意識は絶えず自己の歩みを捉え直し、同一のものと認知できるような一個の対象のうちに収納し定着させ、次第に「見る」事から「知る」事へと移行しつつ自己自身の統一を獲得する。
モーリス・メルロー・ポンティ『知覚の現象学』より
クレパスや色鉛筆どおりの水色だったので慌てて撮影しました。
本当はもっともっときれい・・・というのか、心が動揺するほどの水色でした。
そこから先はいつもどおりのいつものきれいな色の空でした。
わたしはいつも空を見上げてばかりいるので、犬がよその家の犬の糞をクンクン嗅いでいたり、エンジン音のしない車が後ろから近づいてきていても気づかない時があります。
COCOが亡くなった日もがんの告知をされた日も本当にきれいな青色一色の空でした。
そういえば・・・
あの子の遺骨は6年経った今もまだ、遺影とともに家に置いたままです。
できることなら家の庭に埋めようと考えているのですが、もう一軒の土地家屋の売買がはっきりしない限り、身動きがとれないのも確かです。
骨のかけらひとつもらってロケットの中に入れて持ち歩こうかとも考えましたが、死んでしまったら、遺骨とともに過ごそうが、骨を埋めずにいようが帰ってこないものは帰ってきません。
この世とは違う、手も思いも届かないところに行ってしまったのだから、気休めさえ意味をなさないことに気づくべきだ・・・と、散歩途中で神社の中に咲く二本の彼岸花を見ながら考えていました。
彼岸花は咲くべき場所に咲いているのか、それとも場所など選ばず、ただ闇雲に咲いているのか・・・どうなのでしょうね。
「COCOちゃんと一緒に散歩するのは楽しかったね」ともう一匹の犬に話しかけると、犬は遠い目をしながらわたしのほうを向いていました。
その目は少しずつ白くなってきていて、この犬との別れのときはそう遠くない・・・そんなことを考えていると泣きたくなったので、驚く犬のことなどお構いなしにわたしは家まで走って帰りました。
その距離、わずか30メートルほどでした。
ではまた、ごきげんよう。
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