「姉弟の貴重な思い出」

小学校四年生の時の私の思い出、楽しみにして入部した手芸部に思いがけず掛け持ちすることになった書道部。

そして負けん気が抑えられなかった珠算の習い事。

その幾つもの課題で睡眠時間をも削って勉強に集中したのがあってか、私のいまだ放れられないでいる三時間サイクルの不眠症はこの時から身に付いてしまったものかも知れない。

この頃、どんなに勉強に追われる毎日だったとしても私が苦にならなかった要因の一つに学校でクラスメイトと会話をしなくても済んでいたのです。

昼の休み時間には自分の好きな場所があり、私はよくその場所で考え事をしたり集中するのに更けていたり、そして時には頭を空っぽにするように黄昏ていたのです。

笑い声、或いは駆け足の音を聞きながら その子供達が楽しそうに遊ぶ姿が私とっては何が楽しいのかが分からなかった。




そんな独りの影を知ってか知らずか、ある日から校長先生と話すようになりました。

校長先生が何故か私の話相手になって下さったのです。

時代の鏡のような教師と生徒の距離感、当時の小学校は一歩学校に足を踏み入れれば学校の教師は親も同じでした。

厳しい中にちゃんと思い遣りと教えを織り交ぜ、そして親身に接してくれたものです。

部活の掛持ち、そして深夜にまで続くような課題の山、そしてきっと校長には私の身体異常も報告されてあったのでしょう。

ある日、校長が私に話し掛けたのです。

『花壇で花を見るのも、運動場の眺めを見ているのも良いけれど、校長室に遊びにおいで。』

そう言って下さってから私は其の日を境に卒業をするまで校長室で遊ぶ事が増えました。

授業で書道がある時などは校長室の書道半紙を頂いたり、たまに校長は茶菓子を残しては私に下さりました。

胃がまだ出来ていなかった私は、殆ど給食を食べられていなかったので担任から報告を受けていたのかもしれません。



それに弟(恵造)は同級生にこう言われたそうです。

『いつも姉ちゃんと一緒に遊んでる。』

幾度とそう言われるようになってから弟(恵造)は学校で私と一緒に遊ぶ事も無くなりました。

とても仲の良かった姉弟、だけど弟(恵造)と話をするのは登校する時に私が声を掛ける時の『恵君、行くよ。』の一言と返事ぐらいになったのです。

だけど土曜日は私の中では結構楽しい一日でした。

当時の土曜日は半日授業で昼までなので授業が終わると小走りで家に帰り、弟(恵造)と二人で母(絹子)が作ってくれた昼食を食べると二人で話し合って掃除を手伝うようになりました。

『まぁ姉ちゃん、僕がおトイレの拭き掃除するから他の拭き掃除と玄関の所してくれる?』

本当は私がおトイレを担当するつもりで、弟(恵造)に玄関周りをして貰うつもりでしたが、珍しく弟(恵造)からの提案だったので何か考えがあるのかなと思い私は弟(恵造)の意見を尊重したのです。

すると弟(恵造)は手早くおトイレ掃除を終えると私がまだ続けていた玄関周りのガラス戸の拭き掃除を手伝ってくれたのです。

あまり遊べなくなったり、会話の数が減っていても姉想いで心の優しい弟(恵造)でした。

弟(恵造)とのほのぼのと過ごした時間の数々、一緒に通った珠算塾もいま思えば姉弟の楽しい貴重な二人だけの思い出なのです。

~つづく~

其の弟と二人でしたボランティア活動
二人で仲良くしてきました。
其の思いでの話はいつか話せると
思います。両親も近所の人も
ビックリでしたよ
そんなに大きな事をしたつもりは、
無いけれど、其の事が
二人の大切な思い出にも成りました

其の思い出も両親のボランティア活動を
見て二人で何か出来ないか?
ってね考えた事ですけどね

其の時の思い出話しを楽しみに
して下さいね

皆さん御躰を大切に水分補給を
忘れないでして下さいね

いつも 御訪問 ありがとうございます
m(_ _)m