cakravartiraajan चक्रवर्तिराजन् | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

cakravartiraajan चक्रवर्तिराजन्

cakravartiraajan

 

 चक्रवर्तिराजन्

回転する輪

輪っか

 

太陽かな

なんでしょうね

 

金輪際

 

風輪水輪金輪九山八海須弥四州

 

 

「金輪宝

 

金輪王のもつ七宝の一

その王の前にある

金輪王を善導する

 

 

 

 

 



こん‐りん【金輪】

(「こん」は「金」の呉音)
[1] 〘名〙 仏語。
① 仏教の世界観で地下にあって大地を支える三輪の一つ。風輪、水輪の上にあるもの。この上に九山、八海、須彌四州(しゅみししゅう)があるという。地輪。金剛輪。
※源平盛衰記(14C前)五「三観之隙、必専二金輪之久転一」 〔倶舎論‐一一〕
② 「こんりんほう(金輪宝)」の略。〔雑譬喩経〕
[2] 「こんりんおう(金輪王)」の略。
※古今著聞集(1254)二「是非二愚身戒徳一、金輪御信力所レ為也」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「金輪」の意味・読み・例文・類語
こん‐りん【金輪】
仏語。
1 三輪・四輪の一。水輪の上位にあり、この上に九山八海くせんはっかいを支える。地輪。
2 《「金輪宝」の略》金輪王のもつ七宝の一。その王の前にあり、金輪王を善導するという。
「金輪王」の略。
かな‐わ【金輪/▽鉄輪】
1 金属製の輪。
2 足のある、鉄製の輪。五徳ごとく。
3 鉄製の車輪。
「やがて母と兄は下に待っている俥くるまに乗って…―の音を鳴らして去った」〈漱石・行人〉
4 紋所の名。輪形をいくつか取り合わせたもの。三つ組金輪・五つ金輪など。
[補説]曲名別項。→鉄輪
出典 小学館デジタル大辞泉


;;;

 

秀吉さんは日輪の子だったし

秀吉さんは東照権現輪転王





転輪聖王(てんりんじょうおう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)

(Cakravarti-rāja の訳語) 仏語。四天下を統一して正法をもって世を治める王。輪宝(戦車のようなもの)を転じて敵対するものを降伏させるところからこの名があるが、輪宝の種類(金・銀・銅・鉄)によって金輪王ないし鉄輪王の差があり、その統治する世界にも四州ないし一州の差がある。また、輪宝のほかに六宝を有し、身に三十二相をそなえ、出世間の仏と対比される。これらの王が出現するときについては、金輪王は人間の寿命が無量から八万歳の間に出現し、鉄輪王は人寿一〇〇歳のとき、他はその間で一定しないという。転輪王。輪王。転輪。
※十住心論(830頃)二「閻浮提内転輪聖王出二現世一時」 〔金剛経〕
出典 精選版 日本国語大辞典

 

 

 

 

 



古代インドの伝記上の理想的帝王のこと。単に転輪王または輪王ともいう。この王が世に現れるときには天の車輪が出現し,王はその先導のもとに武力を用いずに全世界を平定するとされるところから,この名がある。サンスクリットのチャクラバルティンCakravartinまたはチャクラバルティラージャCakravartirājaの訳。仏典では,この王は輪宝,白象(びやくぞう)宝,紺馬(こんめ)宝などの七宝を有し,また仏と同じ〈三十二相〉(32の身体的特徴)を備えているとされ,世俗世界の主として,真理界の帝王たる仏にもたとえられる地位を与えられている。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

 

 

 



…その中でマガダ国は近隣諸国を併合して最も有力な国家となり,その国家体制を完成させたのがマウリヤ朝の古代統一国家である。この発展過程で,ヒマラヤから大洋に至る広大なインド亜大陸はひとつの世界として意識され,ひとりの国王(チャクラバルティンCakravartin,転輪聖王(てんりんじようおう))が支配するのが理想とされた。だがマウリヤ帝国以後,グプタ帝国などの強大な王国が見られたが,南北インドを統一支配するヒンドゥー国家は出現せず,諸王朝の分立割拠が一般的状況となり,各王朝はそれぞれ地方の社会と文化と密着したものとなった。…

【優曇華】より
…ウドゥンバラは学名をFicus glomerata Roxb.といい,クワ科に属する植物でイチジクの1種であるが,花がくぼんだ花軸の中にあって,外からは見えない。このためインドの伝説では,3000年に1度しか花を開かない,あるいは,如来や転輪聖王(てんりんじようおう)が出現した時だけ花を開くといわれた。仏教の経典では仏や仏の教えに遭いがたいことのたとえとして常套的にこの語が用いられている。…

※「転輪聖王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

 

 

須弥山 - Wikipedia


古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されている。この山は、地球の北半球という説もある。

インドで形成された宗教のうち、とりわけ仏教が中国や日本に、ヒンドゥー教がインドネシアなどに伝播するにともない、この世界観も伝播した。ジャワ島にはスメル山という名の山もあり、別名はマハ・メル山(偉大なるメル山を意味する)である。仏教が説いた須弥山の概念は、近世以前の東アジアの人々の世界観に大きな影響をあたえ、頂上にある忉利天と並び、詩や物語の題材となった[3]。須弥山を主題として扱った日本の文学作品の例としては、『梁塵秘抄』『今昔物語集』『拾遺往生伝』『日本霊異記』などが挙げられる。

仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金の山と鉄囲山(てっちさん)[注釈 1]があり、その間に八つの海がある。これを九山八海という。

「須弥」とは漢字による音訳で、意訳は「妙高」という。

玄奘のころから須弥山がチベット高原、それを取り巻く四大大陸は南アジア、西アジア、北アジア、東アジアと考えられてきた。なお、須弥山の頂上には帝釈天(インドラ)が住んでおり、その上空には修行を極めた者のみが行ける世界が広がっているとされたため、インドの行者はガンジス川を遡ってチベットを目指した[4]。





「忉利天」も参照
鎌倉時代の日蓮によると「須弥山は上下十六万八千由旬の山なり(聖愚問答抄)」 とあるように、上と下に分割されるものと認識していることが分かる。大きさのスケールからも、これは地球の北半球と南半球と考えることが妥当で、仏教の知識人は地球を地球としてしっかり認識していたことが分かる。また月の大きさにも言及しており、「譬えば天月は四万由旬なれども(千日尼御前御返事)」とあるように、比率的には、須弥山と月の大きさは大体4:1であり、須弥山が地球そのものであることを裏付けている。また、閻浮提は四つの区分のうちアジアであるという根拠は「問うて云く月氏漢土に於て仏法無きことは之を知れり、東西北の三洲に仏法無き事は何を以て之を知る、答えて云く法華経の第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、内の字は三洲を嫌う文なり(顕仏未来記)」にある。

5世紀頃までに成立した『倶舎論』によれば、(論は人師の説なので厳密には仏説とは見なされないが)風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最下面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際(こんりんざい)という。なお、このことが俗に転じて、物事の最初の最後までを表して金輪際と言うようになった。

金輪のうえ、鉄囲山(てっちせん)の内縁にたたえた海水に浮かぶ須弥山に向かって、東には半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、(あるいは勝身洲)[注釈 2]、南に三角形の贍部洲[注釈 3](南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)[注釈 4]、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう)[注釈 5]がある。南に位置する贍部洲(せんぶしゅう)は我々が住んでいる世界のインド亜大陸を示している。

また、贍部洲と須弥山の間には、外縁から内部の順に、尼民達羅山、象耳山、馬耳山、善見山、檐木山、持軸山、そして持双山が須弥山を囲むようにそびえている(九山八海)[2]。

須弥山中腹には日天と月天がまわっている。須弥山の高さは八万由旬[注釈 6]といわれ、中腹には、下から恒憍天、持鬘天、堅手天、そして四大王天がおり、ここを住みかとしながら四洲を守っている[8][9]。これらの住みかは四層状になっていて、山の中腹から四周にはみ出たヴェランダ構造になっているとされる[10]。四天王の眷属たちは、他の山々や、太陽や月に植民している。さらにその上の山頂の忉利(とうり)天には帝釈天と他三十二天が住むという[11]。

須弥山の頂上から80,000ヨージャナ上には、夜摩天とその眷属が住み処とする空中宮殿がある。さらにその天宮の上には、同様の構造を持つ兜率天、化楽天、他化自在天の住み処があるとされる[12]。

須弥山には甘露の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。













 

 

 

 

 

 


転輪聖王 - Wikipedia

 



転輪聖王(てんりんじょうおう、転輪王とも)は古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。サンスクリット語ではチャクラヴァルティラージャン(cakravartiraajan चक्रवर्तिराजन्)或いは単にチャクラヴァルティン(cakravartin चक्रवर्तिन्)という。チャクラは「輪」、ヴァルティンは「動かすもの」の意味。


転輪聖王たる者は輪宝を転ずるとされるが、それがいかなる起源を持つものかについては定説が無い。起源論としては、インドラ神の力を象徴する戦車の車輪とする説や、世界を照らす日輪(太陽)とする説、或いは輪状の武器チャクラムとする説や、マンダラを表すという説もある。

この輪宝は理想的な王である転輪聖王の無限の統治権のシンボルであった。ヴェーダ時代(紀元前2千年紀)半ば以降から輪を王権のシンボルとする観念はインド世界に存在し、転輪聖王の概念もその延長上にあるものである。バラモン教においてもこの観念は継承されたが、「転輪聖王」の概念がよりはっきり形成されたのは、寧ろインドにおける非正統派宗教である仏教やジャイナ教においてであった。転輪聖王に関する記述は『転輪聖王師子吼経』や『大善見王経』といった仏典の随所に登場する。

転輪聖王観
仏典の記述によれば、転輪聖王の概念とは大雑把に以下のようなものであった。

世界は繁栄と衰退の循環を繰り返し、繁栄の時には人間の寿命は8万年であるが、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。その後、人間の徳は回復し、再び8万年の寿命がある繁栄の時代を迎える。転輪聖王が出るのはこの繁栄の時代であり、彼は前世における善行の結果転輪聖王として現れる。仏陀と同じ32の瑞相を持ち、4つの海に至るまでの大地を、武力を用いる事無く[1]、法の力を以って統治する[1]。

転輪聖王には金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王の4種類がある。鉄輪王は鉄の輪宝を持ち、(古代インドの世界観で地球上に4つあるとされた大陸のうち)1つの大陸を支配する。同様に銅輪王は銅の輪宝を持ち、2つの大陸を、銀輪王は銀の輪宝を持ち、3つの大陸を支配する。そして最上の転輪聖王である金輪王は、金の輪宝を持ち、4つの大陸全てを支配するという。

また、法(ダルマ)に則った統治を強調するものとして、「輪王はまさに法に依り、法を敬い、法を重んじ、法を尊び、法を幡とし、法を旗印とし、法を第一としてクシャトリヤたち、家臣達、軍隊、バラモン・ガハパティ達、市民、地方民、シャモン・バラモン達、獣類、鳥類に対し、法にかなった守護、庇護、保護を加える。」とする記述もある。

転輪聖王は、寿命の尽きる前に、王宮の上の輪宝が離れ去るのを見て、王子に位を譲り、出家する。出家の7日後に輪宝は忽然と消えてしまう。新王がこれを元の王である父に問うと、父は輪宝が父祖伝来の物ではなく、王自身の功徳によって齎されるものであると説く。これを新王が聞き入れて法に則った統治を行うと、満月の夜に再び輪宝が空中に現れるのだという。

転輪聖王が出家せずに王位にあるまま死んだ場合には、その遺体は大衆の手で仏陀の遺体と同じように丁重に扱われ、遺骨は大塔に収められる。

この転輪聖王の時代が終わると、再び世は暗黒の時代へと移行していくという。

転輪聖王の七種の宝、四種の神徳
転輪聖王は各種の宝と徳性を持つと言う。

輪宝(チャッカラタナ cakkaratana):四方に転がり、王に大地を平定させる。
象宝(ハッティラタナ hatthiratana):空をも飛ぶ純白の象。
馬宝(アッサラタナ assaratana):空をも飛ぶ純白の馬。
珠宝(マニラタナ maniratana):発する光明が1由旬にも達する宝石。
女宝(イッティラタナ itthiratana):美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃。
居士宝(ガハパティラタナ gahapatiratana):国を支える財力ある市民。
将軍宝(パリナーヤカラタナ parinayakaratana):賢明さ、有能さ、練達を備えた智将。
以上の7つを七宝と言う。また四種の神徳を持つと言う。

美貌
長寿
少病少悩
バラモン・ガハパティからの敬愛と彼らに対する慈愛
実際の王達の転輪聖王観
インドにおいて、転輪聖王観が実際の政治に影響を与えた例として、先ず挙げられるのは、マウリヤ朝の王アショーカである。ただし、転輪聖王の観念と、アショーカ王のダルマの政治がどのような関係にあったのかは、はっきりとはしない。「ダルマによって統治する」というアショーカ王の理想は、仏典における転輪聖王観に非常に近いものであるが、アショーカ王の時代に既に転輪聖王観が形成されていたことをはっきりと証明するものはない。マウリヤ朝という巨大帝国の成立を背景として、全てを支配する理想王としての転輪聖王観が成立したのだという説がある一方、既に形成された転輪聖王観に影響されてアショーカがダルマの政治を始めたのだという説もある。

確実に転輪聖王を名乗った王としてはチェーティ朝の王カーラヴェーラがおり、彼は転輪聖王(チャクラヴァルティン)の他にも、「チャクラ」を含む多数の称号を名乗っている。ただし、カーラヴェーラの用いたこれらの称号は、前後の文脈や彼自身の事跡とあわせて考えると、理想王としての転輪聖王よりも、王の持つ権力の象徴としての「チャクラ」であったといわれている。

東南アジアでは、王の正式名称の一部に使われたり、チャクラパット(アユタヤ王朝の王)という風に現地の訛ではあるが、直接に語が名前に使われたりもした。大般若波羅蜜多経にもこの言葉があり。チベット仏教圏では、元のクビライ、北元のアルタン・ハーン、清の歴代皇帝たちが転輪聖王に擬せられていた。

関連項目
ダルマラージャ
文殊皇帝
百億の昼と千億の夜
参考文献
『中村元選集「決定版」 第6巻 インド史II』春秋社、1997年、[要ページ番号]頁。ISBN 978-4393312063。
『古代インドの王権と宗教』刀水書房、1994年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-88708-174-X。
出典
^ a b 「転輪聖王」 - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、Britannica Japan。
表話編歴
仏教
カテゴリ: 原始仏教チベット仏教仏教哲学の概念チベットの歴史東アジア史中央ユーラシア史