昨日、段ボールには入らないけれどそこそこかさばるものと、ウォークインクローゼットの中にかけてある洋服一切合財を新居へ運んだ。

新しいウォークインクローゼットは、現戸建ての造りよりもさらに広くてまだまだ洋服をかけることができるし、小さなチェストもふたつくらいは十分収納でき、帽子専用の収納器具も配置してあるという、女性にとってありがたい設計となっている。
つばの大きな帽子がたくさんあるので、こればっかりは本当に助かった。


まだ、適所に収納はできていないものの物を運び込むと少しずつ生活感が漂ってくる。

前回の部屋はあまりにもピカピカすぎて汚すことに恐怖感を覚えていたけれど、今度は “汚して掃除する” そう、どんどん汚してきれいにする、ごく当たり前の暮らしをしたいと思う。







現居住宅は、夫がひとりで暮らすことになるので年末の掃除・・・これもわたしは嫌い・・・については仕切ってもらっている。
家中の掃除機かけと2か所のトイレとベランダ掃除を仰せつかった(笑)。

そういうわけで、わたしはお正月用のコーヒー豆を買いに駅前に出ることにした。

バスに乗ると車椅子に乗った母らしき人とその息子らしき男性が途中のバス停から乗り込んできた。
運転手の手を借り車椅子を所定の位置に固定している息子の姿を見て、「わたしは子供の世話になることはできない。わたし如きに時間を費やさせるのはよくない。人の手を借りて生きていかなければならないのなら自死を選ぶ人がいるのもわかる気がする」・・・そう思った。

若い人なら高齢者になった時の自分の状況を想像すらしないと思うけれど、50を過ぎるとイメージも明確になってくる。

相変わらずなんらかの仕事をし、毎日早朝からウエイトトレーニングに励んでいる自分の姿がまぶたに浮かぶ。
そしてそばにはいつまでもおぼっちゃまのモクゾウがいて、流血のケンカをしている(笑)。







大晦日のデパート地下はすごい人でごった返していた。
コロナでもオミクロンでも人のにぎわいは大切だと思う。
買いもの、特に食品を求める人々の表情はとても生き生きとしていて・・・たまに勝ち負けを競うように目を血走らせている人も見かけるけれど・・・本来の日常生活を見ることができて嬉しかった。

もっともっと、楽しいことで世の中が賑わえばいいとわたしは思う。







年末年始の挨拶って、子供の頃から苦手で・・・というか、わたしにとっては “今日” が “明日” になるだけのことなので、学内の挨拶回りや年始の新年互礼会も学長の顔色伺いでしかない社交辞令行事には参加したことがない。

しかしながら、出世欲のある女性はそこに集う人たちにゴマを擦る必要があるのか挙手してまでも参加したがる傾向もある。

わたしが心新たにするとすれば、4月の年度はじめではないかな。
出世欲はないけれど、仕事欲は旺盛だから(笑)。




この冬休みが終われば、慌ただしい日が始まる。

今夜は除夜の鐘に耳をすませて明日を迎えよう。





ではまた、ごきげんよう。