母の解離性健忘は、その後も度々起きた。
なぜか、孫と一緒にいる時に起きるのだった。
地下鉄のホームで発見されたときは、妹は怒り、泣きじゃくった。


そもそも、そんな母に子供の面倒をみさせようとうする妹がどうかしている、と

私は思っていたけれど、保育園に子供を入れたくないし、シッター代を使いたくない、という

非常にエゴイスティックなものなのだ。
私には、母が孫の面倒を見るのは、精神的にも体力的にもキャパを越えているように見えた。

意見をすると、妹は激高し、手が付けられないので、黙っていた。

それもいよいよ限界が来たことを妹も認めざる負えない時が来た。
母の家に久しぶりに訪問した妹から電話がかかってくる。

「おねえちゃん…
ママの家、足の踏み場ないよ。あがれって言われても、あがれない。
またゴミ屋敷だよ…」

私たちが実家を出たあと、実家マンションをゴミ屋敷にし、
その後、母ひとりで暮らすこのアパートに越してきて、
これが2度目のゴミ屋敷だ。

キッチンから居室、お風呂場やトイレ、小さな庭まで、
あらゆるモノで埋まっている。
浴槽の中に水が張られ、鍋がいくつも入っていた。
おそらく、鍋の焦げ付きを取ろうとしたのだと思うけれど、
もうその発想や行為が尋常じゃない。

「ほらこれ、あんた達が小さい頃に買ってあげたレコードよ」
私たちが小学生のころ、情操教育にいいと思った母が買ってきたクラシックのレコードだった。私たちにとっては思い入れのないものだから、鼻白んでしまうが、母にとって、子どものために頑張っていた、張り合いのある日々の思い出が詰まったものなのだろう。
そういう、母が母として私たちに「君臨」していたころの記憶の集積が、
ものすごい数のかたまりとなって、そこにゴミとしてあった。


一度目のときは、毎日妹と車にゴミを詰め込み、私のマンションのゴミ置き場に運んだ。
ゴミの日だけでは到底処理できなかったのだ。
私も妹もすでに母の家から離れた場所に住んでいるから、もうそれはできない。
業者を呼んで処理しようと母に言っても、自分で片づけられると言い張った。

毎日、また母がどこかに行ってしまうのではと、
ゴミの中に埋もれて生活する母が火事でも出したらどうしようとハラハラしながら、
どうやってこの状況を打破していったらいいのか、全くわからなかった。