限界医大生成長記録

限界医大生成長記録

北の「生きているのが」限界医大生が、自分を好きになるためのブログです

Amebaでブログを始めよう!

限界医学生がイベントに参加して等身大で考えた話~中編~の続きです。

長くなりましたがこれで最後です。

イベント参加者たちと過ごす最後の夜。

愛について考えた夜のことについて、そしてそこから考えたことを書いていきます。

愛って色々。

この一言につきますね。
でもみんな似たようなことを言っていました。
仏教の「慈悲」、キリスト教の「アガペー」と「エロース」。
「愛されたいなら愛せ」と言われました。
でも、それって『愛すること』って誰にでもできるのかな?
そんなとき哲学モードに入った私の思考を乱した人間がいました。
営業マンから一転、医学部へやってきたとても大人でいい男性です。
彼は言うのです。
「愛されたいなら愛さないと。人のために自分の限界を超えてなにかやれるやつなんて自分以外にほとんど見たことがない」
「義務や見返りを求めてじゃなく、相手のためにやることが大事なんだ」
「〇〇(他の参加者の一人)は色々な活動に積極的に参加するけど、俺の中での評価はめっちゃ低い。理由は、だってあいつは誰かのためじゃなく、これをやったら自分の経験になるとかそういう自分のことしか考えてないもん」
抜粋しましたが、酒で酔っていたこともあり、ずいぶん自信過剰で自分の成功体験を何度も繰り返し語っていました。
あまりに自信過剰だったので私は「自己肯定感が高いタイプの方ですか」と質問してしまいました。
すると彼は否定していいます。
「自己肯定感が低い高いじゃなく、俺は周りがどう思うかはわからないけど、自分の中で間違ってると思うことはやらないし」
そこまで聞いた私の感想はひどくシンプルでした。

ほーん、そうかい。

だって話が結構矛盾してるんですよ。
そもそもこのイベントに彼が参加してるのは少なくとも自分のためだし、限界を超えてって言っても「俺以外でもできることだから~~は断った」って話してて……。
あなた以外にできないことなんてほぼないし、結局やりたいことやってるだけじゃん。
○○さんをずいぶん否定するけど、やらない善よりやる偽善じゃないのか。
ただ気に入らないから理由つけて否定してるだけじゃん。
自分の中で間違ってることやってなくても、周りの反応伺ったり不安になるのが自己肯定感が低い人間です、生きててすいません。
あまりにもだるくてびっくりしました。
そしていい人とかすごいってその人のことを思ってた自分が恥ずかしくなってしまいました。
そしてそこでふと気づいてしまいました。

このイベント、多様性だの視座だの言うわりに、愛や行動を強制してね??

愛を持つこと、愛すること。
誰かのために行動すること。
それは全くもってすばらしいことだと思います。
でも「多様性」を認めるとか、それぞれの「視座」を考えようって言うわりに、まるで自分たちが正義でそれができないやつらはダメな奴らだって言ってるみたいな雰囲気。
それに気づいてしまって、もう駄目でした。
そして自分のことにも気が付きました。
自分を好きになりたい。
こういうイベントに参加するような、思いやりがあって、他人を愛せて、実際に行動できる人間になれば、自分を好きになれるのだと思っていた。
でも、きっとそんな自分を好きになれない。
だってそんな自分は、きっと「やりたくてもできない」「変わりたくても変われない」、そういう弱い人間の気持ちも理解できない人間だろうから。
だから、私の目指す自分はこうじゃない!!!
予想外の結論でした。
イベントに参加してよかったと心の底から思いました。
そして夜は更け午前2時にお開きに。
そのあとホテルの自室に帰って悶々と考えました。

寛容のパラドックス

「寛容は自らを守るためには、不寛容に対して不寛容にならねばならない」
それが寛容のパラドックス。
寛容は不寛容に対して不寛容になるという選択をした時点で、完全な寛容ではいられない。
不寛容が存在することによって、寛容は寛容ではいられなくなってしまう……。
今回のイベントは、まさにそのパラドックスに近いと思います。
多様性を考え、他者の立場や気持ちを理解しようとしたとき、理解しようとしない人間たちの存在にぶち当たる。
でもここでその理解しようとしない人間を否定したり、その人たちの気持ちを理解しないのであれば、それはその時点で多様性や他者の立場や気持ちを理解しない人間になってしまう。
それならば私たちはどうしていくべきなんだろうか。
この答えは夜が明けるまで考えても見えてきませんでした。
これはこの先の課題です。
 
翌日のプログラム、触診についての講義や末期癌患者との対話のシミュレーション。
どれも医療人を目指すものとしてためになるものばかり。
でもそれまでの日と、その日の受け取り方は、うまく言えませんが少しだけ違いました。
なんだか、ふわふわしていました。
イベント最後、みんなで輪になって一人一人感想を言う時間がありました。
私は上に書いた寛容のパラドックスについて話しました。
イベントに参加したことで、他者の立場を考えと思えたのなら、私のようにどうしようもない人間や、どうしようもなく他者の立場が眼中にない人間がいることも知ってほしかった。
そういう人間がいることを知ったうえで、他者の立場に「立てた気」になってほしかった。
自分がこのまま変わらずに生きていくことは、ある意味では「寛容であるために不寛容に対して不寛容になった人間たちへの挑戦」になるのではないかな。
私のような人間が、この世にいるということを伝えていくことは、この世に意味があることなんじゃないかな。
きっとあのお坊さん(前編に登場)のように、私と似た感情を持つ人はいるんじゃないかな。
そんなことをぼんやりと考えました。
私が無理に変わることなく、このまま生きていくことにほんの少し意味があるのではないかなと思えました。
 
非常に長くなりましたが、二泊三日のこのイベントを通してほんの少しだけ、自分を肯定できた気がします。
イベントで関わってくれた方、またこのブログを読んでくれている皆さん、心から感謝申し上げます。