今日の大阪はポカポカあたたかく、春を感じる朝の犬との散歩でした。
昨日は早朝から神経をすり減らしてきましたので、小走りのようなモタモタ歩きのような犬の後ろ姿に心の安息を感じました。
火曜日でしたか、実家の母から「お父さんが朝に粥を食べたあと全部もどし、『しんどい』と言っている」という内容の連絡がありました。
父については過去の記事でもとりあげていますが、“動く屍” のような感じで、わたしにとっては笑いごとではなく、自分自身がコロナに感染することよりも、わたしの心の大部分を占める不安要素なのです。
しかし、父は幾度となく医師、看護師、医療関係者、福祉関係者のみなさま、そして母のおかげで瀕死の状態を乗り越えてきた “不死身” の人です。
きっとこの先も何回かは同じ繰り返しで生きてゆくのだとわたしは思っています。
ただ、父の意思はわかりません。
・生きたいと思っているのか
・気力を失っているのか
・楽しみはあるのか
・努力をしていることはあるのか
医師から「ジリ貧」だとか「ダメもとで」と言われながらも心臓の大きな手術を二度も受けました。
一度目は「がんばれ、がんばれ!」と励ましましたが、二度目はもう受けなくていいと母も弟もわたしも思っていました。
しかし、そんな思いに反し、父自らの意思で手術に挑んだのです。
口の悪い医師でしたが、20時間かけて父の生命をつないでくださいました。
腕は超一流、本物の職人でした。
母は寝てばかりいる父にストレスを感じ、疲れ切っています。
わたしは好きで寝てばかりいるのではないと思うのです。
父は孫(わたしの娘)が大好きで、ひ孫(娘の子)もかわいくてたまらないのです。
この二人に「おじいちゃん、大阪に行くからね」と田舎に帰れた時にはいつもそう話しています。
人はそう簡単には死ねないし、死なないとわたしは思っています。
・・・と思っていたのですが、夫の叔父(夫の父の一番下の弟)が亡くなったと昨日の日中に知らせがありました。
刑事課の警察官だったのですが、定年後に数年経って認知症を発症し、今年に入って肺気胸で入院していたのです。
気を張りつめる仕事だったことも関係しているのでしょうか。
認知がある患者の治療は難しいと聞いたことがあります。
娘にもわたしにもなぜかデレデレで、とても優しい叔父さんでした。
今夜は通夜に参列します。
それにしても夫の身内はわたしが昨日出務した業務に関わる前々日あたりや当日に亡くなることが多いのです。
義兄(夫の兄)は、2月 9日、義父(夫の父)は2月 5日、叔父(義父の弟)が昨日、義父の母や父もそうです。
他にもこの時期が何人かいたはずです。
そしてこの時期はわたしが家を出ようと動き始める時といつも重なっています。
因果関係はないと思っていますが、娘からは毎回わたしが家を出ようとするからだとわたしに責任を持ってこようとします。
ターゲット以外に悪意を持って行動するわけではないので深く考えないようにしていますが、二度三度と続くと少し気になりますね。
荷物が運び出された部屋のクロスに浮かびあがる光
カーテン越しに見えるのは・・・◯ース 虫よけネットなり