48 スケッチ旅
地図で見ると海のすぐそばを走っているから見えるかと思ったが、意外に街中ばかりで海はほとんど見えなかった。
静香はちょっとがっかりしたが、それでも旅に出るというのは、ある種の解放感に包まれるものらしい。
流れる景色を見ているだけで、体の中を風が吹き抜けてゆくような気がする。
行く先の定まっていない旅、というのはけっこう贅沢なものだ。
今夜泊まる宿すら決めていない。
お金の続く限り行って、戻る。
ただそれだけの旅。
戻った後の生活費はどうしよう?
などということは、アパートの部屋に置いてきてしまった。
車窓を流れゆく風景の一部として、家々やアパート、マンションなどを眺めていると、その中に1つ1つそれぞれの生活があるんだろう、ということも少し突き放して眺めることができた。
お金のありそうな家。ぼろアパート。高そうなマンション。同じような格好のメーカーハウス・・・・。
あの中に住んでいる人たちは、みんな自分が「普通」だと思って生きているのかな?
それとも、静香みたいに「普通」とのギャップに苦しんでいるだろうか?
そんなことをぼんやり思いながら、人の生活(いとなみ)というものをただ流れ過ぎてゆく一瞬の風景として見ているうちに、静香は「普通」なんてどうでもいいような気がしてきた。
旅は、いい。
松阪でJRに乗り換える。
そこから先は、海からは一旦離れてゆくが、いい風景だった。
山が美しい。
萌え始めた若緑の中に、山桜が控えめに咲いている。
満開のソメイヨシノよりも、ずっと優しい気持ちにさせてくれる。
あ——、色鉛筆も持って来ればよかった。
走る電車の中では、水彩絵の具を使うわけにもいかない。
静香の中に、色が戻ってくる。
次の駅で降りよう。
・・・・・・・・・・
しまった・・・。
急行に乗るんじゃなかった・・・。
良さげな駅が、車窓を後ろへすっ飛んでゆく。・・・・。
仕方なく急行の止まる駅まで行って、各駅で小さな駅まで戻る。
そんなドジな行動でさえ、静香はなんだか自分が可笑しくて独りくすくす笑ってしまう。
小さな駅で降りて、山間の田舎道を散歩するように歩く。
歩きながら、気に入った風景を見つけると、スケッチブックを開いて水彩画を描き始める。
8ヶ月ほど予備校で訓練された静香の筆は、下呂の頃とは見違えるほど上手になっている。
駅で汲んできたペットボトルの水で筆を動かしていると、目の前の風景とそのことだけに集中していられる。
心地よい。
そんなふうにして各駅の電車を乗り継いで、やがて静香の乗った電車はいくつかのトンネルをくぐったあと、海の見えるところへ出た。
静香は遠足にきた子どもみたいに、窓にへばりつく。
またすぐトンネルに入って、抜けると街中の駅に止まった。
向こうに海は見えるが、港のようだ。
どうしよう。
もう少し先に行ってみようか・・・。
悩んでいるうちに、ドアが閉まって電車が動き出した。
そこから先は、トンネルに入ったり海が見えたりを繰り返した。
速すぎるな。
次の駅で降りてみよう。
スマホで調べると、駅から海はわりに近そうだ。
降りたところは小さな漁港だった。
そのまま、港の方に歩いてみる。
少し生臭いような海の匂いがした。
海岸沿いを歩きながら、気に入った場所でスケッチブックを広げる。
そんなことを繰り返した。
於久田先生は、こんなふうにしてスケッチブック50冊も描くんだろうか。
それはやっぱりすごいなぁ・・・と、静香は思う。
各駅に乗って、気に入った駅で飛び降りては、海岸を散歩して水彩のスケッチを描いてゆく。
スケッチブックは3冊持ってきたが、わりに早く埋まりそうだった。
しかし・・・・
そうして数を重ねていくうちに、静香はある種の違和感を覚え始めた。
違う・・・・。
下呂で描いていた時とは。
あの頃より、静香自身が見ても上手くなってはいるのだが・・・。
なぜか心が躍らない。
あの輝くような芳醇な色彩が見えてこない・・・。
なんだろう?
海岸は奇観に富んでいて、砂浜は少なく、ゴツゴツした岩肌が波の中に露出して、場所によっては奇岩とも言える奇妙な形の岩が荒々しく海に向かって吠えていた。
まるで、隆起する陸の神の意志と、それを侵食しようとする海の神の意志が戦い続けているような・・・。
この荒ぶる景色が、今の静香にはキツいのだろうか・・・?
いや・・・
そうではなく・・・?
今、静香が描いているのは、受験用のデッサンだ。
と静香は気づいた。
響くんが言われていたように、テクニックだけで描く「上手いけど良くない」絵だ。
下呂の頃のように、内側が色彩で満たされてゆかない・・・。
それは・・・・
静香がやはり、空洞のままだから・・・?
『いちばん初めのカード』はこちらで最初から読めます。
https://ameblo.jp/mm21s-b/theme-10117572728.html