パリの北部に隣接する町

 

Saint-Denis(サン・ドニ)。

 

2015年11月に起きたパリ多発テロの

 

首謀者たちが潜伏し、特殊部隊との

 

激しい銃撃戦が行われたことで、

 

注目された町でもあります。

 

パリ北部と北郊外はおおむね

 

治安の良くない地区として

 

認識されていて、サン・ドニも

 

例外ではありません。

 

そんな治安の良くない町として

 

知られるサン・ドニに、

 

これまで足を踏み入れることは

 

ありませんでしたが、かねてより

 

訪れてみたい場所がありました。

 

 

サン・ドニ・バジリカ大聖堂です。

 

フランス王および王族が何世紀

 

にもわたり、埋葬されてきた

 

「フランス王家の墓所」

 

と呼ばれる場所です。

 

正面から見るとお気づきのように、

 

向かって、左側の塔がありません。

 

1846年に、発生した大嵐により、

 

損壊してしまったのです。

 

ここに、興味深い写真があります。

 

 

絵のようにも見えますが、実はこれ、

 

損壊により、鐘楼の重さに、

 

耐え兼ねないと判断し、左の塔を

 

取り壊す直前に撮影された、

 

1846年当時の写真なのです。

 

取り壊すと言ってもやみくもに壊した

 

わけではなく、再建が容易に進むよう、

 

パズルのピースのように、取り外し、

 

取り外した石材は保管されていました。

 

当時から再建計画があった

 

にもかかわらず、今に至るまで、

 

再建されなかったのはなぜか?

 

最大の理由はなんといっても

 

資金不足によるものです。

 

これだけの歴史的建造物を

 

再建するとなるとやはり、

 

巨額の資金が必要になります。

 

19世紀に、ヴィオレ・ル・デュク

 

により、修復がなされたものの、

 

塔の再建には至りませんでした。

 

しかし、170年の時を経て、いよいよ

 

再建されることになりました。

 

こちら完成図下矢印

 

1846年当時の建築家さんが

 

良い仕事をしてくれたおかげで、

 

当時の石材がそのまま

 

使われるそうですよ。

 

各ブロックに、番号がふられ、どこに

 

どの部位を持ってくるかまで、70枚の

 

設計図に、きちんと明記されていた

 

そうなので、まさに、立体パズルを

 

組み立てるかのような行程です。

 

いや~、素晴らしいですね。

 

完成の目処は10年後で、昨日、

 

オランド大統領が再建のための

 

記念すべき、最初の一石を

 

設置したところです。

 

これから、長~い工事期間に、

 

入るということで、ぜひとも

 

その前に、訪れておきたい。

 

治安が良くない地区と言われるだけに、

 

ひとりでは不安ですが、身長190cmの

 

主人がボディガードについていれば、

 

まぁ、大丈夫でしょう、ということで、

 

いつも以上に、気を引き締めて、

 

行って参りました。

 

そんなビクビクしながら訪れた、

 

サン・ドニ・バジリカ大聖堂の

 

レポートは次回に、続きます。 

 

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