Frère Fiacre de Sainte-Marguerite  | mmfjtoのブログ  ~なぜなら ぼくは、どうしようもないくらい汚れ腐ってますから~

Frère Fiacre de Sainte-Marguerite 

今日は、マグダラのマリアの祝日なんだ。

マグダラのマリアねーちゃんは、イエズスが復活して天国に戻ってから、ラザロとマルタと、二人のマリア(アルフェオのマリアとマリア・サロメ)、そして侍女のサラと執事のマクシマンと一緒にフランスのアルルの近くサント=マリ=ド=ラ=メールにイスラエルからボートに乗ってたどり着いたんだ。


その後、マグダラのマリアは、サン・ボームっていう所で、ボームというのは洞窟っていう意味なんだけど

長いこと観想生活を送っていたんだ。フランスには、ラザロやマルタが布教したところでもあるんだ。


フランスは、そういう意味でも、カトリックとは関係がとても深いところなんだ。

なので教会の長女っていわれているんだ。



歴代のフランス王は、カトリックなんだけれど、ルイ13世からルイ14世にかけてフランスは権力が拡大されていくけれど、いろいろ神の恵みがあってのことだったんだ。




フィアクル修道士さん


1637年10月27日

スペインで結成された跣足アウグスティヌス会がフランスにも修道院を作ろうとして、ルイ13世に経済的に支援を求め、ルイ13世はラ・ロシェルの戦いで勝利したことを聖母に感謝するために「勝利の聖母」と名付けた教会を造ることを条件に支援したんだ。


そして、勝利の聖母教会で、跣足アウグスティヌス会のフィアクル修道士が、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュに、世継ぎがないことを気にかけて15年間祈りつづけていたんだ。


フィアクル修道士は15才で修道会に入るんだけれど、その後、病気になってしまい、薬や治療の費用をすべて女王のアンヌ・ドートリッシュから支援されて回復したんだ。


その感謝のしるしに、マリアママに国王夫妻に子供が授かるように祈っていたんだ。

后のアンヌ・ドートリッシュは、二回か三回か、子供を流産していて、結婚してから20年以上子供に恵まれなかったんだ。


1637年10月27日もいつものようにフィアクル修道士が、勝利の聖母のマリアママに祈っていたんだ。
そしたら、マリアママが来てくれて、人々が彼女のために、三つのノヴェナを私に捧げるならば女王は子供を宿す恵みを得るでしょうと教えてくれたんだ。


その三つのノヴェナとは、プロヴァンスのコテニャックの恩寵の聖母、ノートル・ダム・ド・パリ、勝利の聖母、にそれぞれ9日間の祈りマリアママの栄誉のために捧げて欲しいという話だったんだ。


フィアクル修道士は、実際は、マリアママが二年前に来て同じ話をしていたんだけれど、無視していたんだ。

なので今度は、すぐに行動を起こして、自分の上長にマリアママの訪問の話をしたんだ。


でも、上長は、すぐに信じてくれなくて、疑いをもたったんだ。



それから6日後の11月3日、フィアクル修道士がいつものように祈っていると、赤ちゃんの泣き声がして、その声がどこからしてくるのかと聞き入っていると、星が散りばめられた白い服の上に青いローブを身に着け、三重冠をかぶり、肩まで髪が垂れ下がったとっても綺麗で美しいマリアママが赤ちゃんを抱っこして、椅子に座っていたんだ。そして、抱いている赤ちゃんは、イエズスではなくて、神がこれからフランスに与えようとしている王子だと教えてくれんだ。




 

それから、二時間後に、またマリアママはフィアクル修道士のところに来てくれたんだ。その時は、プロバンスのコティニャックの恩寵の聖母にまずノヴェナを捧げてほしいことを伝え、恩寵の聖母とその教会の絵を見せてくれたんだ。


この時、フィアクル修道士は、プロバンスのコティニャックの恩寵の聖母のことは全く知らなくて、もちろんその聖母子の絵も一度も見たことが無かったんだ。

でも、ほかの修道士が、コティニャックの恩寵の聖母のところに訪れていて、フィアクル修道士の説明は全く正しいものだって断言してくれたんだ。





これらのことは、ルイ13世と后のアンヌ・ドートリッシュに伝えられたんだ。



フィアクル修道士は、1637年11月8日から12月5日まで、それぞれに完全に9日間の祈り、ノヴェナをささげたんだ。


それからルイ13世は、1638年2月10日に王子が生まれたら自分自身と自分自身の家族と宮廷と王冠と王笏と全てのフランス国民とすべての教区と教会をマリアママに捧げるという公式な誓約と、またノートル・ダム・ド・パリ(パリ司教座聖堂)にピエタの絵と、新しい主祭壇と彫刻を贈るという誓いを立てて、8月15日のマリアママの被昇天の聖母の日には、ノートル・ダム・ド・パリに王子が生まれるようにと祈願するための大行列も捧げたんだ。




そしてノヴェナが終わったちょうど9か月後の1638年9月5日にルイ14世は、サン・ジェルマン・アン・レイのお城で生まれたんだ。



その後、1660年、22歳のルイ14世と母のアンヌ・ドートリッシュは、コティニャックの恩寵の聖母に感謝の巡礼をして、ルイ14世の指輪と、王族が着ける青い紐(コルドン・ブリュ)を捧げたんだ。


そして、1660年6月7日に、ヨゼフパパが同じコティニャックに来てくれて、泉が湧き、奇跡が沢山あって、教会が建てられ、巡礼地になり、


ルイ14世は、1661年の3月19日を、ヨゼフパパに捧げられた日とする勅令を出して、そして、ルイ14世とフランスをヨゼフパパに正式に奉献したんだ。


その後、1689年6月17日 イエズスはマルガリータ・マリア・アラコックに訪問して、ルイ14世宛てにアッバお父ちゃんがルイ14世に望んでいることを伝えるんだ。


それは、