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     2016.6.26、今まで書きちらしていた『真田丸』感想を再掲しようと開始。    

エプスタインファイルはアメリカの法務省がネットで公開しており、以下リンクから検索できる。
https://www.justice.gov/epstein

 

 

 

 

 

前回の続き。
秋篠宮の名前が出ている『チキン』映画の企画書を作ったのはKermit Blackwood。というわけで、”Kermit Blackwood”を検索すると10件がヒット(このファイルを上から順に①~⑩とする)。このうち、2件(①と⑩)は前回出てきた『チキン』映画の企画書と概要。

② EFTA00295696.pdf - DataSet 9 と③は同じ書類。Kermatからエプスタイン財団のLesley Groff宛てに出した企画を検討してほしいという依頼書。2011年6月29日付。
 

④ EFTA00434173.pdf - DataSet 9
2011年5/5(木)メール。From: Station of No Station(メールアドレスは黒塗りだが、文中の署名がK.なのでKermitだろう)➡To:名前もアドレスも黒塗りだが、文中の宛名はStuart。このStuartは次回紹介するメールに書かれているStuart Pivarだろう。

Kが来週の水曜から金曜までニューヨークに行くので、水曜か木曜にエプスタインに会おうと試みているというメール。『チキン』のシノプシス付き。

⑤、⑥は④のメールの転送。⑤は5/5同日、黒塗り(たぶん④のStuart)からエプスタインへ。⑥は6/6、Lesley Groffからエプスタインへ。

⑦=⑧,⑨はいずれも『チキン』のプロデュースメンバーに関する書類。

~~~
前回に書いたように、企画書には『チキン』映画の制作時期は2011年9月1日~2012年8月31日の予定と書いていたが、エプスタインに接触しようとしていたのは2011年5月。エプスタインが最初の有罪判決(2006年起訴、2008年に禁錮刑の判決)を受けた後。

今までの大河ドラマ路線とは全然異なるので驚かれる方も多いと思うが、『女性自身』に秋篠宮がエプスタイン文書に出ていたという記事(文末★)が出たので、少し調べてみる。

エプスタインファイルはアメリカの法務省がネットで公開しており、以下リンクから検索できる。
https://www.justice.gov/epstein


「あなたは18歳以上か?」という質問が出るので、それにyesと答えると、サイト内検索欄が出る。


ここで「Akishino」を検索すると2件、下の①と②のファイルがヒット。どちらも"CHICKEN the Movie,LLC Business Plan"、つまり鶏をテーマとした教育ドキュメンタリー映画製作プランに関するファイルである。
①EFTA00295676.pdf …企画書(関係者プロフィールや予算案も含まれたもの、全20ページ)
②EFTA01735578.pdf…その概要・シノプシス(全3ページ)

 

この企画書はキジ科鳥類研究者のKermit Blackwoodがライター兼エグゼクティブ・プロデューサーとして助成申請用に作成したもので、製作時期は2011年9月1日~2012年8月31日を予定していた(①p.8冒頭)。が、次回投稿で説明するように、この企画は2011年にエプスタイン財団に助成を求めて送付されたが、結局助成を受けられなかったようである。

 

この映画は教育機関、養鶏産業や食品業者、自然保護団体、研究者等への訴求を狙っている(①p.4)。「同様企画の成功例」(①p.4)という項目では、映画『皇帝ペンギン』や当時上映中のディズニー社の『アフリカン・キャッツ』が挙げられ、その路線を狙っている。


「プロジェクト支援」(①p.18)の項目にインタビュー予定者(interviewee)として11名の名前が挙がっており、その中に秋篠宮の名前もあった。具体的には”Dr. Akishino Fumihito. Molecular Biologist, leading Poultry Scientist (interviewee)”と書かれている。訳は「秋篠文仁博士。分子生物学者、著名な家禽研究者(インタビュー対象者)」。他にはチャールズ皇太子(当時)や何人もの元大統領など。また取材出張旅費(実労働5日間)として山科鳥類研究所へ3,100USドルが計上されている(①p.6)。ちなみに他の取材予定先はライデン、トリング(イギリス)、ニューヨークにある自然史博物館。

というわけで、ネット界隈では変な推測記事が出回っているが、ほとんど誰もこの公開された文書は読んでおらず、『女性自身』の思わせぶりな書き方に妄想を膨らませているのだろうと思う。しかし、それもこの宮のこれまでの良からぬ行動実績や噂(十分根拠がある)のせいなので、宮には全く同情しないが。それよりも、今まで小さいながらいくつか企画をしてきた私には、他人の企画書を見て勉強できる良いチャンスになった。



秋篠宮さま 世界震撼の「エプスタイン文書」にお名前が…皇室にも伸びていた「魔手の内容」
2/10(火) 11:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/7924ebb17d8ff22ee597fbbe7b77fe009638bb9f

 

『鎌倉殿の13人』以来更新が滞っていましたが、久しぶりに更新します。

 

豊臣兄弟!の時代考証を担当されている黒田基樹先生が、大学のサイトでワンポイント解説をされていますのでご紹介。放映後の月曜に更新予定とのことです。

 ↓

 

ちなみに、黒田先生は『真田丸』の時も今回のように解説されていたのですが、いまだにその解説も読めます。

 ↓

 

思えばこのサイトは『真田丸』をきっかけに解説したのでした。というわけで、今年でブログ開設10周年になります。

 

 最後15分が義時と政子の2人芝居だったが、たぶん、演劇人・三谷氏の特性として、歴史事実として三人称の死を語ってドラマを終わらせるのでなく、最後は主人公の内面に踏み込んで、二人称の死として終えたいのではないかなあと感じた。
 実はこのシーン、真田丸で、信繁と家康2人が対峙する演劇的な場面――私は、実質、あそこが最期の場面だと思っている――に似ているように感じる。信繁は家康に引導を渡されて社会的に死に、義時は政子に引導を渡された…。ただ、信繁の場合は、「幸村」としてほぼ伝説的だったという人物の特性もあるし、信幸との対比関係も描きたいしで、鎌倉殿ほど主人公に踏み込めず、三人称の死として描き終わったかなあと感じる。

 この記事、当初は第11回以降の年表として十何回目かまでに起こった出来事を表にしたのですが、便利なので第1~11回の年表も追加し、それ以降、毎回の内容も順次追加しています。●は1

年を表し、何年か飛ぶ場合にそれが視覚的に分かるようにしています。

 

 この表を見ると、第1回は物語の発端回で、第2回よりも5年前(1175年)の出来事と、さらにそれより3年前(1172年)の出来事の回想を描いている。

 第2~11回は頼朝挙兵からのほぼ1年間(1180年)、鎌倉勢力を打ち立てた時期の話。

 第12~24回は1182~1198年までの約16年間。毎年のようにいろんなことが起き、着々と頼朝政権の基盤が固まり、頼家に無事に引き継がせようと画策する時期の話。

 第25~26話は頼朝の死。第25話の方は頼朝が倒れた当日1日の話(1198年末)。第26話は頼朝が倒れてから葬儀までの約2週間の話。

 第27~32話は1199~1203年の4年半余り、第2代将軍・頼家時代が描かれる。第27話で13人の合議制が発足し、第31話で比企の乱が起こる。

 第33~44話は1203~1219年の16年間、頼家暗殺と実朝第3代将軍即位から実朝の死までが描かれる。このうち、時政追放から実朝が疱瘡から治るまでの2年間、その後の3年間は時間が飛んでいる。

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1172年(回想)

 第1回  伊東一族集合。工藤祐経も伊東の女婿
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1175/安元元年 

 第1回   時政の伊豆帰還の宴会。工藤、伊東から離縁されて

     いる。頼朝北条に匿われる。千鶴丸殺害
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1180/治承4年 

 第2回    清盛が福原にいるので遷都(1180年)後。

 第3回    夏の異常気象
 第4回    8/17、三島明神の祭礼日に伊豆で挙兵
 第5回    8/23、石橋山に陣を構える
 第6回    石橋山の戦いで敗れ、房総半島へ逃げる

      (義時は援軍を求めて甲斐へ)
 第7回    安房、上総の勢力を従える

     (義時、上総介の館へ)、阿野全成が合流。
 第8回    関東武士団、次々と頼朝に従う

           (畠山降伏、武田味方に)

            10/7、頼朝勢鎌倉入り
 第9回    富士川の戦い、義経合流
 第10回  10月大庭処刑、金砂山の戦い、源範頼合流
 第11回  挙兵の年の暮れ、新御所へ移る。

     

1181/治承5年 

 第11回 閏2/4、平清盛没。義円没、伊東父子殺害
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1182/寿永元年 
 第12回 頼家誕生。亀の前事件。時政伊豆に隠居。

 第13回 行家、鎌倉に。(義時、八重に思いが通じる)
1183/寿永2年 
 第14回 源義高鎌倉入り。7月平家都落ち。9月義仲入京。       第15回 義経入京(足固めの儀式)上総広常殺害、泰時誕生

 第16回 12月頼朝追討の院宣。義仲討死。
1184/寿永3年 
 第16回 2月一の谷合戦。
   第17回 義高を殺害、武田信義嫡男を殺害
1185/元暦2年 
 第18回 3月壇ノ浦合戦。腰越状
 第19回 義経伊予守に。10月頼朝、義経追討のため出立。

1187/文治3年 
 第20回 義経奥州へ。2月秀衡死去。

1189/文治5年
 第20回 義経殺害。

 第21回 奥州合戦。時政、願成就院を建立。

1190/建久元年

 第22回 11月頼朝上洛、右近衛大将に。

1192/建久3年 

 第22回 3月後白河死去。7月頼朝征夷大将軍。8月実朝誕生。

1193/建久4年

 第23回 5月富士の巻き狩り。曽我事件。

 第24回 範頼謹慎、岡崎義実出家(どちらも8月のよう)

1195/建久6年

 第24回 頼朝上洛(頼家、政子、大姫も)

1198/建久8年

 第24回 7月大姫死去、範頼殺害

1198/建久9年

 第25回 12/27相模川橋供養、頼朝落馬

1199/建久10年

 第26回 1/11 頼朝出家, 1/13頼朝死去 (wikiより)

---------(番組1回休止)------------------------------------------

 

 第27回 2月土御門通親の暗殺計画発覚

      4月13人の合議制発足

1199/正治元年(4月~)

 第28回 6月政子次女:三幡死去、乳母夫の中原親能出家①

       (ただし京側でまだ登場する)                       

                   実衣が結城朝光と接近。    

     7月頼家、足立景盛の妻に手を出す

     11月梶原景時罷免②

1200/正治2年

     正月景時、相模へ出立(紀行で討ち取られる)

  第29回 3日後、三浦義澄没③、続いて足立盛長没④

     4月時政、従五位下・遠江守に任じられる

     頼家の正妻がのちの公暁を生む、義村、乳母夫に

1201/健仁元年

     9月坂東、台風被害。義時、頼時を伊豆へ派遣

     頼時➡泰時と改名

1202/健仁2年

     7月頼家、征夷大将軍。全成呪詛。平知康井戸落ち。

1203/健仁3年

 第30回 3月平知康帰京することに。時連➡時房と改名。

      5月全定呪詛発覚。常陸配流。6月全成誅殺。

 第31回 7月頼家病気に。

      8月義時、千幡と一幡の分割統治を提案。比企却下。 

      9/1比企、比企案を提案、北条却下・決裂。

      9/2北条、比企⑤を誅殺。9/5頼家回復。

 第32回 9/29  頼家、修善寺へ出立

 第33回 10/9 実朝、第三代将軍となる(12歳)

1204/建仁4年

     正月、実朝の読書始めの儀

     7月、頼家、修善寺で暗殺

1204/元久元年

 第34回 8月、実朝、鎌倉殿として実務に臨む

      10/14 北条政範、上洛の途につく

      11/3 政範、京に到着。2日後、死去

      義時、後添いを迎える。  

 第35回 12/10 実朝、婚礼。

         実朝、巫女のおばばに会う。

1205/元久2年

 第36回 6月 畠山重忠(妹婿)一族滅亡、

        稲毛重成(妹婿)斬首

        足立遠元 引退⑥

 第37回 閏7月 時政を外し、政子が恩賞の沙汰を行う

         「オンベレブンビンバ」の団欒

 第38回 閏7/20  りくと時政追放⑦(牧の方事件)

                           平賀朝雅誅殺

---------(番組1回休止)------------------------------------------

1208/承元2年

 第39回 2月、実朝疱瘡を患う

      義時、和田義盛が上総介になるのに反対

      鶴丸➡平盛綱に。

     実朝、義時の郎党の御家人取り立てに反対

1212/建暦2年

 第40回 春 内裏が焼け、後鳥羽は鎌倉に修復させようとする

1213/建暦3年/建保元年

     2月 泉親平の乱

        義時、和田を挑発するも、実朝の朝廷で和解

     5月2日  和田合戦勃発始まろうとする

 第41回     2~3日 和田合戦。和田義盛討死⑧、一族滅亡

          義時、侍所別当を兼務     

     5月21日 地震         

1214/建保2年

 第42回 実朝、関東御領の年貢を軽減。

1216/建保4年

     6月、陳和卿が鎌倉へ

     11月、実朝、造船に着手

1217/建保5年

     4月17日 船完成するも浮かばず。八田引退⑨

     実朝、鎌倉殿を辞し大御所となる案を出す。

     二階堂も隠居⑩

 第43回  6月 公暁、鎌倉に戻る

1218/建保6年

     2月 政子、上洛し兼子と対面。 

     4月 頼仁親王が次の将軍に決定。

        実朝は左大将、政子は従三位に。

     7月 鶴岡八幡宮にて実朝、直衣始めの議式

 第44回 7月9日 義時、薬師堂建立を命じる、戌神像造立 

    12月20日 実朝、右大臣に任じられる

1219/健保7年

     1月26日 実朝、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮へ

 第45回 1月27日 公暁、仲章と実朝を殺害、 

          義村、公暁を討取、首を義時の許に持参 

     2月9日 鎌倉から戻った使者が実朝死去を朝廷に報告

 第46回  2月22日 阿野時元、挙兵~自害

    閏2月12日 後鳥羽より使者。親王下向の話が後退

     3月   後鳥羽より実朝弔問の使者。ついでに

          荘園の地頭に物言い

     3月15日 政子の使者として時房が千騎を従え上洛

1219/承久元年

     7月19日 左大臣の子・三寅が鎌倉に、政所始め

          政子、後見で鎌倉殿に

 第47回  7月25日 源頼茂謀反、内裏消失

1220/承久2年

     12月1日 三寅、着袴の儀

1221/承久3年

     5月19日 後鳥羽、伊賀光季を誅殺させる

          義村、後鳥羽挙兵の院宣を義時に提出

          義時、御家人を招集。政子が演説。

 第48回 

     5月21日 大江、三善が早く出陣をと進言。

     5月22日 泰時ら出発  

     6月14日 宇治川の陣

     6月23日 合戦報告が鎌倉に届く

     7月13日 後鳥羽上皇、隠岐に配流

    (8月9日      三善康信⑪、死去)

1224/貞応3年

              6月13日 義時⑫、死去

-------------------------------------------------------------完---

1225/嘉禄元年

     6月10日 大江広元⑬、死去

     7月11日 北条政子、死去

 

※下線はドラマで語られていない部分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三谷氏は第1話で伊東家の中にその後の鎌倉に起こる種を全部描いたと私は思っている。伊東という大きな一族の中に飛んできた頼朝が伊東を蚕食し、それに食いついた北条が大きくなり、曽我兄弟の仇討も源氏同士の後継争いも畠山の乱も和田の乱も三浦の表裏比興ぶりもこの中で起こる…

 

第32回 災いの種 Seeds of Calamity

 

①恐るべき早業で/比企を滅ぼした北条。

It was too immediate that Hojo clan ruined Hiki clan. 

 

②千幡を鎌倉殿とする/新体制が生まれる。

Soon Senman is about to be placed as the new Lord of Kamakura to build the new administration.

 

③しかしそこには既に、/大きな亀裂が入り始めている。

The chasm has been created.

 

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タイトルは文字通りの訳。「種」は複数形で。

 

③chasmはギリシャ語で「大きく開いた割れ目」の意。

第31回

 

 

 

 

 

第31話 諦めの悪い男

Bet on One

 

①初代よりはるかに若くして、/二代目は倒れた。

Yoriie fell ill like the former Lord of Kamakura, despite being much younger.

 

②御家人同士の対立も、/またはるかに大きい。

Faction vying between the vassals has grown enough. 

 

鎌倉に戦の匂いが、/漂い始めている。

They are feeling the smell of war.

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タイトル➡ 1つに賭ける

「諦めの悪い男」は鎧をこっそり着込んだりする比企なのか、一気に潰すという結論に急がない義時なのか、死ぬものだと思っていたら回復した頼家なのか…。ここは諦めが悪い=1つに決められない=1つに賭けられない、と解釈。

 

②➡御家人の間における派閥争いも十分大きくなってしまった。

factionは派閥、vyingはvie(争う)の名詞形。前回は「権力闘争」と表現したので、今回は別の表現にする。

 

③➡彼ら(御家人)は戦の匂いを感じている。

戦の匂い smell of warという表現はよくあるみたいで、google検索すると本のタイトル等で数多くヒットする。