NO.29 (持病の苦しさ)
 
私の病【掌蹠膿疱症】は、娘の話によると
発症して13年だ
そうですその時は、辛い日々が続き鬱病に、
成り外出するのも何故か怖い
 【人間不信が蘇る】苦しかった今も
其の時の出来事は忘れ無い( 辛さを)其の一言に
終わる程にね
 
生まれて、小学校三年生に分かった躰の事で
余りにも嘔吐する事が酷くてまだ他の病が
隠れて居ないかと両親は
話し合いに成り病院で検査 私成りには、
初めての経験で泣いた
私なのですが、考えたら幼児の時に幾度も
検査をしてるのですね
 
その結果【胃が出来てない】驚く両親私は
何の事か分から無い 年齢です
両親は、胃が無い私に負担の掛からない
離乳食の様に、お粥にと惣菜も食べやすい
大きさ 豆腐料理 お魚も食べやすく解して
有りましたからね  
学校の給食は、日々残していた私
(パンも食パン )が必ず給食には、付き物
私には硬い様な歯ごたえです其のパンを真ん中だけ食べて後はこっそりカバンに隠して居たけどね
 
内蔵が普通では、無い事が分かるまで
我儘の様な子供に思っていたのでしょうね
 
小学5年生の時に小さな胃がやっと出来たが
場所が骨盤の中で最悪な場所
【超胃下垂】だと主治医に言われたけれど
胃が出来ただけでも良かったと思う様にね
 
両親は胃が出来ても極普通に食事が取れ無い
 
其れからは、担任話しても余り分かって貰え 
なくて腸が爛れる事が多くなる仕方ないと
思うしかない過敏な私は、心配性だし
少しでも皆と同じ物を食べると
胃が爛れる事は、分かるが・・
 
【逆流性食道炎&胃腸炎】
胃に届く前に、辛い時 胃に届いても
嘔吐がスグそこまで来る様な、辛い気持です
其の時には、胸も痛く成る
検査の結果は、何時も胃が爛れたりしてる
けれど普通の胃腸の内臓では、無いから
仕方の事ですね
 
 
 
生まれた時から、小児喘息母は、毎日私を
喘息専門の
病院へと通院雨が降っても雪が積もる様な
日もです
私は生まれた時から、今日までの事を全て
覚えて居ますから、母の辛さも心に有ります
 
夜は、私が眠っても両親が交代で私の寝息の
確認してた、呼吸が薄いから心配していた
そうですよ
夜泣きは、生まれた時から16歳まで続いて
た其れは別のブログで分かると思います
「何の夢をみたの」と聞かれても話す事が
出来ない事ですからね
今でも起きて居ても時々呼吸する事を忘れる
娘は変な顔をしながらちゃんと呼吸をしないと
ダメですよってね
 
☆主治医から言われた事は守っています
アルコール・喫煙はしていません
フルーツも好きな【干しぶどう・アンズ
・葡萄・グレープフルーツ
乳製品もNGです毎朝食べていたヨーグル
勿論ダメです】
【低体温症も逆流性食道炎&胃腸炎】
【低体温・低血圧・低心拍数】
私の数値を始めて知る数値見たドクターは皆
驚く数値ですからね 先ずこの数値で
(辛いですね)
其の言葉から始まる心拍数が幼児だそうですが
慣れているから、
「 そうですか?」の言葉しか私は何も言えない程 心寂しい事は無い
 
子供頃からの持病なんですよね主治医もそれは
レントゲン撮って始めて分かる私の躰
(内臓)を見て
私内臓を見たら 一言「大変だね」それでも
私は生きて居る
何度も、【直ぐに、入院して下さい】其の
言葉は聞けなかった、母娘三人子供は幼子
でしたからね、
私が居ないと生きて行けない年頃でしたからね
そんな時も有りましたが、其れを乗り越えて
今が有りますからね
 
私が食が細くて、低体温症なのは
私の話で「成る可く無理をしてでも
食べないとね」と言われる
私の主食は、お粥 かウドン(煮込みうどん)
笑うほどウドンが煮込まれてる
 
娘と一緒の時でも、主食は大人の3/1位しか
食べられ無い
消化の良い物を頼んだりしてますからね
娘も私と一緒の時は、考えて注文してます
からね私が無理な時は「二人で遊んできなさい」
其の言葉で外食を誘いあい
行ってる其の時に、私が食べられる
メニューが有ると
嬉しいそうに私を誘ってくれます娘も私の
躰の状態を、
分かって居るのですね帰り際には
「チャンと食事してね」いつも同じ言葉で  
笑える
 
P友達も、心配して下さる有難い事です
  どんなに辛く苦しくても毎日 
苦い薬をまるで食事の様に 
【朝・昼・夜・眠る前】薬を飲む為の食事の
様な気持ちが、
辛くて悲しいですが友達や私のブログを
読んで下さる方々が
数々の良き方法を伝授して下さる事に
感謝しております
 
これからも、何か良き方法が有れば
よろしく🙏御伝授の程 お願い致します

今日のブログは
2020年3月8日に投稿しました
 
 
御訪問  ありがとうございます
m(_ _)m