■死の恐怖と生の欲望


  森田先生は次のように語っている。「我々の最も根本的恐怖は死の恐怖でって、これを表から見れば、生きたいという欲望であります。これがいわゆる命あっての物種であって、さらにその上に、我々はよりよく生きたい、人に軽蔑されたくない、偉い人になりたい、とかいう向上欲に発展して、非常に複雑極まりない欲望になるのである。この欲張るということは、何かにつけて、あれもこれもと、絶えず欲張るがゆえに、心がいつもハラハラしているということになる。


 「苦楽共存」という言葉もあるが、「苦楽はあざなえる縄の如し」ともいい、互いに関連して、取り離すことはできないものでる。それよりも、同一時の両面の見方であるといったほうがいい。


■欲望と不安のダイナミズム


 不安が精神活動の発達に伴う事、その不安は欲望の一面である事、その根底は、死の恐怖であり、生の欲望である事、欲望の発展に伴い不安もまた発展し変化する事、これを表から見れば、希望であり、期待であり、喜び、楽しみあり、これも欲望とともに発展し、変化する事を見てきた。これだけの事を前提において、どんな時に不安を強く意識するのか考えてみたい。


 私たちの日常の体験をよく観察してみると、不安を強く感ずる状況というもおがあることものがあることに気づく。


 その一つは欲望が、実現しないかも荒れないという現実の条件があるときである。これはいわば、客観的に困難な環境に置かれた場合と言っていいだろう。


 自分自身への要求水準が高いときも、不安は強い。何事も完全にしなければならないとしている完全主義の人は、常に不完全が心配である。


 人それぞれ自分自身に要求知ることは異なっても、要求水準が高ければ高いほど、不安や心配は強い。そしてこの心配や不安は、多かれ少なかれ、劣等感に彩られる。


 また、困難な環境と言っても、どのような状況を困難と受け止めるかは、その人の欲望によって異なる。


 不安と欲望は、私たちの精神的発達に伴って発展し変化する事は、先にも触れたが、どのような状況を困難として受け止めるかということも、私たちの精神的発達に伴って、変化する。