人生の濃度 | 死の不安を克服するたった一つの方法

死の不安を克服するたった一つの方法

どうやって、死の不安を克服したのかをお話ししますね




あなたは、『人生の濃度』について考えたことがあるでしょうか?


無意識に目が向きやすいのは、


損得

利害

効率



といったこと。


そして、



楽ちん

楽しい

面白い



食う

寝る

遊ぶ



といったこと。



これらが悪いわけじゃありません。

大いに楽しみましょう。



けれど、


これ「だけ」だと、どうでしょう?

フト、こんな心が胸をよぎったことはないでしょうか?



<結構、いい年になったけど、このままでいいのかな>

<楽しんでるはずなのに、「何か」が足らない>

<恵まれているはずなのに、なぜか空しくなる>

<楽しんでないと、寂しい>

<ラインやフェイスブックなどで誰かとつながってないと独りぼっちに思えてしまう>

<成功しつ続けねばならないプレッシャーが苦しくて仕方ない>



しかも、これらの心を誤魔化していることに気づき、

「自分の人生を生きていない」

「嘘の世界に生きている自分」


に嫌気がさしている人もあります。


いわゆる「人生を薄く」感じているのです。




人生を「薄く」感じてしまう人は

「生きている実感がない」

「血が薄い」

「自分は色々やってきた。でも何も残っていない」

「何のために生きているのか分からない」


と感じるようです。



では、どうすれば人生を「濃く」感じられるのでしょう?


人生を濃くするには、


まず、


『死』について考えてみましょう。




例えば、


●「あと一カ月の命」としたら、何をするだろう? 何をすべきだろう?


●大切な人が「余命一カ月」と知ったら、何をするだろう? 何をすべきだろう?

●そもそも「死」とは何だろう?

●なぜ「死」は恐いのだろう?

●「死」と「生」はどのような関係にあるのだろう?

●これらのことを先哲はどう考え、どう論じてきたのだろう?



この問いの先に、本当に「生きる」という「濃い人生」が開けてきます。


ただ、問題が問題なだけに、

非常に哲学的で難しいです。

専門書を読もうと思っても、やたら本は分厚く、難解なものばかりです。

あまりに抽象的で、とらえどころがなく、どこからどう考えていいか分からないくらいかもしれません。


私は27年間、この『死』の問題に取り組んできました。


「死生学」の本を読み、「哲学書」を読み、「宗教書」を読み、

講演を聞き、「生と死」について意見を交換してきました。


その結果、分かったこと。

それは、

「死」を通してみた人生がいかに「濃い」か。

「死」を無視した人生がいかに薄っぺらく、虚構であるか。

「死」を通して「生」をみることがいかにエキサイティングでるか。

「死を超克した人生」がいかに素晴らしいか。

「死」がいかに大きな問題であるか。


など、です。



この重要かつ、エキサイティングな内容を、一つの物語にしました。


【フライザイン~死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語~】

という小説です。


古今の偉人たちが、「死」という大問題に、どう答えてきたかが

物語の形でわかるようになっています。


この物語を読みながら、「死」を通して「生」を見ると、

本当の人生の素晴らしさが知らされ、

形だけの幸福と、本当の幸福との違いが明確に分かります。


私自身、後輩との死別をきっかけに、「生と死」について学び初めて27年になりますが、

学ぶほどに、目からウロコ、感動の連続でした。


こんな素晴らしいことは、独り占めにはできない。

多くの人と共有したい! という願いから書き始め、

7年の歳月を経て、完成したのがこの物語です。


敷居の高い哲学的な内容を、高校生でも読める形にしました。

幸い、好評をいただいており、

「生きていく根拠となるものをいただきました」

「生きる勇気がわいてきました!」

など、たくさんの感動的な感想もちょうだいしております。


今回、『フライザイン』第一章を、無料で公開することに致しました。

詳しくは、こちらからどうぞ。


詳細
 


あなたの胸にも内側から喜びがあふれ、

新たな一歩を踏み出されることを願っています。

あなたと、物語の中でお会いできることを楽しみにしております。