こんにちわう



洋風宇宙人

いろのおうち


うにです^^





昨日


認知症患者のジジイの嫌いな一言とボードに書いて

認知症について理解して欲しいという医師のyoutubeをみた。



その人は、脳の病変云々はおいといて

どんな症状が出るのかを話していた。



で。


そのなかで気になった部分があったのでお話すると


「理性が効かなくなって、本能で、ってところが多くなるから」



「怒ったり、怖がったり、叫んだりすることになって、家族や周りにいる人が大変になる」


「いままで穏やかだった人が、突然怒りっぽくなったりして、人が変わったみたいになる」




ここ。




たぶんの憶測にしかならないけど



人間ってそんな急に変わるもんじゃないって思ってるのよ。



腹が立っても我慢していただけ


叫びたくても人の眼が気になってできなかっただけ


怖いっていったらバカにされるからって隠していただけ。





実際


全ての認知症の方がそういう症状を起こしているわけではないという部分を見ると



年を重ねて老年になるまでに

どれだけ素直になれる場所があったか


どれだけ本音で生きていいと許されてきたか


これも大きなファクターじゃないかなと思っている。




現代を生きている子供たちだって


「分からないっていったら、親に怒られた」


「男だけど幽霊こわいとか言ったらかっこ悪いじゃん」


「マジで腹立ってブチ切れしたかったけど先生に目えつけられるし・・・」




これ


認知症に置き換えたら



「さっき聞いたことをわからないって言ったら、娘に怒られた」

(繰り返しになるので聞く方がしんどいのはお察しします)


「怖いモノは怖いってやっと表現できるようになったんです」

(注射や処置で暴れるのはそういうこと)


「医者であろうと誰であろううと腹が立ったら怒れるようになりました」

(忖度なしで唐突に怒れるようになる)





だから


脳の病気、って言うだけじゃなくて


その方のメンタルヘルスがどうであったかも感じてあげて欲しいと思う



特に


社会で頑張って頑張ってきた男性だったり


家族の為だけに頑張ってきた女性だったり



自分の気持ち、疲れ、弱音、それらに蓋をしてわたってきた人ほど

理性から本能になった時が急激に変わったように「みえるだけ」


生活している場所が心地よくない

自宅でさえストレスとして感じていた


だから徘徊してまで居心地いい場所を探そうとする



何回も聞いて怒られる

本人だってどうにかしたい、でも、できない


どうとも言葉にならないから叫ぶ





病気になってもなお


「そのままでいいんだよ」


「困ったら声かけてね」


「予定の時間になったら声をかけるから、忘れててもいいよ」



そういう言葉はやってこない



むしろ


めんどくさくて、やっかいで、取り扱いが大変で、いらない。




家庭でも、施設でも

そんなふうに感じられている人はいるんだと思う。




患者自身が声をあげられるような判断がつかないから

大変な家族に目が行く機会が多いからこそ



「なぜその人は、いま、そうなっているのか」


「理性に蓋をしなくなったこの人の本音はなんなのか」



たどれる人がいたら


どうかたどってください



そして


今生きているあなた


本音のまま生きれる場所づくりをしていきましょう


語れる場所を作りましょう


我慢ではなく理解を深めていきましょう



私もそうです


これから


出すのも

受け止めるのも



身近な家族だからこそ難しいところもたくさんあるだろうけど


身近な家族にしかできない素敵なこともあると信じています。