〜〜山﨑映画の悪いとこ全部乗せ〜〜

 

いやぁ酷い。本当に酷い。

あの悪名高き山﨑貴監督ということで覚悟はしていたのだが、想像の遥か下方をくぐり抜ける地獄のような映画体験だ。

 

とにかく人間の映るシーンが全てつまらない。

この監督は本当に「普通の会話」というものを作るのが苦手だ。一言一句に至るまで情感たっぷりの決め台詞として格好つけようとするから、結果として何一つ耳に入らず滑っていくのだ。

金曜ロードショーの枠で放送されてるものを仕事に疲れた脳みそで飯でも食いながら見る分には気持ちいいのだが、スクリーンで凝視するとなると3往復ぐらいで言語野が胃もたれを起こしてくる。

 

『アルキメデスの大戦』でちょっとマシになったと思ったんだがなぁ…

 

台詞回しとして滑ってるだけならまだ良い。この映画に関してはそもそもその人物にふさわしい発言にすらなっていない。

その人物がその場面において発言するとは思えないセリフがツラツラと流れるように紡がれて、監督がそのシーンで何を意図しているのかが丸見えだ。役者陣はみな頑張っているのだが、セリフと人物像が乖離しているせいでどれだけ感情を込めたとしても淡白に見えてしまう。

 

ゴジラのCGも骨董品のスマホで予告を見たうちは気づかなかったが、スクリーンで見るとどうしようもなかった。

質感はツルツルで、重量感は欠如しており、動きは人形のようにぎこちない。シン・ゴジラはそのぎこちなさを敢えて全面に押し出すことで、この世ならざるものとしての不気味さを表現していたが、今回のゴジラはその粋に達していない。単に不格好なだけだ。

しかもこれまた人物の描写と同じく、監督が何をしたいかばかりが先行して、「ゴジラが何をしたいか」という視点が欠如している。

一体ゴジラは何故に動きづらい地上に現れて、何故に執拗な破壊行為を行うのか、何故そこで尻尾を振り、何故そこで熱戦を放つのか、一挙手一投足にまるで説得力がない。

 

主役ですらその有様だから兵器だとか町並みの描写だとかは言うに及ばず。感心させられたのは冒頭数分、ゼロ戦と思しき特攻機(故障帰還)の着陸シーンのみである。隅々に至るまで作りが雑だ。


 

そしてこれら映画としての根本的な不備に比べると瑣末事ではあるのだが、歴史考証の粗雑さも個人的には見逃し難い。

史実において活躍の機会を逸したあの兵器が満を持して戦場に、これはまだいい。ロマンがある。

だが生きるの死ぬのとご高説を垂れて人命の尊さを訴えるこの作品で、あの「アメリカ製の追加装備」だけは許容し難い……その装置が実用化されるのは1949年であるし、作中で描写された水準にまで進化するのは60年代になってからのことだ。


 

根本的な話、この映画はゴジラ映画ではない。

 

ここ数年は晩夏の終戦シーズンにもあまり見られなくなった、コテコテの終戦映画にゴジラを標榜するエイリアンがゲスト出演しているのである。

ツルツルの俳優がちょっと頬に泥を付けて国を貶せば戦争を表現できると思ってる、バブルのぬるま湯に浸かって刺激が足りない年寄りに特有の、極めて志の低い戦後ごっこがこの作品だ。

 

もしもあなたが「ゴジラ」を見たいと思っているなら、今は劇場に向かうときではない。

適当な配信サイトかレンタルショップで過去の作品を2、3本ピックして視聴すればそれで済むことだ。