43 仲間でライバル

 

「デッサンとは、本来こういうものだ。」

 古瀬先生は言う。

「描くよりも見ることがその目的だと言ってもいい。ただ、見たものを表現できなければ、アーティストにはなれない。」

 

「響くんは見てない。石膏像という概念しか見てない。テクニックだけで描いてる。それは目を瞑って描いてるのと同じだ。目を瞑ってても描ける、というのはある意味すごいけど・・・」

 古瀬先生は静香の後ろに来た。

「そこに将来性は見出せない。教授陣は採らないだろう。萌百合さん、もういいよ。ありがとう。」

 

 静香はちょっと残念そうに手を止める。

 もっと描きたいけど、これはわたしの課題じゃないそうだ・・・。

 

「受験デッサンで教授陣が見るのは、その受験生の将来性だ。感性とテクニックの。その学生を育てて、将来大作家になれるかどうか——。それを、できるだけ公平公正に見極めるために、画材を木炭に絞っていると言ってもいい。」

 

「まあ、大人の事情っちゃ事情なんだが・・・。大作家が1人出れば、その大学のネームバリューが上がる。育てた教授にも箔がつく。」

 その場にいた全員が、ちょっと引いたような表情をしたのに気がついて、古瀬先生は少しバツが悪そうな顔をした。

「いや・・・まあ、余計なことだった・・・。」

 

「とにかく、響くんの場合、ちゃんと見ることができる感性を持っていることが伝わらない限り、何度受けても落ちる。萌百合さんはその対極だ。見えているものを木炭1本で表現できなければ、採ってはもらえない。」

 古瀬先生は教室の皆を見渡した。

「他のみんなは、その中間にいる。自分の課題を克服しなさい。受験までに——。」

 

 

 静香は古瀬先生に言われて、再び新しい木炭紙で木炭1本のデッサンに取り組み始めた。

 見えているものを木炭1本で表現する技術・・・・。

 

 響くんは? と見ると、じっと食い入るように石膏像を見つめていた。

 杏奈は自分のデッサンを、同じように穴が開くほど見つめている。

 

 すると・・・・

 

 響孝之が、形も取らずにいきなりパステルを木炭紙にこすり付け始めた。

 今までと目の光が違う。

 何かに挑みかかるような、あるいは肉食動物に追い詰められた小動物が相手を威嚇するみたいな、そんな表情でパステルをこすり付けてゆく。

 

 次第に現れてきたのは、石膏像のような形の何かのまわりを暴風雨が吹き荒れているような絵だった。

 それでいて、ちゃんとそこに石膏像があるように見える。

 静香も杏奈も、ちょっと呆然としてそれを眺めてしまった。

 

 古瀬先生が孝之の背後に歩いてきた。

 孝之は、びくっとしたように少しふり向いて古瀬先生を横目に見る。

 

「やればできるじゃない。」

 孝之の目がまん丸になって古瀬先生を見た。

 まるで子どもみたいな澄み切った目だった。

「もちろん、本試験のデッサンでこれやったらどう受け取られるか分からないけど、でも、2次でこの感性を爆発させられたら合格圏内だろうな。」

 

 響くんはちょっと泣きそうな笑顔になった。

 

 

 その日の帰り、静香と杏奈と孝之の3人はそろってアトリエ室から出て、帰り道を並んで歩いた。

 こんなふうに響くんを交えて3人で歩くのは初めてだった。

 

「あれは何だったの?」

と、杏奈が孝之に訊いた。

 静香も知りたい。

 あんな描き方が・・・いや、描き方なんかじゃない。何かが見えてたんだ。響くんには・・・・。

 

「う〜ん・・・」

と孝之は少し考えてから

「空気が見えたんだ。石膏像のまわりの・・・」

と言った。

 

「空気?」

「うん・・・。それが、風が吹くみたいにして流れてた・・・。」

 孝之は言葉を探しているみたいだった。

「それを描いてみようと思ったら、ああなったんだ。たしかに俺は、これまで、見てなかったな・・・。」

 

「受かれよ、芸大。」

 杏奈が言った。

 夜風の中に電車の音が混じる。

「わたしも絶対名美生になるからな。」

「わたしも。」

と静香も声を合わせた。

 

「3人で合格しような!」

 杏奈が円陣で掛け声をかけるみたいに元気に言った。

 

 ライバルで、 仲間。

 

 

『いちばん初めのカード』はこちらで最初から読めます。

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