2年前の6月の真夜中・・・臨月の娘が階段をよじ登って「病院に連れて行って欲しい」と訴えてきました。

初産はかなり時間がかかると聞いていたので、心の準備どころか、娘のSOSにも気づかず目も覚まさなかったわたしでした。


あとから聞いた話によると、下の居間のこたつテーブルにもたれて悶えながら胃の中のものをもどしていたようです。


わたしは持病のため、最初から帝王切開術と決まっていたのですが、母子ともに危険な状態となり、開腹される時の痛みこそなんとなく覚えていましたが、あとはもうなにも記憶にありませんでした。


そういうわけで陣痛の痛みなどわからず、翌日の仕事帰りに病院に顔を出そうと思っていた程度でした。


夫が運転する車が病院に着いてすぐだったでしょうか、「もう産まれるから」と連絡があり、また冗談を言って・・・とゆっくり化粧をしてタクシーに乗り込んだ時でした。

「産まれたから」・・・えぇぇぇええええ!
タクシーの運転手さんに産まれたことを伝えると、分娩に立ち会えなかったことを気の毒そうにねぎらってくださいました。


いっぽうで分娩室では、いきんだ瞬間に赤ん坊が産まれたことに驚きと笑いの渦に包まれていてようで、子宮口も相当広がっていたと聞きました。


わたしも相当ですが、娘はその上をいく我慢強い性分であることを知りました。
・・・といいますか、娘は陣痛というのはもっともっと痛いもので、自分自身に起きている痛みの状態はまだまだ序の口であると思っていたのでしょう。



すっかり出遅れたわたしは、勝手に入室してはいけない分娩室のドアを開けた瞬間に、目が合った助産師さん、看護師さん、そして娘からも非難の目で睨まれました。




そんなことを思い出し、思いっきり笑いながらうたた寝して起きた時のことでした。

何十年ぶりかの胃痛と嘔吐と下痢に見舞われ、のたうち回って苦しみました。

「娘が体験した “生みの苦しみ” とは、このような感じだったのだろうか?」とふと思いました。

我慢強いわたしが「救急車を呼んでもらおうか」と思ったほどの苦しさでしたが、翌日に学長との教授会の打ち合わせがあったことを思い出し、「ぜったいに休めないから夜明けまでに回復させる!」とシャワーを浴びて寝室に入った瞬間でした。

夫のすざましいイビキにまた胃がシクシクと痛みだし、苦い胃液が込み上げてきました。


すぐさま居間に降りてこたつで寝ることにしました。


数十秒で眠りにおちたようで、体調も数時間で回復していたのです。



夜に食べた焼き鯖にあたったのか、職場でのストレスなのか、理由はわかりませんが、来月から夫源病からは解放されること間違いなしです。




しかしながら、新たなるストレッサーが押しかけてくることも今から予感してしまうのです。

今度はわたしが新しいことを作り出す時の “生みの苦しみ” を経験することになる番です。





ではまた、ごきげんよう。