軍兎祭  隣組  日独伊三国同盟 枢軸国 と  連合国 昭和15年 1940年9月27日 | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

軍兎祭  隣組  日独伊三国同盟 枢軸国 と  連合国 昭和15年 1940年9月27日

軍兎祭  隣組  日独伊三国同盟 枢軸国 と  連合国 昭和15年 1940年9月27日 

 

皇紀2600年

 

 

 

 

 

『・・・寒冷地で戦う兵士の帽子、防寒着などもウサギの皮だという。政府は今後ますますウサギが必要になると考え、飼育を奨励したのだ。さらにこの頃、軍兎祭(ぐんとさい)という物も行われるようになった。来る九月十六日、兎にちなんだ明月の頃、事変勃発以来皇軍勇士に一身を捧げてきた可憐なウサギの慰霊祭を兼ね、今後一層全国的に兎の飼育を奨励する目的から帝国農会と道府県農会の主催で軍兎祭が盛大に行はれます。(「写真週報」昭和15年9月11日号)慰霊はしつつも、より一層ウサギに戦争協力してもらうための軍兎祭は、昭和15年9月16日に初めて行われた。それから10日ほどだった9月27日には、日独伊三国同盟が調印され、日本は太平洋戦争へと突き進んでいくことになる。』

 

 

以上は以下のサイト『Sake Drinker Diary』から参照。

 

 

【戦時の献立】國民だけでなくウサギまで戦争協力?太平洋戦争直前の雑炊レシピ(昭和15年9月26日)(Sake Drinker Diary) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 

 

【完全栄養食?】隣組にモンペ隊…枢軸国となった日本に「興亜パン」登場(昭和15年10月の戦時の献立)(Sake Drinker Diary) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 


『質素で動きやすいモンペを、戦時下にふさわしい服装として、象徴的にアピールしたようだ。現代風に言えば「意識高い系」とでも表現されるだろうか。もしもこの時代を生きていたら、自分もモンペを履かずにはいられないかもしれない。また日本全国に「隣組」ができたのも、この頃である。隣近所、五世帯くらいが一組になって、協力して生活しようというものだ。空襲に備えて防空訓練や消火訓練が隣組単位で行われるようになった。近所にまわす「回覧板」が始まったのもこの隣組からである。戦費に回すためにいくら貯蓄しましょうとか、食料を自給するために畑を作りましょうとか、さまざまな情報を回覧板で共有した。』

 

以上は以下の『Sake Drinker Diary12/24(日) 16:30』から参照。

【完全栄養食?】隣組にモンペ隊…枢軸国となった日本に「興亜パン」登場(昭和15年10月の戦時の献立)(Sake Drinker Diary) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 

 

 

 

 






皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会 - Wikipedia

皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会(こうきにせんろっぴゃくねんほうしゅくぜんこくキリストきょうしんとたいかい)は、1940年(昭和15年)10月17日の神嘗祭の日に、神武天皇即位紀元2600年を記念するため、青山学院に2万人を集めて開かれた紀元二千六百年記念行事。

大会は宮城遥拝の国民儀礼でもって開始され、この日のために創作された天皇を賛美する「讃美歌」が歌われた。その後集まった会衆はこぞって明治神宮まで参拝した。大会は「吾等は全基督教会の合同の完成を期す」と宣言し、この決議に基づいて日本基督教団が成立した。

なお、日本基督教団の設立は日中戦争中で、宗教団体への政府の統制を目的とした宗教団体法に基づく政府の強い圧力があった。

準備
皇紀2600年を祝賀するにあたり、1939年(昭和14年)12月19日、キリスト教各派代表が会議を開き、1940年(昭和15年)10月17日の神嘗祭を卜して各派協同での大信徒大会を開催することに決した[1]。この大会は「純然たる奉祝を目的とするものであって、一日で終了する」こと。また、これと関連して「各派の総会、修養会、および連盟総会などを開催」し、「地方における教職者と信徒の参加の便宜を計ること」などが協議された[1]。

大会プログラム
午前の礼拝
開会の宣言 司会者:富田満
国歌斉唱(君が代)
宮城遥拝
黙祷
奉祝前奏曲 作曲:木岡英三郎
開会の辞 司会者:富田満
「皇統連綿という無比の歴史に意味があり、日本人の誇りはここにある。キリストの十字架の精神こそ滅私奉公という精神に最も近い。」
讃美歌54番
聖書朗読 黙示録21章1節「我また新しき天と新しき地とを見たり」
祈祷 今泉真幸
「二千六百年の昔に、神武の御門が大和の国をはじめ、皇国の基をすえたまいしことを感謝し奉る。爾来二千六百年の間、列聖相継いで皇国を知し召し給い、大八洲の民草広く深くその御恩に与かりしことを感謝し奉る。将士に一死報国の精神をあたえ、真にあなたの息子息女となることを得しめ給え。斯くすることに由って大君の赤子にふさわしい者とし、皇国の民草としての忠誠を全うさせて下さるように。」
讃美歌350番
説教 阿部義宗
「日本のキリスト教徒は新天新地の黙示を見ている。皇紀二千六百年の皇運を喜ぶ集まりであると共に、日本のキリスト教の歴史におけるペンテコステである。教会合同の黙示は、日本独自の神の恩寵である。」
祈祷 千葉勇五郎の祈り
「一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことを赦して下さるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように。」
聖歌隊「祝祭讃歌」 作曲:岡本敏明
奨励「献金の趣旨」 真鍋頼一
「日本においてキリスト教徒の為すべきことは、大東亜建設の事業である。」
献金
感謝祈祷 白戸八郎
「東亜大陸における伝道事業の為に献金を用い、実を結ばせ給わんことを切に祈る。」
頌栄566番
祝祷 松井米太郎
各種報告を持って、午前の部終了。

午後の祝会
司会:小崎道雄

讃美歌412番
祝祷 三浦豕
聖歌隊「二千六百年奉祝讃歌」
式辞 小崎道雄
「本日全国にあるキリスト信徒相会し、茲に皇紀ある二千六百年を慶祝するの機会を得たことを感謝する。我国が肇国の古より八紘一宇の精神に則り、親展に親展を重ね今日の隆盛を来たしましたことは、是れ偏えに天佑を保有し給う万世一系の天皇の御稜威と、尊厳無比の国体に基づくものであり、この聖代に生を受けたことは感激に堪えない。日本のキリスト教が宣教わずか70年にして今日の進歩を見るに至ったのは、信教の自由を保障したまいし明治天皇の恩による。東亜における指導者として責任を大きさを痛感し、この大使命を全うする為に人力の限りを尽くすのみならず、神に対する信仰を盛んならしめねばならぬと信じる。」
皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会宣言
宣言朗読 額賀鹿之助
神武天皇国を肇め給いしより茲に二千六百年
皇統連綿として禰々光輝を宇内に放つ此栄ある歴史を懐うて
吾等転た感激に堪へざるものあり
本日全国にある基督信徒相会し虔んで
天皇陛下の万歳を寿ぎ奉る
惟ふに現下の世界情勢は
極めて波欄多く一刻の偸安を許さざるものあり
西に欧洲の戦禍あり東に支那事変ありて末た其終結を見ず
此渦中にありて我国は能く其針路を謬ることなく国運国力の進展を見つつあり
是れ寔に天佑の然らしむる処にして
一君万民尊厳無比なる我国体に基くものと信じて疑わず
今や此世界の変局に処し国家は体制を新たにし
大東亜新秩序の建設に邁進しつつあり
吾等基督信徒も又之に即応し教会教派の別を棄て
合同一致以って国民精神指導の大業に参加し
進んで大政を翼賛し奉り尽忠報国の誠を致さんとす
拠って茲に吾等は此記念すべき日に方り左の宣言を為す

一、吾等は基督の福音を伝え救霊の使命を完うせんことを期す
一、吾等は全キリスト教会合同を期す
一、吾等は精神の作興道義の向上生活の刷新を期す。

右宣言す 昭和十五年十月十七日

この歴史的な大宣言が朗読せられ、全会衆の拍手暫し鳴りも止まなかった。

祝辞 内閣総理大臣 近衛文麿(代読)
祝辞朗読 文部大臣 橋田邦彦、東京府知事 岡田周造、東京市長 大久保留次郎
聖歌隊「祝祭賛歌」
奨励 
以下、松山常次郎の奨励。

「神武天皇が大和を御平定遊ばされましてより今日に至りまする迄、大陸の文化に接して我国独特の文化を建設し、王政維新の時には西洋の文明と接触して開国進取の国是を定め、明治天皇の御統率の下に国運隆々として今日に至った。東亜の諸国の指導的地位を確立するに至ったことは誠にお互いに喜ばしく存する所である。近衛内閣の新体制は精神運動であると見ている。明治以来の科学万能主義や功利主義は文明建設のために効果はあったが、弊害も現れてきた。そのため理想主義に対する要求が起こり、まず日本精神運動が起こり、次に新体制運動が起こった。これは精神運動であるからキリスト教は新たに重大なる任を負わされた。即ち、精神、真心がなければ、新体制運動は成功しないと思う。東亜の新秩序の建設、日満支三国の親善提携によって東洋の平和を確立するのであり、精神的紐帯としてキリスト教が必要である事を深く感じる。国内伝道の充実、東亜伝道の拡大にクリスチャンは大いに力を要する。全国三十万のクリスチャンがその力を結集して、この大いなる使命に向かって突進しなければならない。ここに我々は教会合同の必要を感じる。教会合同の力を以って新たにこの使命に向かって突進しなければならない。伝道報国の大いなる責任を感じており、皇紀二千六百年の大会において、伝道報国の一大決心をしたい。」

久布白落実は「興亜奉公という偉大な精神は日本国民に対して火の柱、雲の柱であると信ずる、新体制は十字架の道である」と述べた。

斉藤惣一は「世界無比の国体である我国の歴史に対する感謝の心が湧く。青少年は、第一に若さを祖国に捧げ、純なる若き血、肉、全身を我国のために捧げねばならない。第二に、青少年は大日本帝国の希望である。第三に青少年は大日本帝国の良心であれ。日本帝国の礎となり、日本だけではなく、我らの目は東亜と世界に注がれなければならない。一つの大いなる望み、東亜に世界に新秩序建設の役割を果たさねばならない。」と述べた。

金井為一郎は「忠勇なるわが将兵が戦場に倒れる時には、天皇陛下万歳を唱えて喜んで死んでいくのである。この忠義の精神は万国に比類なきものであり、キリストにおいてさらに高いものとなり、永遠性を帯び、まことに宗教的になることは全世界に貢献すべきところの日本の偉大なる使命の一つである。紀元3世紀の間は教会は一つであり、信者は一致していたが、それより後には政争、戦争となり、教会が分裂し、教派がおこり、内部抗争によって弱り果てた歴史を繰り返してはならない。この機会に教会は一つなろうとする決意をもった。」と奨励。

今井三郎は「爆弾を抱いて敵陣に飛び込む自己犠牲も、友軍の突撃路を開く為に自爆するところの自己犠牲も、共に我が日本人の有する一つの特質である。力は上からの黙示によって得る。」と述べた。

祈祷 
以下、藤崎五郎の祈り。

「新しい天と新しい地の幻を仰がしめ給うて誠にありがたく感謝致します。全ての教派、教会が全く一つになるという出来事を目前に仰がしめ給うて誠に感謝致します。」

以下、小原十三司の祈り。

「栄ある皇紀二千六百年奉祝全国キリスト教信徒大会を恩恵の中に終わらんとしていることを感謝致します。ペンテコステの日のように、清め給わんことを伏して願い奉る。」

頌栄 568番
祝祷 阿部義宗
万歳奉唱 発声 日疋信亮
皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の委員
大会委員長:阿部義宗
大会副委員長:小崎道雄
書記:都田恒太郎
日本基督教団
第二次世界大戦下の1944年(昭和19年)3月26日、日本基督教団は現代の使徒書簡「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を大東亜共栄圏のキリスト教徒に送って呼びかけた。

以下、その一部抜粋。

(略)

 しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。

 かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。その後教団統理者は、畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格の光栄に与り、教団の一同は大御心の有難さに感泣し、一意宗教報国の熱意に燃え、大御心の万分の一にも応え奉ろうと深く決意したのである。

(中略)

 兄弟たちよ。われらはこの慰めとこの希望とを一つにするがゆえに、同じ愛、同じ思念の中に一つとならなければならぬ。隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ。われらはこの信仰とこの愛とを一つにする者共であるから、同じ念い、共同の戦友意識、鞏固なる精神的靭帯に一つに結び合わされて、不義を挫き、正義と愛の共栄圏を樹立するためにこの戦争を最後まで戦いぬかなければならぬ。われらはこのことを諸君に語る前に自分自らに語っている。われらの盟友にして戦友よ!「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(テモテ後書二・三)。

 われらは祈る。キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際、われらがその現実の一日も早からんことを望みてやまざる大東亜共栄圏のすべての兄弟姉妹の上にあらんことを。アァメン。

なお、戦後の1967年(昭和42年)、軍部・政府の圧力に屈したことの反省と撤回の意味で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が行われた。

補註
^ a b 『日本福音ルーテル教會史』(ルーテル社、1954年) 383頁。
参考文献
『皇紀二千六百年と教会合同』日本基督教連盟編纂
『日本福音ルーテル教會史』福山猛編纂、日本福音ルーテル教會発行、1954年(昭和29年)4月30日
『キリスト者であることと日本人であること』井戸垣彰 いのちのことば社
関連項目
日本基督教団
日本福音ルーテル教会
表話編歴
日本のキリスト教史
表話編歴
日本基督教団
カテゴリ: 皇紀2600年キリスト教の運動戦前日本のキリスト教日本基督教団の歴史青山学院大学1940年10月






日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰 - Wikipedia
日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰(にほんキリストきょうだんよりだいとうあきょうえいけんにあるキリストきょうとにおくるしょかん)は、日本基督教団を代表する公同的使徒的書翰の第一信として発表された、現代の使徒書翰である[1][2]。1944年3月26日発出。

戦後の1967年、撤回の意味で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が行われた。

第1章
神の恩寵によって、一国一教会となれる日本基督教団およびそれに属するもろもろの肢は、東亜共栄圏内に在る主にありて忠信なるキリスト者に挨拶を送る。

日本基督教団と大東亜共栄圏のキリスト教徒とを一つに結ぶ鞏固なる紐帯が二つある。一つは、白人種の優越性という聖書に悖る思想の上に立って、アジア人を人種差別待遇の下に繋ぎ留め、東亜の諸民族に向かって王者のごとく君臨せんと欲する、共通の敵、米英に対する戦いである。もう一つはキリストを信じていることである。

第2章
全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体であるという事実を、信仰によって判断しつつ、日本基督教団を信頼するように求める。正義と共栄との美しい国土を東亜の天地に建設することによって神の国をさながらに地上に出現させることは、われらキリスト者にしてこの東亜に生を享けし者の衷心の祈念であり、最高の義務であると信ずる。

第3章
内村鑑三は、「世界は畢竟キリスト教によりて救わるるのである。しかも武士道の上に接木せられたるキリスト教に由りて救われるのである」と喝破した。彼こそは、欧米の特に米国の宣教師が成功と称して勢力と利益と快楽とを追求する信仰を非信仰として排斥し、宣教師の一日も早く日本より退散して、日本人の手による日本国自生のキリスト教の必要を叫んだ先覚者である。

大東亜には大東亜の伝統と歴史と民族性とに即した「大東亜のキリスト教」が樹立さるべきである。

第一世代の沢山保羅、新島襄、本多庸一、植村正久、海老名弾正、小崎弘道等みな純然たる日本武士が、この教えを聴くに及んで、その中に日本武士道に通ずる深い奥義の秘められてあることを悟り、信仰と自覚との下に、御言葉をこの国土と同胞との間に持ち運ぼうと深く決意した。

日本における『使徒行伝』は彼ら初代伝道者先覚者たちによって綴られていった。キリスト教は日本武士道に接樹され、儒教と仏教とによって最善の地ならしをされた日本精神の土壌に根を下ろし花を開き結実していったのである。

第二、第三世代の後継者たちも、個人主義・自然主義・社会主義・無政府主義・共産主義などに戦いを挑み、キリストの真理を護り、肇国の大義に生き抜いた。

そして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。

このような経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。

これは日本の国史に照らし合わせても一大盛事と謂うべきものであり、これを古より闘争に終始した西欧の教会史に照らし合わせても、まことに主の日の予兆の大なる標識というべきであろう。

第4章
日本基督教団は敬愛する兄弟に呼びかける。

兄弟たちよ。われわれはこのキリストを証しする証人であり、彼の体であるということを銘記しようではないか。

日本基督教団と大東亜の兄弟たちは、この慰めとこの希望とを一つにするがゆえに、同じ愛、同じ思念の中に一つとならなければならぬ。隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ。われらはこの信仰とこの愛とを一つにする者共であるから、同じ念い、共同の戦友意識、鞏固なる精神的靭帯に一つに結び合わされて、不義を挫き、正義と愛の共栄圏を樹立するためにこの戦争を最後まで戦いぬかなければならぬ。

「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(テモテ後書二・三)。

祝祷 キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際、われらがその現実の一日も早からんことを望みてやまざる大東亜共栄圏のすべての兄弟姉妹の上にあらんことを。アァメン。

現代の使徒書翰
この書翰はバルト主義者の山本和、桑田秀延、熊野義孝が原案を作成し、1944年(昭和19年)復活節の日に、日本基督教団教団統理者富田満の名前で、大東亜共栄圏のキリスト教徒のために贈られた。

脚注
^ 日本基督教団統理者富田満による序文「教団を代表する公同的使徒的書翰」「日本基督教団の現代的使徒書翰は、本書が第一信であって、続いてしばしば書翰を送る計画である。望むらくは諸君がこれらの書翰を隔意なく迎えて、これを文字通りに解釈して、我らの志を理解し、信望愛を同じうせられんことである。」1945年復活節
^ 『日本基督教団新報』論説「現代の使徒書翰」
出版
『日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰』日本基督教団 1944年11月25日発行、代表者:鈴木浩二、印刷所:日東印刷株式会社
関連項目

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日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰原文
日本基督教団
富田満
表話編歴
日本のキリスト教史
カテゴリ: キリスト教の歴史戦前日本のキリスト教日本基督教団の歴史書簡日本のアジア主義太平洋戦争1944年の日本1944年4月






第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 - Wikipedia
第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(だいにじたいせんかにおけるにほんきりすときょうだんのせきにんについてのこくはく)は、1967年3月26日(復活主日)に日本基督教団執行部(鈴木正久総会議長)から出された告白である。

概要
1951年、冷戦の激化や旧日米安全保障条約締結による平和への危機感を背景として、「キリスト者平和の会」が結成された。その発足の中で、第二次世界大戦における日本のキリスト者の過ちを認めた。過ちとは日本基督教団が政府に同調して戦争遂行に協力したことであり、また、アジアの諸国の教会と日本の同胞に向けられていた。

1965年の日韓基本条約締結後に、戦時下の韓国の教会の日本による統治支配に対する抵抗運動などが念頭に置かれている。

1966年教団創立25周年に際して、教団夏期牧師講習会で戦時下の教団の戦争責任が若手教職を主体に問題提起されて、討論された。

当時の日本基督教団総会議長の鈴木正久や大塩清之助らが草起委員となって、1966年10月26日の第14回教団総会に戦争責任に関する建議案を提出した。総会決議を受けて、常議員会で審議して、1967年3月26日の復活主日に鈴木の名前で発表された。これは、23年前の1944年に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表した同じ日であり、それを打ち消す意味でこの日を選んだ。

この戦責告白は、若年世代の教職と信徒を中心に積極的に支持されたが、反発するグループもあり、その反対派は鈴木に要望書を提出した。

その要望書は、

当時の置かれている厳しい状況を、戦後の平和な時代の人が一方的に非難することは不当であること。
この告白は日本基督教団の成立の摂理を否定することになる。
戦責告白が常議員会で満場一致ではなく多数決によってなされたという手続き上の問題。
などの内容である。

このような教団内の意見を収拾するために、常議員が選任した五人委員会が活動して、事態の収拾を図った。

この告白は、韓国、台湾、フィリピンなどのアジアの諸教会からは積極的な評価を受けた。

1967年9月に鈴木正久は韓国と台湾の教会を訪問し、戦後本格的な交流が始まった。

教団の戦争責任についての告白は、偶像崇拝の罪に触れていないことが指摘されている[1]。また日本基督教団関東教区は、内容に罪責告白がないことを理由に、独自のそれを行なっている[2]。

脚注
^ 山口陽一『日本開国とプロテスタント宣教150年』第五回日本伝道会議 p.20
^ 日本基督教団罪責告白
参考文献
中村敏「日本キリスト教宣教史」いのちのことば社、2009年
関連項目
日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰
第二次世界大戦
日本の戦争責任
外部リンク
第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 (Confession on the Responsibility during WWII) - 日本基督教団
表話編歴
日本のキリスト教史
表話編歴
日本基督教団
カテゴリ: 日本基督教団の歴史1967年の日本1967年3月キリスト教の信仰と教義