皆様、大変ご無沙汰しております。
2012年10月2日21時
アスカ、享年13歳
リンパ腫でした。
2回の手術と、抗がん剤治療により、発生より3年も長く共に過ごすことが出来ました。
9月25日よりフードを食べなくなり、しかし大好きなトマトを食べるとご飯を食べる状態になりました。
27日夜異常なほどの夜泣き(隣近所からすると虐待しているような鳴き声)。
この日、母と二人でお別れが近いと思い、一晩中二人となっちゃんと彼女のそばにいました。
翌朝28日の朝になると昨晩の事が嘘のように静かにスヤスヤ寝ていました。
しかし、その日を境に自力で歩けなくなりました。
口にできるのは、薄めたスポーツドリンクのみ。
そんな時、祖母が9月30日亡くなりました。
1日、2日と通夜、葬儀となるため最後に彼女にお願いしました。
「大変だけど、ばあちゃんの葬儀が終わるまでがんばって…」
彼女にとっては大変申し訳ないと思いながら、お願いしてしまいました。
1日、通夜の間留守2時間。
トイレに行きたくなり、ハウスの中でぐるぐるした結果、入口の扉が開いてしまい、前あんよには2か所赤く擦り傷ができ、ぐったりしていた。
すぐに、声をかけて彼女をだっこしてオムツをかえてあげると少し安心したようにみえた。
スポーツドリンクも少し飲んだ。
2日、葬儀のため朝7時より出かけなければならない。
甥っ子にお願いしてばあちゃんの納骨の時間まで彼女を見てもらうようお願いした。
甥っ子は13歳。彼女が家に来た時からのマブダチ。
9時30頃戻るときちんとお世話してオムツも交換していてくれた。
10時に家を出て2人で納骨へ。
今度は、彼女がけがをしないようにハウスの外で寝かせて。
その後、11時に戻った。動いた様子なし。告別式までの間、軽く食事を済ませた後、彼女にスポーツドリンクをあげて添い寝。
13時、告別式へ。
16時皆で帰宅、少し動いた様子あり。寝かし直してあげた。
その後、6時頃目が覚めたようなので、スポーツドリンクを飲ませ、トマトをつぶしてエキスを飲ませてあげた。残ったトマトも食べたのであげた。その後また眠りに…
19時30頃、起き上がり、かあちゃんになでてもらい、部屋の様子を伺っているようだった。
その後、眠りにつく。
20時頃、呼吸が荒くなる。
そして、呼吸が次第に小さくなり
21時、虹の橋を渡ってしまった。
私と母ちゃんと親戚のおばちゃんとなっちゃんにみまもられて…。
私、最後の最後まで彼女の前で泣きませんでした。
翌日、お寺に私とかあちゃんと姉ちゃんと彼女とのお別れのためお寺でお経をあげていただきました。
お寺の都合で翌日(4日)、火葬していただきました。
日中、母ちゃんと姉ちゃんで納骨。私は会社の為いけませんでした。
今は、祖母と一緒に49日まで毎日拝んでいます。
かなりの存在感だった彼女、5日間ぐらいは犬ではありましたが、人が一人いなくなったぐらいさみしい感じがしました。
13年間彼女と出会え、家族として暮らせて大変楽しかった。
朝の、「おはよう」とかおもちゃで遊ぶ姿とかトマトをおねだりする姿。冬場、おこたでぬくぬくする姿。すべてがいとおしい思い出です。
私は、最後の最後までいつも通りに彼女と接していました。
だって、私が悲しがったり、不安がったりしたら彼女に読みとられてしまって彼女まで不安になるから。
だから、いつも通り彼女に「水飲む?じゃああげるね。すごいごくごく飲むじゃん。まだ飲む?」
みたいに声かけて。
それが、私の精一杯だった。
だけど、彼女が虹の橋を渡って2日後ぐらいに車で帰宅途中、散歩中のもも尻のコギさん見たら涙あふれた。
姉ちゃんに話したらいつまでもメソメソするな!って怒られた…。
最後に、彼女をとおしてアメブロで出会えたコギさんのみなさんありがとうございます。
そして、これからは、なっちゃんとまた本当にブログ再開したいと思います。
これからもよろしくお願いします。
追伸
あくまで私の意見です。
世の中には安楽死という考え方はあります。
実は、彼女泣き叫んだ夜に本当に安楽死させた方が彼女にとって幸せではないのかと。
苦しんでいる彼女をみていられなくて。。。
でも、最後彼女が体を起こし部屋を見渡した時、考えは変わりました。
だって、彼女はお別れをしたのだと思ったから。
そして、私の中で安楽死という考え方は間違っていると思いました。
最後の最後まで看取って飼い主であって、家族であると。
長文、読んでいただいてありがとうございました。
今までありがとう(^o^)