて

そのセクトは

どうなるか

破壊集団

 

組織としての「破壊」

あらゆる気に喰わない生命存在を

破壊する事に

最上の喜びを得る事を目指す本願者となる

 

のでした

という事

 

世界はどうせ

滅ぶからという

自己破滅の拡大妄想教

自己組織化する

手段

媒体になる

 

 

 

その道具こそ

 

親にも褒められた事を無い者を

ターゲットにして

褒めちぎる事で

 

獲物をゲットする

組織理論です

 

 

となる次第

 

さてね

巨大化した組織を統括すには

もっと

その者がほめなければなりません

から

それはそれは

大変な労働者に

成るんです

 

 

という始末でした

 

 

そして

死刑宣告の

日とその死刑執行日を

迎えて

たじろぐ

 

おれを騙したな

貴様

 

怒りを

心頭にして

絶命す

 

という

挙句になる

 

 

 

八卦の事です

これは

 

 

南山堂会山

即式是即疑義満開中春華黄志木暗黒草木枯木白骨院

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(Oṃ Namo Nārāyaṇāya)

毗湿奴(梵文:विष्णु,IAST:Viṣṇu),也译为毗纽笯、毗湿纽、维世奴,其他称号有诃利(Hari)、幻化天王,奥义书中又把那罗延(Nārāyana)、那罗希摩(Narasimha)、婆薮天(Vāsudeva)等列作其化身,是印度教三相神之一,梵天主管“创造”、湿婆主掌“毁灭”,而毗湿奴即是“守护”之神,印度教中被视为众生的保护之神,其性格温和,对信仰虔诚的信徒施予恩惠,且常化身成各种形象拯救危难的世界,印度人大多信仰湿婆和毗湿奴,在尼泊尔和泰国,国王被认为是毗湿奴化身。

佛教称为毗纽天,又译作毗搜纽天、毗瑟笯天、毗瑟拏天、韦纽天、遍入天、遍胜天、遍闻天等[5],亦常将其等同于那罗延天。

毗湿奴 - 维基百科,自由的百科全书 (wikipedia.org)

名前
「ヴィシュヌ」という名前には「遍く満たす」という意味があるとされる[8][9]。

紀元前5世紀頃のヴェーダーンガの学者ヤースカ(英語版)は彼のニルクタ(語源に関する書物)の中でヴィシュヌの語源を「どこにでも入る者[注 3]」、「枷や束縛から離れたものがヴィシュヌである[注 4]」としている[10]。

中世インドの学者メーダーティティ(英語版)は「浸透する」という意味の「ヴィシュ」(viś)にヴィシュヌの語源を求めている。すなわち「ヴィシュヌ」は「どこにでも存在し、全ての中に存在する者」という意味を含むとする[11]。

特徴
比較神話学者ジョゼフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』で、ヴィシュヌが扱われている[12]。ヴィシュヌについてアルジュナの言葉では、「あなたの終わりも中間も、また始まりもわたしはみとめない」[12]。「あなたは全世界をあまねく貪りつつ、燃えたつ口で舐めわたす」[13]。

ヴィシュヌの描写は次のようにある。

幾多の顔と眼とをもち、さまざまなこの世のものとも思えぬ姿をあらわし、多くの神々しい装飾で飾りたて、多くの神々しい武器を携え、素晴らしい花冠と衣服を身にまとい、聖なる香料を塗り、あらゆる奇瑞よりなり、眩くも無際限の、あらゆる方角にさまざまな容顔をさらす神 … 神々のなかの最高神のみ姿のなかに、多様に分かたれた全世界がただ一つのものに収められているのを、アルジュナはそのときそこでみたのであった。[14]
ヴィシュヌ自身の言葉はこうある。

わたしは力[要曖昧さ回避]であり、この世を滅ぼす「時間」である。ここに集まる者どもを殺さんがためにここに出現した。たとえ汝がいなくとも、敵陣に並び立つ戦士らはみな生きつづけはしないだろう。 … わたしによってすでに殺された、ドローナ、ビーシュマ、ジャドラタ、カルナ、またその他の勇士たちを殺せ。これらの者どもはすでにわたしが殺し終えている者どもである。[15]
聖典
様々な文化に見るヴィシュヌ

バクトリア語が書かれた封印。4-6世紀。

紀元前1世紀、バクトリアのコイン。

13世紀、カンボジアのヴィシュヌ。

インド

ミャンマー

インドネシア
ヒンドゥーの神ヴィシュヌは長い歴史の中で信仰を集め続けてきた。
ヴェーダ
ヴェーダの時代にはヴィシュヌはインドラやアグニのような目立った神格ではなかった[16]。紀元前2000年頃の『リグ・ヴェーダ』に含まれる1028の賛歌の内、ヴィシュヌに捧げられたものは5つにとどまる[11]。ヴィシュヌはブラーフマナ(紀元前900-500年)で言及され、それ以降存在感を増していき、やがてブラフマンと同等の最高位の神格として信仰を集めるようになった[16][17]。

ヴェーダの全体でみるとヴィシュヌに関する言及は多くなく、神格としての設定もありきたりと言えるが、ヤン・ホンダは『リグ・ヴェーダ』にはいくつか目をひく言及も見られるとしている[16]。たとえば『リグ・ヴェーダ』にはヴィシュヌは死後のアートマン(魂)が住まうというもっとも高い所に住むという言及があり[注 5]、これが後にヒンドゥー教の救済論と結びつきヴィシュヌの人気を高める原因のひとつになったのではないかという指摘がある[16][18]。またヴェーダには、ヴィシュヌは天と地を支えるものであるとする記述も見られる[11]。

ヴェーダでは他の神へ向けた賛歌でヴィシュヌが触れられる例がたびたび見られ、とくにインドラとのつながりが感じられる[11][19]。インドラが悪の象徴であるヴリトラを倒す際にはヴィシュヌが手を貸している。

トリヴィクラマ
「ヴァーマナ」も参照
様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: ネパール、バクタプルのトリヴィクラマ。右: インド、バダミの石窟寺院群(英語版)。6世紀のもの。        様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: ネパール、バクタプルのトリヴィクラマ。右: インド、バダミの石窟寺院群(英語版)。6世紀のもの。
様々なヒンドゥー寺院でトリヴィクラマ(三界を3歩で跨ぐ者)をテーマにした偶像を見ることができる。まるで体操選手のように足を上げた造形でヴィシュヌの大きな1歩が表現される。左: ネパール、バクタプルのトリヴィクラマ。右: インド、バダミの石窟寺院群(英語版)。6世紀のもの。
『リグ・ヴェーダ』の複数の賛歌でトリヴィクラマ(Trivikrama)と呼ばれるヴィシュヌにまつわる神話が語られており、これはヒンドゥー教の最も古い時代から継続的に語られている神話のうちの1つである[20]。トリヴィクラマは古今を問わずヒンドゥーの宗教美術に着想を与えており、例えばエローラ石窟群のものはヴィシュヌのアヴァターラとしてのヴァーマナのトリヴィクラマが描かれる[21][22]。トリヴィクラマとは「3歩」という意味を持つ。この神話では、取るに足らない風貌をしたヴィシュヌが一息に巨大化し、最初の一歩で地上をまたぎ、二歩目で天をまたぎ、三歩目で天界の全てをまたいだと語られる[20][23]。

Viṣṇornu kaṃ vīryāṇi pravocaṃ yaḥ pārthivāni vimame rajāṃsi / yo askabhāyaduttaraṃ sadhasthaṃ vicakramāṇas tredhorugāyaḥ // (...)

私はヴィシュヌの偉業をここに宣言しよう。彼は地上を実測し、天界をうち立てた。大股の三歩で(略)

—『リグ・ヴェーダ』1.154.1、ヤン・ホンダ訳からの重訳[24]
ヴィシュヌスークタとも呼ばれるこの賛歌には救済論が含まれているとされる。この賛歌ではヴィシュヌは三歩目に、死を免れない者たちの領域を超えたことが示されている。そこはもっとも高い場所であり、神に帰依したものたちが幸せに暮らすとされている[20]。『シャタパタ・ブラーフマナ』(紀元前8-6世紀)ではこのテーマをより深く掘り下げている。ここでは3つの世界(トリロカ)をアスラに奪われた神々をヴィシュヌが代表し、トリヴィクラマにより世界を奪い返す。ここではヴィシュヌはすなわち死を免れない者たちの救済者であり、神々の救済者でもあると読み取れる[20]。

ブラーフマナ
『シャタパタ・ブラーフマナ』にはヴィシュヌ派の護持する汎神論的アイデアを見つけることができる[25]。ヴィシュヌ派では最高神であるヴィシュヌは経験的に知覚できる宇宙に遍く宿っているとされる[25]。『シャタパタ・ブラーフマナ』にてプルシャ・ナーラーヤナ(ヴィシュヌ)は以下のように語る。「全ての世界に私自身を置いた。私自身に全ての世界を置いた」[25]。さらにこの『シャタパタ・ブラーフマナ』はヴィシュヌとすべての知識(すなわちヴェーダ)を等価であるとする。すなわち宇宙の全ての本質を不滅であるとし、全てのヴェーダと宇宙の原則を不滅であるとし、ヴィシュヌであるこの不滅の物は全てであると主張する[25]。

ヴィシュヌは全ての物と生物に染みわたっていると描写されている。これをジオラ・ショーハム(英語版)は、ヴィシュヌは、本質的な原則として、超越的な自己として常に全ての物と生物の中に存在しつづけている、と表現する[26]。ブラーフマナを含むヴェーダの聖典はヴィシュヌを称賛しながらも、ヴィシュヌの下に他の神々を従属させない。ヴェーダが提示するのは包括的、多元的な単一神教である。時には明確に、「偉大な神々も卑小な神々も、若い神々も年老いた神々も」[注 6]という呼びかけが行われることもあるが、これは神々の神聖な力をわかりやすく表現するための試みであり、いずれかの神がいずれかの神に従属しているという表現は見つけられない。一方でヴェーダの賛歌の中から、全ての神々がそれぞれ至高であり、それぞれ絶対的であるという表現を見つけることはたやすい[27]。

ウパニシャッド
ムクティカー(英語版)と呼ばれる108のウパニシャッドのうち、ヴァイシュナヴァ・ウパニシャッド(英語版)(ヴィシュヌ派のウパニシャッド)が14存在する[28]。これらがいつ編纂されたものかははっきりとはわかっていないが、紀元前1世紀頃から17世紀頃までと幅を持って見積もられている[29][30]。

これらヴァイシュナヴァ・ウパニシャッドはブラフマンと呼ばれる形而上的な現実としてのヴィシュヌ、ナーラーヤナ、ラーマやあるいはヴィシュヌのアヴァターラの1つに焦点を当てる[31][32]。そして倫理から信仰の方法まで広範な話題を取り扱う[33]。

プラーナ文献

バーガヴァタ・プラーナ(英語版)はヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる。
ヴィシュヌ派のプラーナ文献ではヴィシュヌに主眼が置かれる。ルド・ロシェ(英語版)によればこれらヴィシュヌ派のプラーナとして特に重要なものには『バーガヴァタ・プラーナ(英語版)』、『ヴィシュヌ・プラーナ(英語版)』、『ナーラディーヤ・プラーナ(英語版)』、『ガルダ・プラーナ(英語版)』、『ヴァーユ・プラーナ(英語版)』が挙げられる[34]。プラーナは様々な立場から語られる宇宙論や、神話、様々な生き方に関する博物学的内容、加えて中世に書かれたものにはマーハートミヤ(māhātmya)と呼ばれる地域ごとのヴィシュヌ寺院を紹介する旅行ガイドのようなものが含まれる[35]。

ヴィシュヌ派のプラーナに語られるさまざまな宇宙論を例として挙げると、例えばヴィシュヌの目は南の天極にあり、そこから宇宙を観察しているとされる[36]。また、ヴァーユ・プラーナの4章80節ではヴィシュヌはヒラニヤガルバ(英語版)(金の卵の意)であったとされ、そこから一斉にすべての生物の雄と雌が生まれ出る[37]。プラーナによってはシヴァやブラフマー、シャクティが宇宙論の中心となるが、『ヴィシュヌ・プラーナ』はヴィシュヌを中心に宇宙論を展開する。『ヴィシュヌ・プラーナ』の22章では、彼の多くの異名(称号)、例えばハリ、ジャナルダナ、マダーヴァ、アチユタ、フリシケシャなどを以ってヴィシュヌを礼賛する[38]。

ヴェーダーンタ学派のラーマーヌジャはウパニシャッドで議論のあった根本原理ブラフマンをヴィシュヌと同一視し、シュリー・ヴァイシュナヴァ派(英語版)の基礎を築いた[39]。『バーガヴァタ・プラーナ』のたとえば1巻2章11節などではヴィシュヌはブラフマンと同一視される。いわく、よく学び絶対の真理を知る超越主義者はこの無二の本質をブラフマン、あるいはパラマートマ(Paramātma)、バガヴァーン(Bhagavān、ヴィシュヌのこと)と呼ぶ[40]。

ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナに焦点を当てる『バーガヴァタ・プラーナ』は、最も人気があり、最も広く親しまれているプラーナで、ほぼすべてのインドの言語に翻訳されている[41]。この文献も他のプラーナと同様に宇宙論、系譜学、地理学、神話、伝説、音楽、舞踊、ヨーガ、文化などあらゆるテーマを扱っている[42][43]。バーガヴァタ・プラーナでは、慈悲深い神々と邪なアスラ(悪魔)との戦争でアスラが勝利するところから物語が始まり、そしてその結果としてアスラが宇宙を支配する。ヴィシュヌはまずはアスラと和解し、彼らを理解し、その後に独創的な方法で彼らを倒し、そして希望と正義と自由と善をとり戻す。これは様々な伝説に繰り返し登場するテーマとなっている[44]。『バーガヴァタ・プラーナ』はヴィシュヌ派において特に信仰を集めている[45]。このプラーナに見られるヴィシュヌの活躍は演劇、舞台芸術の世界にも影響を与えており、例えばサトリヤ(英語版)、マニプリ、オリッシー、クチプディ(英語版)、カタカリ、カタック、バラタナティヤム、バーガヴァタ・メーラ(英語版)、モヒニアッタム(英語版)という形で祭りの期間などに上演される[46][47][48]。

ヴェーダやウパニシャッドには見られないことだが、プラーナのいくつかのバリエーションではヴィシュヌが最高神であり、他の神々が依存する存在であると語られる。たとえばヴィシュヌ派のプラーナでは、ヴィシュヌは創造神ブラフマーの根源であるとされる。ヴィシュヌの宗教美術ではしばしばヴィシュヌの臍から伸びる蓮からブラフマーが生まれる様子が描かれる。したがって、ブラフマーは宇宙の全ての物を創造したが、原初の海は創造しなかったとされる[49]。対照的にシヴァ派のプラーナではブラフマーとヴィシュヌはアルダナーリーシュヴァラ(シヴァとパールヴァティの融合した神)から誕生したと語られている。あるいは、ルドラ(シヴァの前身)がブラフマーを創造したり、またはカルパ(宇宙の寿命)ごとにヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが持ち回りでお互いを創造するとされる[50]。

また、ヴィシュヌ派のプラーナの中にはヴィシュヌがルドラ(すなわちシヴァ)の姿を借りて、あるいはルドラに命じて世界を破壊するというエピソードも存在する。その結果宇宙は崩壊し、「時間」とともにヴィシュヌに再吸収される。その後宇宙はヴィシュヌから再び創造され、新しいカルパが始まる[51]。他にも様々な宇宙論が存在し、宇宙はヴィシュヌではなくシヴァに吸収されるのだとするものも存在する[51][52]。

サンガムおよびサンガム以降
詳細は「ティルマル」を参照

幼いときにバターを盗む話、横笛を吹く話など、ヴィシュヌのアヴァターラであるクリシュナにまつわる神話は広範にわたる。これらのテーマは古代や中世に作られた南アジアのコインにも描かれている[53]。また3世紀の詩人、ハラも同じテーマを描いた[54]。
タミル語で書かれた古典文芸、サンガム文学が1世紀から3世紀を中心に盛んになった。これらタミルの文献はヴィシュヌや、クリシュナ、ラーマといったヴィシュヌのアヴァターラ、それからその他、シヴァやムルガン(スカンダ)、ドゥルガー、インドラといった汎インドの神々を信仰した[55]。これらサンガムではヴィシュヌはマヨン(Mayon)と呼ばれる。マヨンは「色の黒い者」を意味し、これは北インドの言葉における「クリシュナ」と同じ意味を持つ[55]。その他にもヴィシュヌを指す言葉としてサンガムには、マヤヴァン(mayavan)、マミヨン(mamiyon)、ネチヨン(netiyon)、マル(mal)、マヤン(mayan)といった言葉を見つけることができる[56]。

サンガム以降、おそらく5世紀に書かれたと考えられているタミルの叙事詩シラッパディハーラム(英語版)とマニメーハライ(英語版)ではクリシュナが主題となっている[57][58]。これらの叙事詩には、例えば幼い時にバターを盗んだ話や、少年期には沐浴をする女の子たちの服を隠してからかった話など、インド各地でそれぞれに発展したクリシュナにまつわる神話の共有が見られる[57][59]。

バクティ運動
5世紀前後に発展したヴィシュヌに関わる様々なアイデアは12世紀以降にインド全土で優勢となるバクティ運動(英語版)(バクティ参照)において重要な意味を持つ。5世紀から10世紀にかけてアールワール(英語版)[注 7]と呼ばれるタミル・ヴィシュヌ派の詩人たちが活躍し、彼らはヴィシュヌを称える歌を歌いながら各地を巡った[61]。彼らはシュリーランガムをはじめとする寺院サイト(巡礼地)の形成に関わり、ヴィシュヌ派の思想を広めた。ディヴィヤ・プラバンダ(英語版)にまとめられた彼らの詩はその後ヴィシュヌ派の重要な聖典へと発展する。『バーガヴァタ・プラーナ』ではバクティ思想を強調する一方でアールワールへの言及が見られ、これらはバクティ思想が南インドに起原を持つとする学説の根拠となっている。ただしこの論拠はバクティ思想が南と北で同時発生した可能性を否定しきれないという指摘も存在する[62][63]。