企画として無理があっただろ…

『マッドマックス:怒りのデスロード』は素晴らしい映画だった。
 
上質で王道の脚本が、ド迫力のアクションと見事に溶け合っていた。眼前で展開される非現実的なスペクタクルで溶かされている脳に、自然と物語が染み込んでくる。
気がつけば観客の感情はキャラクターと一体となり、拳を握り、涙が流れている。
 
これこそが名作映画だ。
地球の文化を学びに来た宇宙人がいれば、これと『TOP GUN マーベリック』を見せればいい。言葉ではなく心で映画の真髄が理解できるだろう。
 
そして「名作」という言葉の象徴ともいうべき芸術品の続編、「駄作」という言葉の模範回答が、『マッドマックス:フュリオサ』である。
 
 
アクションとシナリオの見事なマリアージュを生んだ前作とは打って変わって、水と油のように喧嘩しているのが悲しい。
アクションが始まるとシナリオが停滞し、シナリオが推進する場面はアクション性を欠いていて、どちらかを注視するともう一方が邪魔になる、アクション映画のありがちな欠陥を本作は取り戻してしまった。
 
シナリオだけを見ても複雑怪奇だ。
 
フュリオサの幼少期から『デスロード』の直前までという長い期間を一本の映画に凝縮したため、時間軸が飛び飛びでわかりにくいのに、「緑の地への帰還」「仇敵への復讐」「警護隊長への成り上がり」と3つの軸が噛み合わないままつなぎ合わされてるせいでしっちゃかめっちゃかだ。
しかも冒頭で真っ先に提示される「緑の地への帰還」という軸は、実際のところ『デスロード』で回収されなければならない話なので今作では投げっぱなしで終わる。
 
カオスが渦巻いているようでその実すみずみまで計算され、「行きて帰りし物語」として明快な物語を見せてくれた前作とは大違い。
 
 
まぁ作品は貶したが、実のところ監督はじめ制作陣の仕事としては、よくやったと思う。
一つの作品として120%の前作があり、そこに何をくっつけても蛇足になるのは目に見えてるなかで、怒りが湧くほどではない代物をどうにか作り上げた点は称賛されるべきだろう。
 
批判の矛先は企画者にこそ向けられねばならない。