23 予想外の事態
年が明けて、3日から『ペンション幸』は営業を始めた。さすがに2日だけは休んだが、4日は土曜日だし、喫茶も営業するので日泰寺の初詣客からの流れも期待できる。
宿泊の予約は昨年から埋まっていたが、期待どおり喫茶の方もけっこう繁盛した。
「何かグッズの販売も考えればよかったかなぁ。」
目の回るような忙しさの中で、九郎が嬉しそうに母親に言った。
「後藤クンが戻ってきたら、一緒に考えれば? 今年のハロウィンからは、それも充実できるんじゃない? わたしも頑張って調理師免許取るし。」
樹と美里亜が手伝いに来られないので、九郎と幸子、それに午後からだけ手伝いにくる美柑の3人だけで回すのはなかなか大変な忙しさだった。
見かねたお鈴さんが、5日の朝から手伝いに入ってくれた。堂々と姿を現して——。
「それ、素敵ですね。」
テーブル席の2人連れの若い女性客が、お鈴さんの背中を覗き込むようにして話しかける。
「ふふふ。」
お鈴さんは二股の尻尾をふりふりして笑うだけだ。
「どういう仕掛けになってるんですか?」
キッチンカウンターの立ち席でハーブティーを飲みながら、ちょっと優越感を匂わせた微笑を見せているのはカウントダウンパーティーにも参加していた葛西 銘良(かさい めいら)である。
その人、ホンモノの狐だから——。(^ω^)
『ペンション幸』の売り上げは順調に伸びていた。2月の宿泊予約には、初のリピーターも入っている。
今年は、いい年になりそうだ———。
九郎も幸子も、企画を考えた樹もそんなふうに思っていた2月の初め頃、予想もしなかった事態が『ペンション幸』を襲った。
1月、なんか横浜のクルーズ船で大変なことになっているらしい——と他人事(ひとごと)のように思っていた災厄が、市中にも広がり始めたのだ。
新型コロナウイルスである。
「すみません。ちょっと・・・、動き取れなくなりました。」
昨年、真っ先に宿泊してリピート予約してくれた敷島英司(えいじ)からキャンセルの連絡が入ったのを皮切りに、次々と予約のキャンセルが入り、パソコンの中の予約表は空白だらけになってしまった。
「どうなるんだろう・・・これ?」
飲食店、観光業が大打撃を被る中、『ペンション幸』もその大波の中に呑み込まれてしまった。
九郎も幸子も途方にくれた。
「ここは大丈夫ですよ。ヤモさんの結界が強いから、邪気は入ってこれません。」
矢田さんが帽子をひょいと持ち上げて言ったが、問題はそこではない。いや、それもたしかに大事なことなんだけど、『ペンション幸』の収入だけが今のところの鬼乃崎母子(おやこ)の唯一の収入なのだ。
とりあえず、九郎の学費や当面の生活費は預金を取り崩せばどうにかなるだろう。しかし、そんなものは数ヶ月もすれば底をついてしまう。
『ペンション幸』の喫茶はまだプレ営業で、時間も8時以降なんてやってないから、時短や休業の補償対象にはならなかった。中小企業や個人事業主に対する上限100万円の補助金も、比較する「前年」がないのでどうにもならない。幸子がパートを探そうにも、飲食関係の求人は軒並み全滅だった。
「どうすりゃいいんだ?」
これには樹も頭を抱え込んでしまった。
九郎たちの大学は美大だからもともと1学年あたりの人数も少ないが、それでも学校側からは「必要のない登校はしないように」という連絡があった。デザイン科の講評も、3密を避けるためオンラインを検討しているという。
「お客さんが来ないんじゃ、どうしようもないよ。だいたいオレたちスタッフも集まれないんじゃ、お客さんどころじゃない。」
樹のLINEの文字からも困惑が伝わってきた。
九郎と幸子にとっては「困惑」どころではない。数ヶ月後には学費どころか食費すら底をつくのである。
コロナに関する行政の救済措置のあらゆるものに該当せず、しかも覚王山という一等地に「資産」を所有しているから生活保護の対象にもならない。それが決して売れない資産であるというようなことは、行政には関係ない。
母子(おやこ)して、あらゆる行政制度の隙間に落ち込んでしまったようだった。
遺産相続のとき・・・・。早々と白旗を上げず、もう少し主張しておけばよかったかもしれない・・・。
九郎は、少し後悔のようなものが胃の腑から逆流してくるのを覚えた。
あの連中のようにギラついた欲望を押し出さなければ、お人好しなだけでは、人生は時としてどうしようもない所にはまり込んでしまうものなのかもしれない・・・。
そんなネガティブな思いをふり払おうと九郎が努力している時に、樹が単身『ペンション幸』を訪ねてきた。
『幽霊屋敷へようこそ』はこちらで最初から読めます。
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