「水曜の朝、午前三時」 | Kyoto Corgi Cafe 2

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Kyoto Corgi Cafe 2 蓮見圭一の「水曜の朝、午前三時」を読みました。45歳で亡くなった直美が娘に遺したテープを娘婿が文章に起こしたというスタイルで語られる若き日のラブ ストーリー。読み始めてすぐ、小池真理子の「無伴奏」 を思い出しました。「無伴奏」は学生運動、こちらは大阪万博という独特の高揚感の中で展開され、男性の秘密を知ったために結ばれなかった恋を描いています。遅れてきた世代のモモ母は、当時の熱気が感じられてドラマとしてはとても面白く読みました。
でも、「無伴奏」のような愛おしさはありません。娘婿は直美がいかに素敵な女性だったかを強調するんだけど、モモ母は彼女に全然魅力を感じない。娘と娘婿が 小学生だった頃、直美が担任教師を揶揄する場面で感じた違和感が、最後まで消えませんでした。何故恋人の臼井が当時まだ珍しかった渡航を繰返すのか、その理由が秘密と共に語られるんですが、その後も大学に勤務しているということは、そちらの方は濡れ衣だったようです。とすると、枠に囚われない自由な生き方がしたいと思っていながら、最愛の恋人を因習的な差別意識から拒絶して別の男性と結婚し、なおかつ臼井との関係も切れた訳じゃない。おまけに娘は臼井(の妹)に似ているとの表現もあって、「失われたものは大きい」と書かれてるけど、おいしいとこ取りなんじゃないの?と思わずにいられません。当時の環境を考えると、実際には登場しないタクシー運転手の妻の方がよっぽど格好良い生き方なんじゃないの?と思ったモモ母です。「差別する感情の底にあるのは恐怖心に他ならない」という一説が印象的。男性が書いたこの作品と、女性が書いた「無伴奏」と読み比べると面白いです。