68 国家の防衛

 

 市川は視線を逸らしたまま、もぐもぐと口を動かしているだけで話を始めようとしない。

「いっちゃん、頼む。なんとかして事態打開の糸口をつかみたいんだ。」

 市川はまた、上目遣いに稲生を見上げた。

「お願いします、先生。今、ここのサーバーはどんどん処理速度が落ちているのです。水面に近づかないよう人は気をつけて対応していても、ここまで処理速度が落ちてしまっては基本的な防衛システムの維持さえ困難になっているんです。こんな状態で何か起こったら・・・」

 坂本次官が焦燥感を隠そうともせずに市川に言う。

 

 市川はそれを見て、ようやくおずおずとまた口を開いた。

「どうにも、その・・・、僕は、昔からこうだから・・・・」

「いいんだ、いっちゃん。天は二物を与えずだ。気にせず、思ったままを話してくれ。今はこの事態を打開するヒントが欲しいんだ。」

 

「もし・・・、僕・・・私の、仮説が正しいなら・・・」

 市川は話し始めた。

「ここが今クローズドシステムなら、全てのコンピュータを一旦初期化すればバグは消えるはずです。」

 

「しっ・・・しかし、それは! これまで組み上げてきたデータの蓄積が全て消えてしまう。それでは我が国の防衛は、一から組み上げ直しになってしまう。いや・・・実際には全てデジタルシステムだけによって成り立っているわけではないから、そこまでではないにしても・・・。」

 坂本が悲痛な声を上げる。

「バックアップしても、そのデータの方にもバグは含まれているんだ。いっちゃん。」

「データの方は、移動量を制限すれば・・・増殖を抑えられる可能性が高いです。クローズドなのでやり取りされるデータ量は少ないはずですから・・・。ただ・・・」

 市川は少し言い淀んだ。

 

「それでも、外部システムと通信を始めた途端、元に戻ってしまいます。私の荒っぽい仮説どおりなら、これは世界中のデータ通信の臨界量で発動したのですから・・・。バグはその結果に過ぎず、根本要因はコンピュータシステムの存在そのものの中にあるのですから——。外部と通信してネット環境の中に戻ってしまえば・・・。」

「そ・・・、それでは積み上げたデータを犠牲にしてまでやる意味がない!」

「実験にはなります。私の仮説が正しいかどうかの・・・。」

 

「つまり・・・」

と稲生が言いかける。

 それを市川が継いだ。再びあの表情を目の中に取り戻して——。

「これは、いわゆるコンピュータウイルスの感染ではありません。もっと、根っこのところに埋め込まれた『生命の尻尾』です。データ通信の臨界量に反応して発動した・・・。核反応が核物質の臨界量で起こるように、世界中で連鎖的に発動した——と考えれば・・・説明がつきます。細かい詰めはまだですが・・・。

この仮説が正しいなら、間もなくGPSも使い物にならなくなるはずです。人工衛星からの信号にも、それが混じっているはずですから。」

 

「そ・・・」

 坂本が青ざめた。

「それでは、どうやって防衛すればいいのだ? 我が国の防衛システムは・・・GPSさえ機能しないとなればイージス艦もミサイル防衛も、機能しなくなる・・・。」

 

「あ・・・あの・・・」

 市川がまた始めの自信なさげな顔に戻って、おずおずと声を上げた。

 

「近代兵器が全て機能しなくなるんだとすれば・・・、その状態では、どこの国が、どんな攻撃を仕掛けてくるんでしょうか?」

 

 その質問は、坂本にとっては、ほとんど背後から突然肩を叩かれたような衝撃だった。

 彼は近代戦のセオリーの中でだけ『防衛の穴』について考えていたが、これは、そもそもこの状況で近代戦は可能なのか? という問いだ。——防衛の素人だからこその質問かもしれない——。

 

「わ・・・私の一存では・・・。所轄大臣の・・・、いや、総理のお考えを聞いてみなければ・・・。」

 坂本が狼狽えた。

「いや、その前に実験をしましょう。実験が先です。」

 稲生が、そんな坂本に意見をする。

「市川先生の言うとおりのことが起きるかどうか。その実験結果を持って行かなければ、総理とて判断にお困りになるでしょう。」

 

「実験結果が市川先生の仮説どおりなら、その仮説を基に防衛戦略を考える必要があるのでは? そうだとしたら、どういう防衛体制を構築するのか。それこそ、大臣や総理の判断を仰ぐべき内容になると思いますが?」

 

 稲生の頭は、よく整理されている。

 が、坂本はまだ躊躇した。

「サーバーを初期化するとすれば、データは避難させられても失われる防衛上の蓄積も多い。やはり・・・大臣の判断だけは、仰がないと・・・」

 

 

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