守田正義の世界

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作曲家守田正義の作品および履歴などのブログです

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『守田正義の世界』矢沢寛編                     上 笙一郎


 守田正義といっても、ああ――とうなずいてくれる人は、それほど多くないだろうと思います。
児童文化にかかわっている人のなかでも、まず作曲童謡に関心を持つかプロレタリア児童文化運動に興味を抱いている少数に限られるのではありますまいか。
 <森>ではなくて<守>という字を書く守田正義、作曲家にして音楽評論家、日本プロレタリア音楽史の上で特別大書しなくてはならない人物です。そしてわたしは、日本のプロレタリア童謡の歴史にとっても、また、忘れることの許されぬ人だと信じているのですが。
 ほとんど成立するかしないかで弾圧その他のため挫折・解体してしまったプロレタリア児童文学ですけれども、童謡部門では『赤い旗』『小さい同志』という二冊の作品集を残しており、そのうちの相当数は作曲されてピオニール活動の場でうたわれました。作曲家として、露木次男・戸部香・泉貞雄・河野さくら・吉田隆子・原太郎・市川元などといった人たちの名があげられますが、それらのなかでもっとも大きな存在が守田なのです。プロレタリア抒情歌曲とも呼ぶべき「里子にやられたおけい」(窪川鶴次郎作詩)をはじめとして、「小さい同志」(槇本楠郎)「メーデーごっこ」(同)「梟と燕と鶏」(同)その他を作曲し、またピアノ曲「ピオニールのピクニック」なども作っています。
 こういう仕事をした守田正義のこと、わたしはずっと前から、どのような経歴の人なのか知りたいと思っていました。昭和十年代の前半期に刊行された三笠書房の「唯物論全書」といいますと、日本のマルクス主義的良心が弾圧下で張った最後の抵抗線だったわけですが、そのなかに守田正義著『音楽論』(昭和十二年)というものがあり、また別に『音楽概論』(昭和十六年・三笠書房)という一冊も知っていたのみ。昭和四十九年に近代日本の革命歌曲を集大成した西尾治郎平・矢沢保編『日本の革命歌』(一声社)が出版され、その巻末に載せられた矢沢の「自由と解放のうたごえ(革命歌の歴史)」によって守田の仕事のもっとも重要な一面を教えられたのですけれど、それから七年たって、彼の全貌を伺うに十分な書物が刊行されるに至ったのでした。
 その書物がすなわち矢沢寛編『守田正義の世界(一音楽家の自伝)』(昭和五十六年・みすず書房)であって、やや小冊のうらみはあるにしても、All about Morita だと言ってさしつかえありません。巻頭に口絵写真二ページ、全体を三部に分け、第一部は守田の自伝、第二部はその時どきに書いた音楽評論のアンソロジー、第三部は作曲作品の楽譜集で、巻末には略年譜といった構成です。
 三部のうちでもっとも重要なのは第一部の自伝だと思いますが、守田は先天性視神経萎縮症による弱視者なので、口述を編者の矢沢が聞き書いてまとめたものの由。これによると、彼は明治三十七年東京の生まれで、東京盲学校の普通科を卒業、十五歳くらいから詩人エロシェンコや秋田雨雀と交際、ほとんど独学で音楽を勉強し、十九歳のときには大阪で後のプロレタリア=エスペランチスト伊東三郎と共同生活をしたりしています。そして昭和三年二十三歳で、当時澎湃として興って来たプロレタリア芸術運動の音楽の分野に参加、作曲と音楽評論をもってめざましい仕事を展開して行くことになるのです。
 プロレタリア音楽運動解体後の彼は、言語的・意味的な思想をともなう歌曲の作曲ではなくて、器楽曲の創造に沈潜。日本ミリタリズムの敗北によって自由が回復されてからは、器楽曲と歌曲の双方の作曲に誠心をこめ、訃報は聞いていませんから、現在もなお健在なのだと思うのですけれど――
 プロレタリア児童文化運動に参加した人たちの経歴、十分にわかっているのはごく少数で不明な人の方が多いのですが、『守田正義の世界』は、その音楽の分野における第一人者の足どりをあきらかにしてくれた本。そのほか、原太郎については、彼が戦後主宰したわらび座の仕事を記録したエッセイ集『日本のうたを求めて』(昭和三十六年・未来社)その他で大体のことがわかりますし、吉田隆子に関しても彼女の評論集『音楽の探求』(昭和二十三年・真善美社)などある程度の資料があります。
 川崎大治「汽車ポッポ」や岡一太「憎いこん畜生」などに曲を附けた露木次男については、最近、井上隆著『秋田のうたと音楽家』(昭和六十二年・秋田文化出版社)が略歴をあきらかにしてくれました。しかし、その余の人となると、わたし、不敏にしてデータを全く知りません。児童文化研究者の誰かが、追跡してみてくださらぬものでしょうか。(『児童文化書々游々』1988年、出版ニュース社)