倭の六県(六御縣、やまとのむつのあがた) | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

倭の六県(六御縣、やまとのむつのあがた)

 

倭の六県 - Wikipedia

 

倭の六県(六御縣、やまとのむつのあがた)は、古代の大和国にあった大王(皇室)の直轄地である。

645年(大化元年)8月5日に、東国の国司とともに使者が派遣され、造籍(戸籍作成)・校田(田畝調査)が行われた[1]。 「六県」は『和名類聚抄』での以下の各郡域に相当する。

曽布(添)県 (そふ) - 添上郡、添下郡
山辺県(やまのべ) - 山辺郡
磯城県(しき、志貴) - 式上郡、式下郡
十市県(とおち) - 十市郡
高市県(たけち) - 高市郡
葛城県(かつらぎ、葛木) - 葛上郡、葛下郡
域内には県名を冠する添御県坐神社(奈良市三碓、奈良市歌姫町)、山邊御県坐神社(天理市別所町、天理市西井戸堂町)、志貴御県坐神社(桜井市三輪金屋)、十市御縣坐神社(橿原市十市町)、高市御県神社(橿原市四条町)、葛木御県神社(葛城市葛木)の式内社が置かれている。

『延喜式』にある27篇の祝詞のうち祈年祭(としごいのまつり)には上記の「六の御県(みあがた)」の名前が見え、蔬菜を献上したとある。六県は奈良盆地の全域を占めるが、広大なものではない。

624年(推古天皇32年)、蘇我馬子は推古天皇に、県の一つである葛城県は蘇我氏の本居(うぶすな)で、(蘇我一族の「臣(おみ)」という)「姓名(かばねな)」もそこに由来するものだから、「封県」に賜りたいと懇願したが、蘇我氏の血をひく女帝から拒絶された、ともある[2]。

脚注
[脚注の使い方]
^ 『日本書紀』巻二十五、孝徳天皇大化元年条
^ 『日本書紀』巻二十二、推古天皇32年10月条
参考資料
高柳光寿・竹内理三編『角川第二版日本史辞典』角川書店、1974年
永原慶二監修『岩波日本史辞典』岩波書店、1999年
関連項目

県主
奈良県
橿原市
平城・相楽ニュータウン
弟磯城
スタブアイコン    
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。

カテゴリ: かつて存在した日本の行政区分日本の律令制古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代の政治橿原市の歴史日本の名数6

 

 

 

 

 

 

 

鴨都波神社 - Wikipedia

鴨都波神社(かもつばじんじゃ)は、奈良県御所市にある神社である。式内社(名神大社)で、旧社格は県社。高鴨神社(上鴨社)・葛木御歳神社(中鴨社)に対して「下鴨社」と称される。

祭神
積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・葛城御歳神社(中鴨社)に対して「下鴨社」とも呼ばれる。事代主神は元々は鴨族が祖神として信仰していた神であり、当社が事代主神の信仰の本源である。大神神社(奈良県桜井市)に祀られる大物主の子に当たることから、「大神神社の別宮」とも称される。

立地
当地は葛城川と柳田川の合流地点である。

歴史
社伝によれば、崇神天皇の時代、勅命により大田田根子命の孫の大賀茂都美命が創建した。一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、弥生時代の土器や農具が多数出土しており、古くから鴨族がこの地に住みついて農耕をしていたことがわかる。

延喜式神名帳では「鴨都波八重事代主命神社 二座」と記載され、名神大社に列している。延喜式巻三「臨時祭」では「鴨神社 二座」と記されている。

大正10年(1927年)に県社に列格した。

文化財
鴨都波神社本殿(御所市指定文化財)-棟札によれば天保12年(1841)の建立とされる。
祭礼渡御図絵馬(奈良県指定有形民俗文化財)
御所の献灯行事(奈良県指定無形民俗文化財)
境内
拝殿
拝殿
 
本殿(御所市指定文化財)
本殿(御所市指定文化財)
外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、鴨都波神社に関連するメディアがあります。
鴨都波神社 - 公式ホームページ
鴨都波神社 - 御所市観光ガイド
鴨都波八重事代主命神社二座 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」

表話編歴
神道
スタブアイコン    
この項目は、神道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 神道/ウィキプロジェクト 神道)。

カテゴリ: 奈良県の神社奈良県の旧県社名神大社大和国の式内社御所市の歴史御所市の建築物賀茂朝臣氏葛城氏加茂神社