はい。箸休めの短編です。
一蘭は走る。
蘭奈も走る。
一蘭は走ることが大好きな12歳の少女。
蘭奈はやっぱり走ることが大好きなその1つ下の妹だ。
2人は小さい頃から「かけっこ」が好きで、蘭奈が一蘭姉ちゃんの後にくっついて、ころころとよく走り回っているのを周囲の大人たちは見ていた。
蘭奈が幼稚園の運動会で1番になると、一蘭も小学校の運動会で1番を取った。
『かけっこ姉妹』と町内でも有名だった。
やがてそれが、年齢と共に「競技」への参加となって成長してゆく。
初め、お姉ちゃんの一蘭が、小学4年生で全国のジュニア大会の銀メダルを獲得した。
「すごいよね、いっちゃん。小さい頃からすごい子だと思ってたけど、やっぱりやったね!」
周りの大人たちの賛辞の中で、にこにこと笑いながら、実は一蘭は内心納得していない。
2番だったもん。
前に5年生の子の背中があったもん。
市の大会でも県の大会でも、一蘭はダントツでトップを走った。
前に誰もいない。
そんなコースの前方から吹く風を見ながら走った。
それが、全国大会ではどうしてもその子の背中を追い抜けなかった。
背中越しの風しか見えなかった。
「姉ちゃん、すごいよね。全国大会で銀メダルだもん。」
蘭奈が目を輝かせてそう言う。蘭奈にとっては自慢の姉ちゃんだ。
ところが、一蘭姉ちゃんが笑いかえしてくれたその笑顔の中に、少しだけ別のものが混じっているのを蘭菜は嗅ぎ取った。
それは、小さい頃一緒に走っていた時にはなかった何かだった。
一蘭が1人でグラウンドに残って練習を重ねるのを、蘭奈も居残って真似していた。
時々付き合ってくれる先生が、一蘭にも蘭奈にもアドバイスをくれた。
「君たちはまだ小学生だ。体がこれから出来ていくんだから、無茶をしちゃいけないよ。特に蘭奈ちゃんはまだ3年生だからね。」
そうは言われても、と一蘭は思う。
あの風が見たい。
全国大会で——。
そうは言われても、と欄奈は思う。
お姉ちゃんみたいに走りたい。
翌年。
市が主催する4年生の部で、蘭奈は鮮烈なデビューを果たした。
「トップを走ると風が見えるだろ。」
「うん!」
蘭奈は一蘭の言葉に、お姉ちゃん似の瞳を輝かせてうなずく。
そして、その年の全国ジュニア大会。
一蘭は去年トップだった6年生の女の子とゴール前のデッドヒートを演じた。
ゴールから来る風を見た。
もう背中じゃない。
すぐ斜め前を走るライバルの横顔が目の端に見えている。
そのすぐ後ろ。一蘭の背中を追いかけるようにして蘭奈が走っている。
姉妹は2位と3位に入賞した。
大人たちの賞賛をよそに、2人はトレーニングを重ねる。
「来年はあの子が中学生になっちゃって、いない。だからわたしは、あの子のタイムを抜く。あの子が見たことのない風を見るんだ。」
「わたしがお姉ちゃんを抜くから、それはわたしが見るんだ!」
「ナマ言って。やれるもんなら、やってみな?」
そしてその翌年。
あの6年生が抜けた全国大会で、一蘭はトップを疾走した。
その少し後ろを、蘭奈が駆け抜けた。
風が見えた!
小学生最後の大会の、まだ誰も見たことのない風!
背中越しだった。
その風は。
やっぱりお姉ちゃんすごい!
自慢のお姉ちゃん!
でも・・・
わたしはその先の風が見たい!
学校では、姉妹で金銀獲得! と大騒ぎになったが、一蘭の瞳はもうそのずっと先を見ている。
蘭奈もまた見ている。
一蘭はすでに、先頭を走る者だけが見ることのできる風を見てしまった。
そのきらめく瞳で見てしまった。
だからこそ思う。
もっと早く。
もっと早く。
そうしたら、見える風もきっともっと違うはず。
もっと違う、見たことのない風が見えるはず。
「姉妹そろって将来を期待されるアスリートに——!」
地元の新聞もそんなふうに書き立てた中で、蘭奈はもはや一蘭姉ちゃんを「憧れ」として見てはいない。
姉ちゃんの背中を抜きたい。
抜いて
姉ちゃんが見ている風を、わたしも見たい!
妹の追い上げを背中で感じた一蘭は
負けたくない!
追い抜かせない!
この風はまだ渡さない!
そう思うようになった。
周りが思う「仲良しかけっこ姉妹」は、ほんのわずかな間に、仲良しだが最強のライバルに成長していた。
いつかわたしは、世界選手権を手にして
いつかわたしは、その背中を追い越して
世界の風を見る!
世界の風を見る!
了