東京六大学野球新記録の8本塁打を放ち、鳴物入りで巨人に入団した「ゴールデンボーイ」の長嶋茂雄さん。1958年3月1日、高知で行われた阪急とのオープン戦第1戦の八回、無死満塁で梶本隆夫から初安打の逆転打を放ち、翌日の高松では左翼へ1号本塁打をマークするなど、オープン戦で7本塁打を打ち、「プロ野球も大した事ない」と、「天狗」になっていたと言います。
こうして迎えた4月5日の後楽園球場での国鉄との開幕戦。先発は7年連続20勝を挙げ、24歳までに182勝の大投手・金田正一。「3番、三塁」で出場の長嶋は、 1、2番が連続三振に倒れた後、プロ最初の打席を迎えました。初球、内角高めの速球を空振り。カーブ連投で追い込まれた後、初球を上回る胸元への速球に空振り三振。第2打席、第3打席とも最後は速球で空振り三振。第4打席はカーブに空を切っての三振に終わりました。
4打席連続4三振の痛恨デビュー。19球のうち10球スイングして、バットにかすったのは1球だけ。空振り9、見逃しストライク2、ボール7と、「天狗の鼻」が見事にへし折られた形となりました。快速球はもちろん、2階から落ちて来るようなカーブに圧倒されました。
開幕戦でプロの洗礼を受けて5月まで打率1割台。それでも5月後半から徐々にプロの水に慣れ始め、6月22日の川崎球場での大洋戦で、3本の場外本塁打を放ち、12号は両リーグトップに立ちました。8月6日には、川上哲治が17年間守り続けてきた4番に初めて座り、先制2ラン。
しかし、まさに「好事魔多し」のことわざ通りのことが起きてしまいました。9月19日の広島戦の五回。遊撃手頭上に弾丸ライナーを放ちました。その時、長嶋は「よし、三塁打だ」と判断し、三塁に滑り込むつもりで、一、二塁を「ダダアーッ」と駆け抜けました。その際、一塁手の「あっ」と言う声が聞こえました。踏み忘れたのを見つかったわけだが、「格好悪くて戻るわけにはいかない」と走り続けました
打球は3段ロケットのようにグン、グン、グンと伸び、左中間席に突き刺さりました。ホームインすると、広島から「一塁ベースを踏んでない」との抗議があり、一塁塁審も認めて「アウト」。28号本塁打は幻に終わりました。この伏線には、「常に全力疾走でようやく達成できる三塁打こそ、プロとしての売り物だ」と考えていたことがありました。クロスプレーが1番観客をハラハラドキドキ楽しませるからです。
結局、1年目の成績は、打率が首位から1分5厘差の3割5厘で2位、29本塁打、92打点はトップの二冠王。盗塁も2位の37盗塁で、満票のセ・リーグ新人王受賞。それでも、「幻の本塁打」が無ければ、「3割、30本塁打、30盗塁」の「トリプルスリー」を達成できただけに、惜しい凡ミスでした。
新人の長嶋の躍動を見て、巨人に君臨していた川上は引退。同じ年、「初代ミスタータイガース」の藤村富美男もユニホームを脱ぎ、長嶋を中心とする一気の世代交代が進みました。
こうして迎えた4月5日の後楽園球場での国鉄との開幕戦。先発は7年連続20勝を挙げ、24歳までに182勝の大投手・金田正一。「3番、三塁」で出場の長嶋は、 1、2番が連続三振に倒れた後、プロ最初の打席を迎えました。初球、内角高めの速球を空振り。カーブ連投で追い込まれた後、初球を上回る胸元への速球に空振り三振。第2打席、第3打席とも最後は速球で空振り三振。第4打席はカーブに空を切っての三振に終わりました。
4打席連続4三振の痛恨デビュー。19球のうち10球スイングして、バットにかすったのは1球だけ。空振り9、見逃しストライク2、ボール7と、「天狗の鼻」が見事にへし折られた形となりました。快速球はもちろん、2階から落ちて来るようなカーブに圧倒されました。
開幕戦でプロの洗礼を受けて5月まで打率1割台。それでも5月後半から徐々にプロの水に慣れ始め、6月22日の川崎球場での大洋戦で、3本の場外本塁打を放ち、12号は両リーグトップに立ちました。8月6日には、川上哲治が17年間守り続けてきた4番に初めて座り、先制2ラン。
しかし、まさに「好事魔多し」のことわざ通りのことが起きてしまいました。9月19日の広島戦の五回。遊撃手頭上に弾丸ライナーを放ちました。その時、長嶋は「よし、三塁打だ」と判断し、三塁に滑り込むつもりで、一、二塁を「ダダアーッ」と駆け抜けました。その際、一塁手の「あっ」と言う声が聞こえました。踏み忘れたのを見つかったわけだが、「格好悪くて戻るわけにはいかない」と走り続けました
打球は3段ロケットのようにグン、グン、グンと伸び、左中間席に突き刺さりました。ホームインすると、広島から「一塁ベースを踏んでない」との抗議があり、一塁塁審も認めて「アウト」。28号本塁打は幻に終わりました。この伏線には、「常に全力疾走でようやく達成できる三塁打こそ、プロとしての売り物だ」と考えていたことがありました。クロスプレーが1番観客をハラハラドキドキ楽しませるからです。
結局、1年目の成績は、打率が首位から1分5厘差の3割5厘で2位、29本塁打、92打点はトップの二冠王。盗塁も2位の37盗塁で、満票のセ・リーグ新人王受賞。それでも、「幻の本塁打」が無ければ、「3割、30本塁打、30盗塁」の「トリプルスリー」を達成できただけに、惜しい凡ミスでした。
新人の長嶋の躍動を見て、巨人に君臨していた川上は引退。同じ年、「初代ミスタータイガース」の藤村富美男もユニホームを脱ぎ、長嶋を中心とする一気の世代交代が進みました。
◇◇◇◇
1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。
iPadから送信
iPadから送信