わたしは父の死に際し、涙が一滴も出ずむしろ気持ちがサッパリしています。

帰省するたび、寝る時間が増えてきた父を見て「あと何回会えるか・・・」、「あと何ヶ月だろうか・・・」と本人以上にカウントダウンを行っていたように思います。


高齢になってから大きな心臓の手術を二度も経験した父でしたが、一度目の手術は担当ドクターから「心臓はジリ貧状態」と言われ、6年後の二度目の19時間にも及ぶ手術では「ダメもとでがんばろう!」と言われながら自ら立ち向かっていったその姿はわたしにとっては勇姿でしかありませんでした。


数多い薬の副作用なのか、顔面はもちろん全身の皮膚が銀色に変化し、死期が近づいていた頃は濃いねずみ色に変色していました。
わたしが初めて見たケースです。

そんな皮膚色を毎朝洗面台の鏡で見るのがどんなにつらいことだろうかと感じていました。

亡くなってから処方されていた薬品を検証してみると、「よくもまあこんなたくさんの薬を毎日毎日飲み続けていたものだ」としみじみ思います。

薬種や薬量、服用頻度などの調節がなさず、飲む必要のない薬品も含まれているようで、いかに適当な診察だったのか目に余るものがあります。

もっと細部まで配慮されていたなら、せめて皮膚色は肌色に保たれていたのかもしれません。



たられば論はさておき・・・

いつもならひ孫にちゃちゃをいれる父ですが、亡くなる日はどこかしんどそうでした。
それでも横浜ベイスターズの筒香選手が海外から戻ってきたことや、キムチらっきょうが食べたいなど、死について意識しない会話を交わしました。

そんなことを思い出すと本人も望んでいない不慮の出来事だったのかもしれませんね。



通夜の前日に必要なものを揃えに大阪に戻った時、西の空に彩雲を見ることができました。



辰年生まれの父は青龍になって天高く昇っていきました。





犬も含めて我々家族が帰省している時に起きた出来事・・・母の頭の中は、別次元で崩壊したように思いました。



つづく





ではまた、ごきげんよう。