今月、自分の脳内でブームだったのが「negative capability(ネガティブ・ケイパビリティ)」という言葉。

 
wikiより引用ですが、
「ネガティブ・ケイパビリティ英語Negative capability)は詩人ジョン・キーツ 不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉」
なのだそうです。


「わからないものをわからないままで持ち堪える力」という概念に名前があるとは。

NHK eテレの「100分で名著 夏目漱石スペシャル」(第2回・3月11日放送)で覚えた言葉なんですけどね。 
ザ・付け焼き刃。

番組では「夢十夜」について、
この作品は、私たちに対して、人生においてどうしても言語化できない『不可解なもの』『答えのでないもの』への向き合い方を教えてくれる」
とし、
「答えのでないもの、言語化できないものをも描こうとする小説表現の奥深い可能性に迫って」いました。


夏目漱石の門下生の内田百閒も、「サラサーテの盤」や「件」など、不可解で捉えどころのない小説を書いていますね。ユーモア溢れる随筆とは作風がまるっきり違いますが、夢十夜の系譜に連なる作品だと言えましょう。


言語化できない何か。
言葉にできないものを言葉によって表現することについて考えるとき、大岡信が好んで引用した、ノヴァーリスの詩を思い出します。

「すべてのみえるものは、
みえないものにさわっている
 きこえるものは、
きこえないものにさわっている
 感じられるものは、
感じられないものにさわっている
 おそらく、考えられるものは、
考えられないものにさわっているのだろう。」


これは「知」についても、あらゆる創作物についても言えることかなあと。

例えば映画だとセルゲイ・パラジャーノフが思い浮かびます。その作品は言語化できない魔術的な詩情に溢れていて魅力的。初めて見た時は衝撃でした。いわゆる「映画文法」完全無視ですもん。他の誰にも似ていない美しさ、忘れられません。


学生の時に見たタルコフスキーも、すごく眠くなるのに衝撃を受けるという不思議な体験をさせてくれました。「惑星ソラリス」は、スティーブン・ソダーバーグによる明解なリメイク版よりも、タルコフスキー版の方が好きですね。
精神的な体力が充実してる時でないと、なかなか対峙することができない気がして、「サクリファイス」や「ストーカー」など何枚かDVD積んだままになってますが…

そんな、解釈しきれない何かを含む作品に惹かれる自分の好みや関心のベクトルをこの「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉によって再認識しました。


読者に「ネガティブ・ケイパビリティ」を求める作品に接した時に湧き上がる、言葉にならないもやもやをなんとか言語化したいとあがくことって、ネガティブ・ケイパビリティが足りないってこと?
やっぱりちょっとわかってない笑笑


とりあえず、捉えどころのない小説や実験的な作品をもっと読んでみたくなってきました!