「自立の一歩」
昭和40年
母(絹子)40歳、私(まぁちゃん)12歳。
小雨降る、中学絞入学式の日。
三年生の列から聞こえたあの言葉。
『生意気な顔して、呼び出してシメてやろうか。』
その出来事に対して母(絹子)は私に一言いいました。
『自分に向けられた矢は、飛んで来る前に折れば良い。』
私はその言葉を聞いて“もう甘えられない、自分でどうにかしなければ”と強く思ったのです。
近所には中学三年生の男の子がいて、幼い頃にはよく遊んでくれていました。
その男の子を思い出すと私は久し振りに家へと訪ねました。
そして男の子に出来事を聞いて貰いましたが一つだけお願いをしたのです。
「明日、ホームルームの前に私が三年生の教室へ行って話をします。その時、教室にいる人達が口を挟まないように静かにさせておいて欲しい。」
男の子は私の真剣な眼を見るとその願いを快く聞き入れてくれました。
目的の三年生が居る教室は既に調べていたので、迷わずにその扉を開けると皆が振り向きました。
『一年生がなんの用や。』
上級生からの声が私に掛けられる中、昨日 お願いしていたお兄ちゃんが言いました。
『静かにせい。用事があるから来てるんやろ。』
そう一喝してくれました。
入学式の昨日、私にあの言葉を放った5~6人を見つけると呼んで言いました。
「あなた達、昨日 私を呼び出してシメるって言ってたね?意味が分からないし5~6人で屯(たむろ)せな、何もでけへんのん?用事がある時はこうして出向いて来るのが筋やし、三年生にもなってそれぐらいの礼儀を覚えて下さいね。」
「…それと、私の顔が気に入らないみたいやけど、アンタらに関係のない事です。阿呆みたいなことで喧嘩を売らないで欲しいんですけど。」
入学して次の日、一年生の私は三年生の教室でそんな啖呵を切ったのです。
既にホームルームは始まっていましたが、教室の中は騒然として教師も静かに私の話を聞いていました。
問題の5~6人は何か言いたそうに目の前に来て立っていましたが、他の人達や教師が5~6人に窘め(たしなめ)始めたのです。
『お前達が悪い。ちゃんと謝らないとこの子の気持ちも治まらないと思うぞ。謝りなさい。』
教師に窘められた5~6人の三年生達は私より大きな体を下げて謝ったのです。
謝罪してもらった私は気持ちも静まったのでお騒がせしたことを詫び、お礼を告げると三年生の教室を後にしました。
「ホームルームに失礼な事を致しました。“ありがとうございました。”』
自分の教室に戻ると既にホームルームの最中だったので、お腹の具合いが悪かったことにしました。
その後、私に謝罪した三年生達からの矢が飛んでくることは勿論ありませんでした。
母(絹子)が娘に差し出した言葉。
『自分に向けられた矢は、飛んで来る前に折れば良い。』
私は事在るごとにその助言を思い出し、体で受け止めたあの頃の出来事に深さや重さを教えられました。
~つづく~
母の言葉の深い事に気が付いたのは、
行動を起こした瞬間です
其れは、私に何時何が有っても、頑張りなさい
人として人らしい当たり前の事は、
心から正す事は、自分を信じで動きなさい
強く生きなさいとね
中学生に、成って直ぐの出来事から始まる
母は己の寿命を悟っていたのですね
私が、何歳に成っても夜泣きが有る事に
両親も仄かに、何かを感じたのか?
今 私が居る事が不思議ですよ
御訪問ありがとうございます
m(_ _)m