ピエール・ルメートルのミステリー「傷だらけのカミーユ」読了。先日から読んでいるカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第3作目、これで完結です。


とにかくこの作者のミステリーは、シリーズ1・2作目の「悲しみのイレーヌ」「その女アレックス」も含め、前知識が一切ない方が楽しめます。
以下の感想はシリーズに関するネタバレを含みますので未読の方はご注意を!




【公式 内容説明】
アンヌという女性が二人組の強盗に殴られ瀕死の重傷を負った。警察からカミーユに電話がかかってくる。アンヌの携帯の連絡先のトップにあったのがカミーユの電話番号だったからだ。カミーユは病院に駆けつけ、アンヌとの関係を誰にも明かすことなく、事件を担当することにする。しかし強引なうえに秘密裏の捜査活動は上司たちから批判され、事件の担当を外されるどころか、刑事として失格の烙印さえ押されそうになる。カミーユはいったいどのようにして窮地を脱し、いかに犯罪者たちを追い詰めることができるのか。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

このシリーズは、犯人探しの点だけで言うと「消去法でこの人かな」と予想した人が当たってたりする。でも犯人探しがメインディッシュではない。

本当の犯人は「構成」、つまり「作者」だ。
毎回違う構成で気持ちよく騙してくれる。
二転三転する展開の中で、登場人物の意外な面が見えてくるので、ページを捲る手を止めることができなーい!そして再読する時には、初読の印象で読むことは二度とできない。わずかに違和感を与える表現ひとつひとつに意味がある。


そして、女性がこれでもかというほど痛い目に遭わされるのも特徴。1・2作目に比べると残虐さがマイルドだけど、それでも容赦ないのは相変わらず。

「作者が何かを訴えたくて、特に女性が虐げられてるのかな」
そんな疑問を持って読んだ3作目だけど…


うん、これは女性の置かれている現状(国や地域によっては本当に過酷な)の比喩とかではない。
ただ作者はこういう人なんだな!…というのが私の結論。


1作目のイレーヌは残酷さの中にある種の聖性を帯びた描写があるし(私はそれが嫌で仕方がない!あんな目に合わせといて聖女と崇めてもさあ!)、2作目ではアレックスの知性や哀しいまでの意志の強さや壮絶な生い立ちが敬意を持って描かれている。

でも今回のアンヌは、「魅力的」と言葉では書かれているのに実際の描写ではそのように描かれていない。

例えば事件後、重傷を負って歩くアンヌの姿は、目撃者の滑稽な再現によると「『はっ、はっ』と絶頂に達する直前のような声をあげた」となっていて、(アンヌ本人ではないものの)とんだ"茶番"として描かれる。

怪我で様変わりしたアンヌの容姿についてカミーユはこう感じる。
「だが、今ここに横たわっている女、顔が腫れ上がってミイラのように包帯を巻かれた女には、もはやなんの神秘もない。ここにはアンヌの抜け殻しかなく、それは醜く、ひどく平凡な肉体だ」
カミーユはその原因となった事件に対して腹ただしく思うのだけども。でもこれがイレーヌだったらこんな感想を持たなかったんじゃないか。

そんなわけで初読の印象は「偶像化している亡き妻(それでも残酷すぎるけど)と、かりそめの関係の愛人の描写の格差がひどい」。

その後もカミーユのアンヌへの"愛情"と共に「アンヌはひどく醜く見えた」「今のアンヌも醜いが、これから数日の変化でもっと醜くなり、本人にはつらいことになるだろう。医者はそれを案じているようだ」といった描写が執拗に繰り返される。「醜い」という言葉が何回出てくるのか数えようかと思ったほどだ。事件の悲惨さを描いているというより、被害者が貶められ、嘲笑されるのを見るようで不快だった。

しかしこれは終盤で明らかになる彼女の秘密ゆえなのだろう。意図的なものだと思う。再読時に彼女の"犠牲"の哀れさ、愚かさをより感じられるように?作者は辛辣だ。


本筋と関わらない形で親友のアルマンの葬儀があったのも、ヴェルーヴェン班の「不在」を印象づけ、読者をあの人物に導くための仕掛けだ。彼をぽっと出にしないために、ご親切にねえ。仲間との友情も描かれるが、驚きのプロットのためなら作者はほんとに容赦なくいろいろやっちゃうよね。


でも作者の一番のお気に入りのおもちゃは主人公カミーユ。妻と生まれてくるはずの子どもを凄惨な事件で失い、ようやく他の事件の解決を通して立ち直らせたと思ったら、新しいパートナーに裏切られ、自ら破滅に向かって突き進み、文字通り何もかもを失う。
作者という神の手の内で弄ばれ、搾り取られ、放り出されるカミーユ。作者による行き過ぎた「可愛がり」ですね。

残ったのは亡き母への思慕だけ。
3作続いたシリーズのラストを、カミーユは母のアトリエで迎える。まるで母の胎内に還ろうとするかのように。(自分で書いてて気持ち悪い…)
ここへ来て、このシリーズは「母への愛憎と喪失」というテーマの変奏曲だったのかと思った。



このシリーズ、面白いか面白くないかで言えば間違いなく面白い。作者は才能に溢れていると思う。
それでも私は好きになれない。

好きになれない理由を言葉にしようとしたら、坂口安吾の「文学のふるさと」の最後の言葉が浮かんでくる。

そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。(中略) 私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます」

一見、ピエール・ルメートルの世界そのもの(ミステリーは娯楽作品だけども)。
残酷で救いがなく、突き放された孤独の姿が描かれる。そして現実の世界にはそれ以上にむごいことだって溢れている。

しかし、「文学のふるさと」はここでは終わらない。
私が坂口安吾を好きなのは、そのためだと思う。


「アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。
なぜならふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。」


まあ私がイヤミスに向いてないだけの話ですけどね。
そしてルメートルか好きではないのに、長編小説「天国でまた会おう」か気になり始めているのは何故でしょう。