「おりこうなチビ」

昭和四十一年

母(絹子)41歳、私(まぁちゃん)13歳。

私が中学一年生となった冬休みの事でした。

マラソン大会で不甲斐ない結果を出してから、北海道でマラソン記録を保持していた父(清規)にマラソンの指導を受けることになり、本格的に体作りをして走り込みを始めた時でした。

走り込みと言っても10キロほどを軽く走るものでした。

そして走る道も知っている道だったので安心して景色を楽しみながら進める道を父(清規)は選んでくれていました。

体力を維持する為に、ただ集中するのではなく走ることの楽しみを教えてくれたのだと思います。

比較的に人通りがあり、民家も並ぶ道でしたから体が弱い私が辛くなった時にも助けを頼められるような細かい所まで配慮してくれたような道でした。

日々の時間や行動を規則正しく過ごし、一分一秒の大切さを両親はマラソンを通して教えてくれたのだと感じました。



そんなある日の事、走り込みを終えて帰宅すると母(絹子)が言いました。

『まぁちゃん、チビは人の言葉を理解できるんじゃないかな・・・。』

『今日もね“買い物に行くよ”って言ったら、お母さんの前を歩いて目的の店の前でお座りして待っていたんだよ。』

私にはもうチビの気持ちが伝わり感じ取れるようになっていたので母(絹子)の言葉に何の不思議もありませんでした。

三年前、小学校の帰り道で出逢った犬達のようにチビは人の言葉や心も分かる犬でした。

きっとチビは私に伝えたように母(絹子)にも言葉が理解できる事を知って貰いたかったのだと思います。

ある日、私はチビの能力を確かめる為に幼い頃に遊んでいた買い物ごっこの道具を出しました。

そこにあった小さな籠に“私と弟(恵造)のおやつ、チビの好きな物”を書いたメモとお金を入れてチビに渡したのです。

「いつも まぁちゃんがおやつを買いに行くお店まで行って買い物して来て。」

そう言って籠をチビに差し出すとチビは躊躇(ちゅうちょ)なく取っ手を銜えて(くわえて)尾を振りながらスタスタと歩いて行ったのです。

あまりにも流れのよいチビの行動に籠を渡した私も少し唖然としましたが、暫くするとチビが戻って来ました。

すると籠の中にはメモした品物とお釣りが入っていたのです。

私は興奮してその出来事を母(絹子)に話すと驚きと興奮、そして喜びながらチビへと駆け寄り抱き締めました。

『まるでテレビに出てくる犬みたい!賢いね!』

それから幾度もチビの頭を撫でながらおやつをあげて抱きしめる母(絹子)、私の喜び以上によほど嬉しかったのだと思います。




あの日の母(絹子)の笑顔、それは母(絹子)が自分自身の不思議な経験の話を聞かせてくれて私が同じような体質を持っていると知った時の笑顔とおなじように感じられました。

誰にも話せない体験や思い出、誰も信じてくれないような不思議な力を持つ母(絹子)は娘の私が可愛がっている赤犬のチビも通じ合える存在だという事が心から嬉しかったのだと改めてまた思ったのです。

そして私は珠算塾へ行く時間となり、横にはチビがいつものようにピッタリと足並みを揃えて歩き始めました。

私はチビが買い物をしてきてくれた喜びと母(絹子)の笑顔を思い出しながらチビに話し掛けました。

「今日はお母さんにチビのことを分かって貰えて良かったね。」

『ワン!』

チビも嬉しそうに尾を振って返事をしました。

二人と一匹、たとえ言葉や感情の表現が違うものでも伝わり合えた喜びは同じように思いました。

その夜もチビは私が珠算塾が終わる時間まで待っていてくれて一緒に帰宅をすると我が家で食事を取り、いつものように帰って行きました。

母(絹子)は父(清規)に買い物の出来事を話し、それから家族の中でもチビの話題が多くなったような気がしました。

父(清規)も母(絹子)が嬉しそうにチビの話をする姿を嬉しそうに微笑んで聞いていました。

不思議な体験を理解し、両親の間にしか存在しない通じ合うもの。

一歩外に出ると無口な母(絹子)も、父(清規)と話す時の楽しそうな姿は今でも胸に温かく甦ります。

~つづく~


チビの出会いは、必然的な出逢いですね
不思議っ子で寂しさを隠しながら日々を
それを知れない様に黙々と自分が学友に負けない
様に珠算を習いに行ったり
夜中は、書道を真剣に無に成り練習する事で
今 此処に生きてる事を子供ながらに
言い聞かしていた私に

母は、自分の人生を少しづつ話してくれる
様に成ったのです
私は母に言えなかった、其の時に傍に
私がいつもいた事をね
母が話す事を涙を堪えて聞く私は
母の話す其の光景や凍える様な寒さの中を
足袋を脱いで、擦り切れた下駄に履き替えて
雪の降る中を歩く其の姿が目に浮かび
母の人生の苦しみ 寂しさが伝わる
其の時にいつか、この話しを誰かに
伝えられ事を何気無い決めていた私です。

そう私の両親も不思議っ子だった
事を歳を重ねるに連れて
数多くの出来事が、全て脳裏に残されて
両親と同じ様に、今の私が居るのです

そんな私が、今もまだ生かされ居る事に
まだまだ残されてる成すべき事が有るから
でしょうね?

日々自問自答しています

今日も御訪問 ありがとうございます
m(_ _)m