Next Stop, Greenwich Village | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

Next Stop, Greenwich Village

ヴィレッジ・ヴァンガード (Village Vanguard) は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン区グリニッジ・ヴィレッジに所在するジャズクラブ。初代オーナーはマックス・ゴードン。住所は7番街 178番地。

1935年に開店した当初は前衛芸術家の発表の拠点だったが、1940年代後半からジャズのライブを行うようになり、ジャズ界の名門クラブとして知られるようになった。1957年11月3日、ソニー・ロリンズがここで『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』を録音し、以後ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンなど著名なジャズ・アーティスト多数が、優れたライブ録音を残した。

1989年にマックスが他界してからは、妻のロレイン・ゴードンが経営を引き継ぐ。

ヴィレッジ・ヴァンガード - Wikipedia

 

 

グリニッジ・ヴィレッジ - Wikipedia

グリニッジ・ヴィレッジ (Greenwich Village) は、ニューヨーク市マンハッタン区ダウンタウンにある地区の名称である。多くは「ウエスト・ヴィレッジ」と呼ばれる地区とも重複する(下記「ヴィレッジの呼称」および「ウエスト・ヴィレッジ」を参照)。

ここには、セントラル・パークと並んで有名な公園であるワシントン・スクエア公園、大規模私立大学のニューヨーク大学 (NYU)、ジャズで有名なライブハウスヴィレッジ・ヴァンガードなどがある。

19世紀末期から20世紀半ばにかけて、このエリアは「芸術家の天国」や「ボヘミアニズムの首都」として知られていた。ここはビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーの東海岸における中心地であった。20世紀半ばより高級化現象が始まり、アーティストたちはソーホーやトライベッカへと流出していった[4][5]。

1969年にウエスト・ヴィレッジで起きた「ストーンウォールの反乱」をきっかけに、その現場となった店舗ストーンウォール・インとクリストファー・パークなどを含む3.1haのエリアに「Stonewall National Monument」という名称が付けられ、LGBT関連の施設として初めて、国の史跡「アメリカ合衆国ナショナル・モニュメント(国定文化遺産保護地域)」に指定された[6][7]。

グリニッジという名前は、オランダ語で「緑の地区 (Green District)」を意味するGroenwijckが英語化されて生まれたものである[8][9]。「Greenwich」の発音は、「グレニッチ」([ˈɡrɛnɪtʃ] GREN-itch)とされるが、前半は「グリ(ン)-」([ˈɡrɪn-] GRIN-)とも発音され、後半は「-イッジ」([-ɪdʒ] --ij)とも発音され、また、「ヴィレッジ」のウ濁音の表記も絡み、日本語における表記にも、グリニッチ・ヴィレッジ、グリニッチ・ビレッジなど様々な揺れがある。

ヴィレッジの呼称
ウエスト・ヴィレッジとは、グリニッジ・ヴィレッジの中で特に6番街より西のエリアを指す。

サウス・ヴィレッジ (en) とは、グリニッジ・ヴィレッジの中で特にワシントン・スクエア公園より南のエリア(およびソーホーの西のエリア)を指す。

イースト・ヴィレッジとは、グリニッジ・ヴィレッジに隣接するブロードウェイより東のエリアを指し、グリニッジ・ヴィレッジとエリアの重複はない。

ノース・ヴィレッジと呼ばれるエリアは、ニューヨーク市にはない。

ニューヨーク市では、単に「ヴィレッジ」と言うとき、一般には「グリニッチ・ヴィレッジ」のことを指す。一方の「ウエスト・ヴィレッジ」、「イースト・ヴィレッジ」、「サウス・ヴィレッジ」は、常に省略なしで呼称され区別される。

位置
境界および隣接する地区
方角    区境    地区名
東    ブロードウェイ    イースト・ヴィレッジ
西    ウェストサイド・ハイウェイ    ハドソン川
南    ハウストン ストリート    ソーホー
北    14丁目    チェルシー
概要
グリニッジ・ヴィレッジは、北は14丁目、南は ハウストン通り、東はブロードウェイ、西はハドソン川に囲まれた地域である。

地区の中心にはワシントン・スクエア公園があり、そこから5番街が北に伸びている。ニューヨーク市で都市計画(1811年委員会計画)が始まる前から住宅地が形成されていたため、新規の街路整備計画からは除外され、14丁目以北に見られるような碁盤目状(グリッド)にはなっていないのが特徴。17世紀の間は、ニューヨーク市の市街地はもっと南側のみであり、このあたりは郊外のハムレット(市に組み込まれていない村落)であるグリニッジ村 (village of Greenwich) だった。

特に6番街より西のウエスト・ヴィレッジ内の通りは、1811年委員会計画による通りのパターンと大きく異なっている。1914年に7番街が11丁目から南へ延伸された際は、ウエスト・ヴィレッジの中心を貫き、多くの歴史的建造物が破壊された。この地区は、19世紀の町並みが今も残るため、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。

北西のハドソン川に隣接する辺りはミート・パッキング・ディストリクト (Meat Packing District) と呼ばれ、個性的なレストランやナイトクラブなどが年々増えている。

歴史
16世紀、ネイティブ・アメリカンはこの地区の北西の端、現在のガンゼヴォート・ストリートあたりにあった入江の周辺をSapokanikan ("tobacco field") と呼んでいた。17世紀になってヨーロッパ人がマンハッタンに入植してきて、1630年代にオランダ人と解放された黒人奴隷によりこの土地は牧草地に転換された。彼らはその定住地をNoortwyckと呼んだ。1630年代、en:Wouter van Twiller総督はこの地の"Farm in the Woods" (200エーカー (0.81 km2)) にタバコを栽培した[10]。1664年にイギリスがオランダに代わってニューヨークの支配圏を獲得し、グリニッジ・ヴィレッジはロウアー・マンハッタンにあったニューヨーク市の市街地から隔てられた郊外のハムレット(市に編入されていない村落)として発展してきた。

"Greenwich"という地名が使われた知られている最も古い文献は1696年のwill of Yellis Mandeville of Greenwichであるが、ニューヨーク市の公式の文書では1713年に記述が登場する[11]。

1797年から[12]1829年まで[13]、この村にはニューヨーク州の最初の刑務所Newgate Prisonが置かれていた(現在のハドソン川と10丁目[12]、クリストファー・ストリートピアのあたり[14])。

この地区に現在も残る最古の建物はIsaacs-Hendricks House (77 Bedford Street) で、1799年に建設され、1836年と1928年に増築された.[15]。

19世紀になってもワシントン・スクエアはグリニッジ・ヴィレッジとは別の地区とみなされていた。19世紀後半にワシントン・スクエア公園が建設され、またグリニッジ・ヴィレッジは多くのアーティストが住むボヘミア的な雰囲気のエリアとなった。これは20世紀半ば頃、このエリアが高級化してアーティストが流出するまで続いた。

関連項目
ヴィレッジ・ピープル
ヴィレッジ・シンガーズ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


グリニッチ・ビレッジの青春 - Wikipedia

『グリニッチ・ビレッジの青春』(Next Stop, Greenwich Village)は、1976年に公開されたアメリカ映画。1950年代のニューヨークを舞台とした青春ドラマである。脚本・監督をポール・マザースキーが務め、レニー・ベイカー(英語版)、シェリー・ウィンタースらが出演した。

あらすじ
1953年。ブルックリン出身のユダヤ系アメリカ人のラリーはスターを夢見る青年。ラリーは母親の異常なまでの過保護さを免れグリニッチ・ビレッジに移り住む。そこには彼と同じように俳優や画家などを夢見る若者たちで溢れていた。早速ラリーにも仲間が出来る― 風変わりなコニー、自殺未遂を繰り返すアニタ、気分屋の詩人ロバート、ゲイで黒人のバーンスタイン、そしてラリーの彼女となるサラ。彼らが役者としてハリウッドを目指すラリーの新しい家族となる。

スタッフ
監督 - ポール・マザースキー
脚本 - ポール・マザースキー
製作 - ポール・マザースキー、アンソニー・レイ
撮影 - アーサー・オーニッツ(英語版)
衣装 - アルバート・ウォルスキー
編集 - リチャード・ハルシー(英語版)
音楽 - ビル・コンティ
キャスト
ラリー・ラピンスキー - レニー・ベイカー(英語版)(徳丸完)
フェイ・ラピンスキー - シェリー・ウィンタース(寺島信子)
サラ - エレン・グリーン(弥永和子)
アニタ - ロイス・スミス(藤夏子)
ロバート - クリストファー・ウォーケン(野島昭生)
バーンスタイン - アントニオ・ファーガス(千田光男)
ベン・ラピンスキー - マイク・ケリン(上田敏也)
ハーブ - ルー・ジャコビ(英語版)(飯塚昭三)
クライド・バクスター - ジェフ・ゴールドブラム
ニック・ケスラー - ビル・マーレイ (ノンクレジット)
パーティーの男 - スチュワート・パンキン(英語版) (ノンクレジット)
ハウスレントパーティーの男 - ヴィンセント・スキャヴェリ (ノンクレジット)
批評・その他
批評は概して良い。北米の大手レビュー・サイト「Rotten Tomatoes」では、スコアは11レビューで100%である[1]。本作は、本作同様ニューヨーク市を舞台とした1953年のスタンリー・キューブリック監督作品『恐怖と欲望』で役者としてデビューしたマザースキー監督自身の自伝的物語である。尚、本作は1976年の第29回カンヌ国際映画祭に出品された[2]。

脚注
^ “Next Stop, Greenwich Village (1976)”. rottentomatoes.com. 2011年1月16日閲覧。
^ “Festival de Cannes: Next Stop, Greenwich Village”. festival-cannes.com. 2009年5月8日閲覧。
関連項目
セルロイド・クローゼット
外部リンク
グリニッチ・ビレッジの青春 - allcinema
グリニッチ・ビレッジの青春 - KINENOTE
Next Stop, Greenwich Village - オールムービー(英語)
Next Stop, Greenwich Village - IMDb(英語)
カテゴリ: 1976年の映画アメリカ合衆国の青春映画20世紀フォックスの作品ニューヨーク市を舞台とした映画作品ニューヨーク市で製作された映画作品ビル・コンティの作曲映画1950年代を舞台とした映画作品