14 才能の行方
静香の高校生活は、中学とは一変した。
楽しい、と思えるようになった。
それは、三谷歩夢や阿形忍、美術部顧問の於久田先生や美術部の先輩たちのおかげだとも言える。
彼らは静香に冷たい視線を向けない。
それどころか、宗教2世という境遇から抜け出そうと足掻く静香に手を伸ばしたり寄り添ってくれたりした。
自分もいつかこんなふうになりたい。
静香は彼らに憧れるようにして、そう思った。
美術部顧問の於久田良荀先生は、職員室が苦手だ。だから、会議とかがない限りいつも美術準備室にいる。
そんな於久田先生は、自身中堅どころの美術団体の審査員も務める画家でもあった。
「絵だけで食べていくのはなかなかねぇ。まあ、教師は世過ぎのためでしてね。」
などと言いながら、生徒の才能をよく見抜き、育てることの上手い人でもある。
実際、於久田先生が来てから、普通科高校でしかない清和の美術部からこれまでに3人の美大進学者を出している。
3年生の御堂先輩も、この地方でトップと言われる倍率20倍の美大を目指していた。
「浪人するかもなぁ。ってか、浪人が普通なんだよ、この道はさあ・・・。」
そんなことを言いながら、御堂先輩はあまり深刻そうな顔をしていない。
「どんな道筋を辿っても、みんな絵の肥やしになりますよ。」
於久田先生は、ほこっとした笑顔でそんなことを言う。進路指導の先生からは睨まれそうな一言だ。
だから、よけい職員室に行きづらい。
そんな於久田先生は、静香の才能を認めてくれ、それを育てなさい、と言ってくれた。
「別に絵描きにならなくてもいいんです。この世界には、絵でしか表現できないものがありますからね。」
「何描いてんの? 萌・・・。」
美術室に遅れて入ってきた忍が、イーゼルに置かれた静香のキャンバスを見て言った。
5号という小さめのキャンバスに、緻密なタッチで油絵の具を乗せている。
「天使? なんか、萌に似て優しそうだね。」
「あ・・・うん・・・。」
静香の返事はなんだか煮え切らない。
上手いなぁ・・・。と忍はそれを眺める。
才能は、神様の贈り物だよね。
その言葉が浮かんだけれど、忍はそれを胸の中にだけ留める。萌はその「神様」のために苦しんでいるのだ。
萌にとって「神様」はいろんな意味でNGワードだろう。
それに・・・。と忍は内心苦笑いする。その言葉の背後には、幾分か自分の嫉妬が貼り付いている。
忍は自分のイーゼルに向かおうとして、静香のイーゼルの脇にもう1枚、描きかけの風景画が立てかけてあるのに気がついた。
10号キャンバスの裏には、美術室の窓から撮影したらしい写真がテープで留めてあった。
静香らしい奔放な色使いのその絵は、忍の目で見ても生き生きとしている。今描いている5号の天使の絵よりはるかに力があって、別人の作品のようだ。
「こっちは描かないの? 行き詰まった?」
忍が訊いてみると、静香からは意外な返事が返ってきた。
「そっちをちゃんと描きたいから・・・。」
少し黙ったあと、静香は続けた。
「これは、うち用。——ていうか、お母さん用。・・・こういうの見せておけば、美術部の活動続けさせてもらえると思うから・・・。夏の合宿も、許してもらえると思うから。」
忍の片頬が、ぴくっ、と歪む。
神様は、どこまでも酷(むご)い。
才能の代償が、これか・・・。
母親は静香が持って帰った天使の絵を見て、無邪気ともいえる様子で喜んだ。
「まあまあ、これミロク天使じゃないの! 油絵の道具買ってって言うから何を描くのかと思ったら。こういうの描くためだったのね!」
「こういうのも・・・ね。」
「しずちゃん、美術部の中でも上手な方でしょ。ほんとによく描けてるわぁ! 玄関に飾りましょ! あ、それとも教会に寄付してみる?」
冗談じゃない! と静香は密かに思う。
もし万が一、もう1枚描いてほしいとか言われたら、せっかくの部活が宗教画を描くためにつぶされてしまう。
「ああいうとこのはプロが描いたものだから・・・。素人の高校生の描いたものなんか持っていったら、恥ずかしいだけだよ。」
「ああ、そうね。なんだか娘自慢してるみたいで、いやらしいわね。」
そういうことは分かるんだ——。でもたぶん、教団の中の人に対してだけなんだろうね。きっと・・・。
「他にはどんなの描くの?」
「風景画とか・・・。まあ、部活だから・・・。」
母親は玄関の正面の壁に掛かっていた安物の版画を外して、その位置に静香の描いた天使の絵を腕をいっぱいに伸ばして掲げて見せた。
「うん。いいわね。許しと救いの天使。どう?」
「いいんじゃない?」
それ、インチキだよ。
弥勒は仏教の神様で、天使はキリスト教の神様の使いだよ? そういうの混ぜこぜにくっ付け合わせてでっち上げただけのインチキだよ?
静香は高校になってから図書館にもよく行って、知識を増やしつつある。
そういう中で「教団」がいかにテキトーなことを言っているか、それをしっかり見極められるだけの知識は持つようになっていた。
ただ、知識を得ることと、その呪縛から抜け出すことは、全く別の次元の話だった。
「額、買ってこなきゃね。」
「うん・・・。」
嬉しそうにはしゃぐ母親を眺めながら、静香は作った微笑の片側がひきつる感覚を覚えていた。
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