ゆたぼんという10才のYoutuberの存在は知らなかった。

炎上騒ぎで、時々見ていた鉄道系Youtuberが彼を批判する動画をアップして、初めて知った。

だから、動画もそれから2、3本見たのみで、思いつきを無責任に書くのをお許し願いたい。

 

ごく個人的な意見として、

彼の言っている教師にたたかれたとか、クラスメートが遊んでくれなくなったとか、

ということについて、批判的な人達が軽視しているのが不思議でならない。

 

というのも、自分自身、たまたまそういう経験があるから。

 

小学校1、2年の担任に、何らかの暴力を振るわれた。

詳細はもはや覚えていないが、その教師は私を一人居残りさせてしかりつけていた。

そして、私の体から血が流れ、

その女教師は「誰にも言うな。親にも言ってはいけない」と口止めした。

しかし、無邪気な子どものことなので、たまたま戻ってきたクラスメートに、

「ねぇ、ねぇ、これ、先生にやられたの、見て、見て」と、傷を見せたら、

それを見ていた教師が「言ってはダメと言ったじゃないか!」とすごく怒った。

 

こういう出来事は、その後の発達にも大きな影響を及ぼし、大人になってからも忘れる事が出来ない。

この教師は、大人を信じられなくなるような最悪の教育をしてくれたのだ。

 

小学校の3、4年の担任は大丈夫だったが、5、6年の担任も私を差別した。

担任教師は40人くらいのクラスの子どもを一人で相手にしていたので、その時点で無理がある。

そして、その無理なクラスの運営を、スムーズにさせてくれない何人かの子どもを、

「この子は悪い子だ」とレッテル張りをする。

こういう教師は、他のクラスメートの子ども達にも明らかなようにレッテル張りをした。

悪い性質の人間であるとレッテル張りをし、非難することに終始する。

 

例えば、1、2年の担任は、ホームルームで「○○君の問題について話し合う」というような事をした。

他にもっと標的にされる子がいたので、私はホームルームの冠になる事は免れたが、

1、2年と5、6年の担任教師からは目の敵にされていた。ちなみに、5、6年の担任は男性だった。

 

そうなってくると、他のクラスメートからもいじめに合う。

昨今、いじめ問題の会見では、「担任が気づかなかった」という表現がしばしば使われるが、

私の体験では、むしろ担任教師が先頭を切っていじめを行っていた。

教師が、この子は悪い子だとレッテル張りをすることで、いじめにGOサインが出される。

そういう教師が全員ではないので、こういった教師を毒教師と呼ぼうか。

 

教師側の視点に立てば、

こういった毒教師はおそらく、他の教師より余裕がないのだろう。

違う見方をすれば、担任が見なくてはならない生徒の数が多すぎるのだ。

生意気で理屈っぽい子どもは特に扱いにくいだろう。

「どうして宿題をしなくてはならないのか」と子どもに聞かれたら、教師は当然、理由を答えるべきだ。

詳細は分からないが、この教師は子ども(ゆたぼん)に論破されたのかも知れない。

この子はとても早熟なようだから。

 

批判の声の中に、「ロボットのように見えた」というような事を10才の子どもが言う訳がないというものがあったが、

自分の子ども時代を振り返っても、かなり理屈っぽくて、

10才ではなかったが、小学校高学年、中学校の思春期では、大人になった今よりずっと哲学的な考えをしていた。

中学時代はニーチェなどを好んで読んでいた。。(笑)

 

この早熟な少年がロボットのようだと言ってもなんら不思議はないと思う。

 

少々気になる事と言えば、

 

、、、

私が気になるのは、

 

彼は、友達に遊んで貰えなくなって

とても傷ついて悲しかったのではないかという事だ。

それを表現できていなくて、

まるで「厚顔無恥で傷つかない子ども」かのように振る舞っているように見える。

悲しみを表現できなくて、攻撃的になってしまっているように見える。

その攻撃の一つが「ロボット」という表現かも知れない。

 

もしかすると、傷が深いのかもと感じるのは、

私自身と重ねすぎたために起こった邪推かも知れないけれど。

 

私は、傷つけられたのに、

それを悲しめる場がなくて、

大きなトラウマとなり、

人生、とっても遠回りをしたと思っている。

 

悔しさを原動力に強く生きようとするのは一つのやり方ではあるけれど、

もし、私の憶測が当たっているならば、

しっかり悲しんだ方が、、

遊んで欲しかったのに拒否された友達に、「悲しかった」と伝えた方が良いのではないだろうか。

 

お父さんがカウンセラーという事なので、私が心配するまでもないか。

 

お父さんがゆたぼんに、行きたくなったら学校に行って良いと言ったのは、

意地をはって行かなくならないように、という配慮だったかと思う。

しかし、

教師の側は全く、温かく迎え入れる配慮は無かった

(クラスメイトの子どもが、それぞれ思いついた事を発言するのはそれぞれの権利として良いと思うが、

教師には配慮が必要だったろうけれど、この教師の上位監督者は何をしていたのだろうか。。スクールカウンセラーは機能していないのか?今の体制では、スクールカウンセラーも緊急時対応など機能できないよな)

 

 

話は変わるけれど、

ピースボートを子どもだけでというアイディアは面白いよね。

船舶の運転免許を何歳から取れるのか分からないけれど。

今10才で、18才未満が子どもと考えるなら、子どももあと7年。

 

批判的な多くの人達の多くが引っかかっている点だと思うけれど、

「学校に行かない」は答えではなくて、プロセス(課程)だ。

学校に行くのが苦しいと思っている子どもに、行かなくて良いという選択肢を与えるのは間違っていないけれど、

 

「学校に行かないなら、働くんですね」とか、

「自分で勉強するんですね」とか、

何か将来に向かっての展望は必要になる。

 

永久に子どもでいられる訳ではないし、

多くの人は、Youtubeで稼げないし、募金を募って生きるべきでもない。

 

ピースボートを子どもだけでと言うなら、子どもだけでどの位の事ができるかやってみるべきで、

いきなり大きな船とかじゃなく、

自分たちでコツコツと出来る事をやる経験は大切だと思う。

 

 

始まったばかりの人生、

これから、いくらでも、失敗してやり直せば良いよね。(^^)

 

→ つづき https://ameblo.jp/mmacchans/entry-12460455659.html