この記事、当初は第11回以降の年表として十何回目かまでに起こった出来事を表にしたのですが、便利なので第1~11回の年表も追加し、それ以降、毎回の内容も順次追加しています。●は1
年を表し、何年か飛ぶ場合にそれが視覚的に分かるようにしています。
この表を見ると、第1回は物語の発端回で、第2回よりも5年前(1175年)の出来事と、さらにそれより3年前(1172年)の出来事の回想を描いている。
第2~11回は頼朝挙兵からのほぼ1年間(1180年)、鎌倉勢力を打ち立てた時期の話。
第12~24回は1182~1198年までの約16年間。毎年のようにいろんなことが起き、着々と頼朝政権の基盤が固まり、頼家に無事に引き継がせようと画策する時期の話。
第25~26話は頼朝の死。第25話の方は頼朝が倒れた当日1日の話(1198年末)。第26話は頼朝が倒れてから葬儀までの約2週間の話。
第27~32話は1199~1203年の4年半余り、第2代将軍・頼家時代が描かれる。第27話で13人の合議制が発足し、第31話で比企の乱が起こる。
第33~44話は1203~1219年の16年間、頼家暗殺と実朝第3代将軍即位から実朝の死までが描かれる。このうち、時政追放から実朝が疱瘡から治るまでの2年間、その後の3年間は時間が飛んでいる。
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1172年(回想)
第1回 伊東一族集合。工藤祐経も伊東の女婿
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1175/安元元年
第1回 時政の伊豆帰還の宴会。工藤、伊東から離縁されて
いる。頼朝北条に匿われる。千鶴丸殺害
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1180/治承4年
第2回 清盛が福原にいるので遷都(1180年)後。
第3回 夏の異常気象
第4回 8/17、三島明神の祭礼日に伊豆で挙兵
第5回 8/23、石橋山に陣を構える
第6回 石橋山の戦いで敗れ、房総半島へ逃げる
(義時は援軍を求めて甲斐へ)
第7回 安房、上総の勢力を従える
(義時、上総介の館へ)、阿野全成が合流。
第8回 関東武士団、次々と頼朝に従う
(畠山降伏、武田味方に)
10/7、頼朝勢鎌倉入り
第9回 富士川の戦い、義経合流
第10回 10月大庭処刑、金砂山の戦い、源範頼合流
第11回 挙兵の年の暮れ、新御所へ移る。
1181/治承5年
第11回 閏2/4、平清盛没。義円没、伊東父子殺害
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1182/寿永元年
第12回 頼家誕生。亀の前事件。時政伊豆に隠居。
第13回 行家、鎌倉に。(義時、八重に思いが通じる)
1183/寿永2年
第14回 源義高鎌倉入り。7月平家都落ち。9月義仲入京。 第15回 義経入京(足固めの儀式)上総広常殺害、泰時誕生
第16回 12月頼朝追討の院宣。義仲討死。
1184/寿永3年
第16回 2月一の谷合戦。
第17回 義高を殺害、武田信義嫡男を殺害
1185/元暦2年
第18回 3月壇ノ浦合戦。腰越状
第19回 義経伊予守に。10月頼朝、義経追討のため出立。
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1187/文治3年
第20回 義経奥州へ。2月秀衡死去。
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1189/文治5年
第20回 義経殺害。
第21回 奥州合戦。時政、願成就院を建立。
1190/建久元年
第22回 11月頼朝上洛、右近衛大将に。
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1192/建久3年
第22回 3月後白河死去。7月頼朝征夷大将軍。8月実朝誕生。
1193/建久4年
第23回 5月富士の巻き狩り。曽我事件。
第24回 範頼謹慎、岡崎義実出家(どちらも8月のよう)
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1195/建久6年
第24回 頼朝上洛(頼家、政子、大姫も)
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1198/建久8年
第24回 7月大姫死去、範頼殺害
1198/建久9年
第25回 12/27相模川橋供養、頼朝落馬
1199/建久10年
第26回 1/11 頼朝出家, 1/13頼朝死去 (wikiより)
---------(番組1回休止)------------------------------------------
第27回 2月土御門通親の暗殺計画発覚
4月13人の合議制発足
1199/正治元年(4月~)
第28回 6月政子次女:三幡死去、乳母夫の中原親能出家①
(ただし京側でまだ登場する)
実衣が結城朝光と接近。
7月頼家、足立景盛の妻に手を出す
11月梶原景時罷免②
1200/正治2年
正月景時、相模へ出立(紀行で討ち取られる)
第29回 3日後、三浦義澄没③、続いて足立盛長没④
4月時政、従五位下・遠江守に任じられる
頼家の正妻がのちの公暁を生む、義村、乳母夫に
1201/健仁元年
9月坂東、台風被害。義時、頼時を伊豆へ派遣
頼時➡泰時と改名
1202/健仁2年
7月頼家、征夷大将軍。全成呪詛。平知康井戸落ち。
1203/健仁3年
第30回 3月平知康帰京することに。時連➡時房と改名。
5月全定呪詛発覚。常陸配流。6月全成誅殺。
第31回 7月頼家病気に。
8月義時、千幡と一幡の分割統治を提案。比企却下。
9/1比企、比企案を提案、北条却下・決裂。
9/2北条、比企⑤を誅殺。9/5頼家回復。
第32回 9/29 頼家、修善寺へ出立
第33回 10/9 実朝、第三代将軍となる(12歳)
1204/建仁4年
正月、実朝の読書始めの儀
7月、頼家、修善寺で暗殺
1204/元久元年
第34回 8月、実朝、鎌倉殿として実務に臨む
10/14 北条政範、上洛の途につく
11/3 政範、京に到着。2日後、死去
義時、後添いを迎える。
第35回 12/10 実朝、婚礼。
実朝、巫女のおばばに会う。
1205/元久2年
第36回 6月 畠山重忠(妹婿)一族滅亡、
稲毛重成(妹婿)斬首
足立遠元 引退⑥
第37回 閏7月 時政を外し、政子が恩賞の沙汰を行う
「オンベレブンビンバ」の団欒
第38回 閏7/20 りくと時政追放⑦(牧の方事件)
平賀朝雅誅殺
---------(番組1回休止)------------------------------------------
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1208/承元2年
第39回 2月、実朝疱瘡を患う
義時、和田義盛が上総介になるのに反対
鶴丸➡平盛綱に。
実朝、義時の郎党の御家人取り立てに反対
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1212/建暦2年
第40回 春 内裏が焼け、後鳥羽は鎌倉に修復させようとする
1213/建暦3年/建保元年
2月 泉親平の乱
義時、和田を挑発するも、実朝の朝廷で和解
5月2日 和田合戦勃発始まろうとする
第41回 2~3日 和田合戦。和田義盛討死⑧、一族滅亡
義時、侍所別当を兼務
5月21日 地震
1214/建保2年
第42回 実朝、関東御領の年貢を軽減。
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1216/建保4年
6月、陳和卿が鎌倉へ
11月、実朝、造船に着手
1217/建保5年
4月17日 船完成するも浮かばず。八田引退⑨。
実朝、鎌倉殿を辞し大御所となる案を出す。
二階堂も隠居⑩
第43回 6月 公暁、鎌倉に戻る
1218/建保6年
2月 政子、上洛し兼子と対面。
4月 頼仁親王が次の将軍に決定。
実朝は左大将、政子は従三位に。
7月 鶴岡八幡宮にて実朝、直衣始めの議式
第44回 7月9日 義時、薬師堂建立を命じる、戌神像造立
12月20日 実朝、右大臣に任じられる
1219/健保7年
1月26日 実朝、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮へ
第45回 1月27日 公暁、仲章と実朝を殺害、
義村、公暁を討取、首を義時の許に持参
2月9日 鎌倉から戻った使者が実朝死去を朝廷に報告
第46回 2月22日 阿野時元、挙兵~自害
閏2月12日 後鳥羽より使者。親王下向の話が後退
3月 後鳥羽より実朝弔問の使者。ついでに
荘園の地頭に物言い
3月15日 政子の使者として時房が千騎を従え上洛
1219/承久元年
7月19日 左大臣の子・三寅が鎌倉に、政所始め
政子、後見で鎌倉殿に
第47回 7月25日 源頼茂謀反、内裏消失
1220/承久2年
12月1日 三寅、着袴の儀
1221/承久3年
5月19日 後鳥羽、伊賀光季を誅殺させる
義村、後鳥羽挙兵の院宣を義時に提出
義時、御家人を招集。政子が演説。
第48回
5月21日 大江、三善が早く出陣をと進言。
5月22日 泰時ら出発
6月14日 宇治川の陣
6月23日 合戦報告が鎌倉に届く
7月13日 後鳥羽上皇、隠岐に配流
(8月9日 三善康信⑪、死去)
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1224/貞応3年
6月13日 義時⑫、死去
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1225/嘉禄元年
6月10日 大江広元⑬、死去
7月11日 北条政子、死去
※下線はドラマで語られていない部分。