6月3日に亡くなった長嶋茂雄・元巨人軍終身名誉監督が、“プロ初本塁打“を放った球場は、高松市立中央球場です。

 1958年春、巨人は一次キャンプ地の兵庫県明石から、2月22日に香川県高松へ移動し、翌23日から同球場で二次キャンプを張りました。3月2日、同球場での阪急とのオープン戦に「2番、三塁」で出場した長嶋は、九回の第5打席で、森口哲夫投手から左翼席へライナーで“プロ初本塁打“を打ちました。

 この試合をスタンドで観戦していたのが、当時中学3年生だった山口富士雄さん。山口さんは高松商、立大、阪急で内野手として活躍したが、同球場は高校1年の夏に甲子園出場を決めた思い出の球場。しかし、自分が甲子園出場を決めたことより、長嶋さんの弾丸ホームランの方が記憶に残っているそうです。

 ちなみに、67年から阪急はパ・リーグ3連覇を果たし、巨人と日本シリーズで戦ったが、全て巨人に軍配が上がりました。

 同球場は、82年に閉鎖され、跡地に整備された中央公園には、ともに香川県出身でプロ野球創成期の巨人のスターで、名将としても知られた水原茂、三原脩の銅像が並んで建てられています。2人は56年から3年連続で巨人、西鉄の監督として日本シリーズを戦いました。

 長嶋が生まれた36年は、プロ野球の公式戦がスタートした年で、初本塁打は、巨人軍ゆかりの2選手が育った高松。野球、巨人と長嶋さんの関わりは、どこまでも続いている気がします。

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 1984年の王監督の時代から、藤田、長嶋、原監督まで、20年以上巨人を担当した某新聞社運動部元記者。