51 いちばん初めのカード
静香は農園全体の景色を描いたり、1つ1つの野菜(?)を中心にその周辺を描いたり、1ヶ所に座ったままなのに何枚も何枚もスケッチを描くことができた。
あのひょろっとした、ひょうきんなキャベツも描いてみる。
知らず知らず、静香の頬は緩んでいった。
色彩が、戻ってきている。
ここに生えているのは皆、大地に許されたものたち。
静香の中で何かが視えかけている。
まだうまく捕まえられないが・・・・。
「あんた、画家さんか? 若く見えるが・・・。」
ふいに背後で声がしてふり返ると、あのおじさんが立っていた。
「俺は芸術はわからんが、こんなきれいな絵は初めて見るぞ。」
「あ、・・・いえ、美大落ちました・・・。」
それ、今言うことか? と思ったけど、すでに口をついて出てしまっていた。
おじさんが声を出さずに笑う。
「俺はくたびれたから休憩するが、一緒にお茶飲むか? すぐそこが俺の家なんだ。」
おじさんが顎で示す方に、瓦葺きの古い農家がある。築百年は経っているような建物だ。
そっちに向かって歩きながら、おじさんは背中を向けたまま静香に話しかけた。
「権威なんか、気にするこたぁない。誰かがきれいだと思えば、それで十分じゃねーか?」
おじさんは腰をかがめて、何かの草の茎を、ぽきん、ぽきん、と2本折った。
「かじってみるか? 疲れた時にはそれなりに美味いぞ。」
おじさんは振り向いて1本を静香に渡し、1本をそのまま自分でかじった。
静香も真似してみる。
酸っぱい。
けど、ちょっと不思議な甘みもある。
「イタドリっちゅう山菜・・・と言やぁ聞こえはいいが、普通の農家にとっちゃただの『雑草』だ。それでもな、こういうのが欲しいって言うコアなファンがいてな。明日、朝から採って他の山菜と一緒に出荷する予定だ。」
お茶をしながら、静香は不思議なほどいろんなことをおじさんと話した。
おじさんは扉(とびら)さんといって、家族はいるが、普段はここで1人、猫と暮らしているということだった。
「萌百合さんか。珍しい名前だな。」
いや・・・扉さんだって、十分珍しいです・・・。
「最初のカード・・・か。」
つい身の上相談みたいな愚痴まで話してしまったのは、扉さんの茫洋とした器の中に入らせてもらえたからかもしれなかった。
「俺ぁ、若い娘さんの相談に乗れるような男じゃねぇが、それでもよ、そんなもん気にする必要あるのか?」
3匹いる猫の1匹が、静香の足元にすり寄ってきた。
静香は指先で、そっと頭を撫でてやる。
「そいつ、けっこう人見知りなんだけどな。」
扉さんによると、この猫たちは勝手にここに棲みついたやつで「半分」飼ってやっているのだそうだ。
「まあ猫くらいなら作物に悪さはしないしな。しぜんなままに、だ。」
扉さんが使う「しぜん」という言葉は、一般的な「自然」とは少しニュアンスが違うようだった。
「ここにいる植物(やつ)らも、地の意志で生えてきている。その声を聞きながら、俺もまた自分の意思を少しだけこの地に押し付けて生きている。人間も、猫も、植物も、完璧な環境に生まれてくるやつなんかいねぇよ?」
お茶を終えると、扉さんはまた作業に向かった。
「わ・・・わたしも何か手伝います。」
と静香は言ってみたが、
「慣れんことはせんでええ。1人でやる方が俺は性に合っとるしな。あんたは絵を描いとる方が似合っとるよ。好きなだけ描いて、適当にいなくなっていい。夕方までいるんなら、山菜の天ぷらくらいはご馳走してやるよ?」
猫と同じか・・・。
静香は扉さんの言葉に甘えて、夕方までスケッチを描き続けた。
猫も、古い農家も、扉さんが作業する不思議な「農園」も・・・。
陽が傾くにつれて、色がどんどん変わってゆく。
ふいに、静香は浮遊していた何かを掴まえた。
完璧な環境に生まれてくるやつなんかいねぇよ——
植物は、生えた場所から動くことはできない。
それでも、そこに生えている植物(いきもの)は大地が生やそうと意志したもの。
植物たち(かれら)は、自らの可能性を精一杯に探りながら、力強く生きている。
あのひょろっとしたキャベツだって・・・。
このわずかな大地の中にだって、息づいている億万の生命(いのち)。
その生命たちの中に、わたしもまた居る。
それこそが、奇跡。
大地こそが——
いちばん初めのカード!
静香が、今、ここに息づいているということが
この身の内からあふれ出るものこそが
わたしの——
いちばん初めのカード!
静香の中から、色彩があふれ出した。
『いちばん初めのカード』はこちらで最初から読めます。
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