49 草むら

 

 静香は焦った。

 

 空洞を埋めるためにこのスケッチ旅行に出たはずだったが・・・。

 逆に空洞のままであることを確認することになってしまった・・・?

 

 静香は海から目を逸らして、山の方を見てみた。

 海と山がせめぎ合うようなこのあたりの地形は、海岸からいきなり山が立ち上がっている。

 すでに陽は暮れかかっていて、夕陽色に染まった山の中腹にいくつかの山桜が見えた。

 それらの樹々は、夕陽のせいでか昼間とはまた違った色に見えた。

 

 大丈夫。

 色は見えている。

 

 描くことにこだわり過ぎたかもしれない。

 古瀬先生や於久田先生が言ったように、もっとよく見てみよう。

 明日は、あの桜を見に行ってみようか・・・。

 

 とりあえず、今夜の宿を探さないといけない。

 静香はスマホを触って、近場に空いている宿がないか探す。

 幸いにも料理旅館みたいなところが手頃な値段であったが、NET予約ができない。

 電話予約しか受け付けていないということなので、電話してみたら「今夜はまだ空いています」ということだった。

 よかった・・・。

 こんな行き当たりばったりでも、空いてるところがあって——。

 

 無かったら、どうするつもりだったんだろう?

 静香は自分の無計画さに呆れると同時に、そんな行動をとってしまうほどに自分は危ういところに立っているんだな・・・とも思う。

 忍が心配するわけだ。

 

 ゆっくりお風呂に浸かって、疲れを流そう。

 今日はいろいろあり過ぎた・・・。

 

 

 翌朝、静香は宿の部屋のインタホンで起こされた。

「朝食できてますけど、どうされますか?」

 時計を見ると8時半を回っていた。

「い、今行きます。」

 

 やっぱり、かなり疲れてたんだ。

 夢は・・・見たような気もするが、思い出せはしなかった。

 

 支度をして宿を出たのは、チェックアウトの時間10時を少し回ってからになった。

「すみませんでした。」

「いいえぇ、いいんですよぉ。またおいでくださいな。」

 女将さんが近所の人と雑談しながら、そんなふうに送り出してくれた。

 なんだか家庭的な宿だ。

 部屋も和室で、他に泊り客がいるような感じもなかった。

 

 昨日山桜の見えた1駅前の小さな駅に戻ってみる。

 車窓から海を眺めてみたが、やはり荒々しい。

 そのエネルギーに満ちた風景は、今の静香には少し強すぎるような気がした。

 

 駅を出てから、静香は山の方を見上げてみる。

 淡い、やや紫に近いような薄桃色の山桜が、無数の色合いに満ちた若緑の中にふわりと置かれていた。

 

 うん。

 山の方に行ってみよう。

 

 静香はどこへ続くのかわからない田舎道を、山に向かって歩き始めた。

 ・・・・が。

 30分も歩くうちに後悔し始めた。

 

 重い・・・。

 

 ショルダーバッグの中に昼食用にとコンビニで買ってきたおにぎり2個と水分補給用のペットボトルが2本、それ以外に水彩用に宿で水をいっぱいにしてきたペットボトルも入っているのだ。もちろん、絵の具やスケッチブックなどの画材も・・・。

 息が切れた。

 日頃の運動不足を痛感する。

 

 ちょっと早いけど、お昼食べちゃおうかな・・・?

 

 静香は道端の低い石垣の上に腰を下ろして、息を整える。

 食べたところで、静香のおなかに入るだけで総重量は変わらないはずだが・・・。

 肩に食い込むバッグの重さは減るよね?

 

 静香は自分の考えを可笑しがりながら、おにぎりを食べる。

 なんだか1人だけの遠足みたい・・・。

 

 あたりは梅の木が整然と並ぶ梅畑だった。

 よく手入れされて、きれいな農園。

 そういえば南高梅って、ブランドだったよね。違ったっけ?

 

 描いてみようか。

 とも思ったけど、見るだけにとどめた。

 なんだか、もう一つ湧き上がるものがないのだ。

 もう少し、歩いてみよう。

 

 立ち上がって歩き始める。

 道はまだ上り坂だった。

 

 こうやって動いていると、あまり変なこと考えないで済むな・・・。

 山がきれいに見える構図があったら描いてみよう。

 

 

 そうしてまたしばらく歩いたところで、静香は不思議に惹かれる景色に出会った。

 

 別になんということのない、ただの草むらだ。

 梅の木や柑橘系らしい木がまばらに生えていて、それ以外は雑多な草が生えている。

 耕作放棄地、といった荒んだ感じはないが、しかし、手入れされている、というにはあまりに雑然としていた。

 

 静香は立ち止まって、その草むらを眺めた。

 きれいだ——。

 と思った。

 

 何が静香を惹きつけたのかはわからない。

 ただ、描いてみたい、と思った。

 草の形や色が、思わず微笑みたくなるほど豊かなのだ。

 

 静香は草むらの中に入り込み、カバンから小型の折りたたみ椅子を取り出して組み立て、それに座ってその名も知らぬ草の群れをスケッチし始めた。

 

 色が戻ってくる。

 あの感覚が。

 

 

『いちばん初めのカード』はこちらで最初から読めます。

https://ameblo.jp/mm21s-b/theme-10117572728.html