mmドラマ

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     2016.6.26、今まで書きちらしていた『真田丸』感想を再掲しようと開始。
     過去記事もしばしば加筆修正し、写真を追加しています。

日出城址に続き、大分市にある府内城を訪問(2019年3月)。昨年、たまたま通りがかって気になっていたお城だが、装鉄城さまの記事に詳しい説明や写真があって行きたくなった…というわけで、お城の詳しい説明はそちらを参照

➡ 海と太陽の九州城攻略戦③府内城・海につながる大分の中心

 

また、大分市の歴史と文化>府内城跡(大分城址公園) も参照。

 

●府内城

大友氏改易後に築城を開始しているため、大友氏とは関係がない。大分市内の官庁街ど真ん中にあるお城で、明治5年から昭和37年までは城内に大分県庁が置かれ、その後は大分文化会館が建設されていたとのこと(2013年閉館)。

 

●松栄神社 …上の写真右手前にある

 

●アートプラザ

府内城の西側(ちょうど松栄神社のすぐ西)、県庁の裏側にあって驚いた。磯崎新設計。旧:大分県立大分図書館。wikipedia情報では、開館した1998年には公共建築百選に、2003年にはDOCOMOMO Japanが選定する日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出。2階には大分市美術館所蔵の現代美術作品を常設展示。

 

●高倉観崖 筆塚

確か、神社の敷地辺りにあった。大分が誇る日本画壇の巨匠:福田平八郎(ちなみに、彼の生家は、府内城から1㎞余りの所にある)が碑の発起人となっているので調べたところ、高倉観崖(1884-1957)は、京都市立美術工芸学校に学び、竹内栖鳳に師事、平八郎以前に京都で活躍し、京都での大分県画壇の草分けともいえる存在だったようだ。(参照➡ 松原洋一・UAG美術家研究所

 

観崖自身の句碑が下の写真の上の白い石の部分。その下の石には「高倉観崖先生 筆塚 星野靖之助書」とある。wikiに情報があり、星野靖之助(ほしの やすのすけ)は1899(明治32)~1988年、大分県出身の実業家、政治家、衆議院議員とのこと。もしや、パトロン(の1人)だったのだろうか。

現在放送中の大河ドラマ『いだてん』は楽しく視聴しています。実はここ何年も与力様の視聴感想にコメントを寄せているのですが、備忘録代わりに自分のブログにもそれを残しておこうと思います。なお、コメント全部を転載しているとは限りませんので悪しからず。また、番組途中からいきなり始めるのも悪しからず…。

 

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前回は力を出し切った弥彦とのすがすがしい水浴びで終わっただけに、今回の余裕のない描写は胸が痛かったです。今回の映像は何度も音が消え入り、暗転やスロー画像になって、不安に揺れ動く心理をうまく表現してましたね。孝蔵パートはいらないと言うツイートもありましたが、暑さと焦燥感で方向を見失った四三の深層心理とオーバーラップして良かったのではないかと思います。毎度、映像編集が野心的で、私には面白いです。

無意識に重荷になっている周囲の期待の中、孤独の中で向かい合うのは過去の自分のみという心理、自分のペースを取り戻すことは呼吸のペースを取り戻すこと、という描写がスポーツをキチンと描いているように感じられました。まさかのチビ四三の再登場が嬉しかったですが(彼もストックホルム・ロケに行ったそうです)、子役臭のない無垢な姿に、あらためてキャスティングの素晴らしさを思いました。彼は四三の過去の自分であると同時に内なる神なのでしょうね(東洋では神はしばしば童子の姿で現れますし)。四三が道を間違えたのは童子がその方向を指し示したからですが、ラザロとの運命の分岐点があそこになったような描き方も素晴らしい!四三があそこで倒れた時、顔がみるみる間に赤くなりましたが、それを見た童子が敢えて間違った道(助かる道)を示したように見えました。

大分といえば「城下(しろした)かれい」が有名だが、これは日出城下で獲れることからの命名。

 

↓海岸遊歩道に突如現れる城下かれいのモザイク画(この1匹だけ)。

 

↓カレイの養殖

●ザビエル浜出の地

 

城下から5~7分ほど西に歩いた所にある。1551年、ザビエルはここからポルトガル船に乗り移り、大友宗麟と会見するため、府内(大分市)に向かったとされる。

 

↓浜の向こうに高崎山を望む

 

 

大分トラピスト修道院 

 

城址から西へ車で約40分、別府湾を一望する丘にある。と、サイトには書いてあるが、別府湾を一望するにはもう少し下る必要があって、見渡す限り山である。

 

上のリンク(修道院公式サイト)によれば、「この日出町は、日本に最初にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルが到着 した地として知られ、長崎と同様、日本のキリスト教の歴史の上で重要な地です。」

 

ここの展示室(拝観可)に置かれた祭壇には、ザビエルと所縁のある大分県民のためにと、イエズス会から寄贈された聖遺物:ザビエルの右腕の一部が埋め込まれている。

➡ 公式サイト内の映像(1: 28頃~)で視聴可。
 

↓周辺の山

 

参考➡ オラショ巡礼の道

※ 昨日アップした日出城址(大分県)②の記事を加筆修正して、日出若宮八幡神社の分をこちらに移しました。

 

日出若宮八幡神社

 

上リンク(日出町観光情報公式サイト)の説明を要約すると、神社は天徳3(959)年建立。建久7(1196)年、豊後大友氏の始祖が崇敬し、新たに社殿を築造、社領を寄進。大友氏滅亡後に入った日出の代官(キリシタン)が神社を破壊。日出藩初代藩主・木下延俊が入国し、慶長7(1602)年、破壊された神社を再建し復興。以後、代々藩主の崇敬を受ける、とのこと。

 

藩祖・木下延俊(のぶとし)は、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所、おね、ねね)の兄である木下家定の子(秀吉の義理の甥)に当たるとのこと。参照➡ 日出藩主木下氏 

 

↓城址に近い方の入口、道路の右側に見えるのが末社の金毘羅社、その右側が海

 

↓「城主従五位下豊臣俊泰建」とある灯篭。この人は九代目藩主。

 

↓正面(上の写真の道路に面した側)にある楼門


 

↓楼門の左右に座す大臣像

 

 

 

↓境内にある神明神社


↓末社の金毘羅社(一番上の写真で、道路を挟んで右にある社)

この鳥居の向こうが海

日出城址(大分県)の周辺。

 

※昨日アップした記事を加筆修正して、②は致道館だけとし、若宮八幡神社の記事は③としました。

 

日出藩校致道館(ちどうかん)

致道館はもともと現在の中学校の場所にありましたが、学校建設のため、現在地に移設されています。

 

装鉄城さまの記事➡ 海と太陽の九州城攻略戦①日出城・大分のミニ城下町 も参考に!

 

↓ひな祭り前でお雛様などが飾られていました。

 

↓1階

 

↓2階

※ 3/23 写真追加しました。

 

今まで大河ドラマ・時代劇好きではあれど、特に名城には興味がなかったのですが、『真田丸』以降、ちょっと関心が出てきました。ブログを通して知り合った方の記事などを参考に、仕事のついでに立ち寄ったお城:日出城址(ひじじょうし、大分県)をご紹介します。なお、複数回訪問しているので、写真撮影の時間帯にばらつきがあります。

 

詳しい説明は装鉄城さまの記事を参照➡ 海と太陽の九州城攻略戦①日出城・大分のミニ城下町

 

●隅櫓(鬼門櫓)

↓手前:欠いた東北隅

 

↓隅櫓内部

 

 

●城下町

 

●空堀

↓隅櫓から空堀を見下ろす

↓左奥に隅櫓を望む

 

 


 

↓城址から下りて行くと別府湾、その向こうに高崎山

↓日出城は城下(しろした)カレイで有名

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に1年以上が過ぎてしまい、「直虎評(2)」の記事が出せないうちに『西郷どん』も終わってしまった。「直虎評(1)」の記事はちょっと辛口になっているが、それでも記事の最初に書いたように、「直虎は当初は不安の方が大きかったが、それでも次第に面白くなり、最終的には見て良かった…と思えるドラマだった」ことに偽りはない。私の趣味とは合わない演出もあったが、ドラマとしては1年間見るに堪えるしっかりしたものであり、新しい歴史の視点や歴史ドラマの題材に関するヒントを得られた。放映直前に直虎男説が出るという逆風が吹いたが(私はその説に納得している)、これは脚本家や制作の責任ではない。むしろ、ごくわずかな直虎女説の資料から面白いドラマを作り上げたものだと感心する。

いまさらなのだけれど、昨年の大河ドラマ『おんな城主直虎』についてどう感じたか、簡単に書き留めておきたい。

 

ちなみに、私は大河ドラマ枠のファンなので、その時に日本にいなかったとか、その時間に家にいることができなかったとかいう以外は、大河ドラマを見る人である。ドラマがつまらなければ、ながら見で他のことをやっているが、基本的にずっと見続けるものであって、最初の数話で視聴を打ち切るということはしない。直虎は当初は不安の方が大きかったが、それでも次第に面白くなり、最終的には見て良かった…と思えるドラマだった。

 

●当初の不安

 

正直なところ当初は不安だらけだった。最大の要因は、この制作統括(岡本幸江)&脚本家(森下佳子)&音楽家(菅野よう子)のコンビで作られた朝ドラ『ごちそうさん』(2013年9月~)が好きになれなかったから。

 

制作統括が目を付けた「おんな城主」という素材は、いかにも安易な「女大河」ものになりそうな気がした。直虎は歴史よりもゲームで先に有名になった存在の様であるし、直前に男性である資料が見つかったことで、もともと低かった期待値が地に落ちた。
 

さらに、女性主人公でオリジナル脚本という点が「ごちそうさん」と同じだった。同じ森下脚本でも、原作があって男性主演だった「天皇の料理番」(民放制作)は良かったと思えたが、『ごちそうさん』と同じ設定でしかも同じ制作統括と組むなら、嫌いだった点も踏襲されるだろう…と思われた。果たして、直虎ことおとわも子供時代から活発でがさつでゲスく、ぎゃんぎゃん叫ぶ点は『ごちそうさん』と同じで、感情移入しづらかった。主人公の欠点を描く点は評価するが、その描き方がゲスイというのが私の趣味には決定的に合わなかった。
 

それ以外に演出面で、朝ドラでも大河でも放映序盤の音楽の付け方がいかにもあざとく煽るような感じで、げんなりした。直虎のOPの理科の植物のような映像、子役時代のアニメ世界のような風景、OP音楽から受ける印象などがバラバラな感じで、そのうえ初期の公式サイトやPRも貧弱だったため、私には、直虎には作品作りに明快なテーマがなく、かつ制作統括が力不足で制作関係者の間でイメージのすり合わせをうまくやっていないように感じられた。

ただ、今にして思うのは、脚本家が明快に作品のテーマを打ち出し、制作陣が意気込みを語る『真田丸』のような作品の方が例外かもしれないということだ。先日、NHK大阪で『真田丸』、『おんな城主直虎』、『西郷どん』のPR栞(登場人物の関係図がメインで書いてある)を見たのだが、脚本家の言葉が入っているのは『真田丸』だけだった。ただ、そんな作品の直後ゆえ、直虎の(もしかしたら例年並みかもしれない)PR不足は制作陣の力不足にも手抜きにも見えてしまった。


●ドラマ発端の弱さ

 

結果として、ドラマが進むにしたがって物語が動き始め、登場人物が生き生きし始め、公式サイトも充実し始めた。放送終了後、結果として感じたことを書いていこう。

 

子役時代が長いことは私にはプラスでもマイナスでもない。物語の中で、子供時代の描写が相応に必要であれば長く描けば良いのだ。本作では第4話の最後で子役から交代したが、『独眼竜政宗』では第8話の最後で交代し、しかも子役から青年役を経た。それでも遅いとは思わなかったのは、主人公を取り巻く家中や周辺勢力の状況を丁寧に描いたからである。私は歴史ドラマにおける子役時代の描写というのは、主人公の人格や立場を形成する時代背景や人間関係を描くためにあり、その期間の実質主人公として物語を牽引するのは登場人物の両親や師匠といった立場の人たちだと思っている。最近は子役ばかり持ち上げる評が多いが、私にとって子役はあくまでも脇役だ。

 

だから、直虎(おとわ)と直親(亀之丞)と小野政次(鶴丸)の3人の子供たちの人間関係に視野を狭めて長い子役時代を描写したことは、成長した直虎の物語を展開する上でブレーキになったと思う。井伊家の殿も家臣たちもあまり強い印象を残さないうちに死んでしまった。そもそも彼らが小野を忌み嫌う理由も、反今川派である理由もよく分からなかった。こんなバカな一族で、なんで今川の下ででも生き残ってこれたのか?という疑問しかわいてこなかった。小野と奥山と中野がどんな政治的立場、利害関係にあって対立しているのか、今川との関係、今川や井伊を取り巻く社会の状況はどうだったか、もっと丁寧に描いてほしかった。脚本家がその点に関心がなさそうだというのが、歴史ドラマとして本作の弱い点だった。

 

さらに、なぜ一族の当主が子供のおとわの言動に振り回されて、1人しかいない子に出家を許してしまうのか全然納得できなかったし、時代的に有り得ないだろうと感じた。

 

このように、本作は物語の端を発するための主人公を取り巻く社会環境の描写が特に弱く、それがドラマ全体をお伽話のように思わせてしまった原因だと思う。

 

ただ、寺での修行の生活が描かれ、南渓だけでなく2人の先輩僧侶も登場したことは良かった点だ。歴史ドラマで、主人公の家庭教師や軍師や使者として個人の僧が登場することはあっても、僧の寺での生活ぶりがクローズアップされることはほとんどないからだ。同様に、百姓階級の生活を描いたのも本作の良い点だが、それはドラマがもう少し進んでからのことになる。本作は武士階級に生まれた主人公が城主になる物語なのだから、まず主人公の家と一族の状況を丁寧に描いてほしいのだ。

 

(2)に続く…。

 

 

 

 


 

2018年 すっかり明けてしまいましたが、おめでとうございます。

とりあえずのご挨拶…。直虎が終了し、今さらながら発見しましたが、私、井伊家伝来の文様の帯を持っておりました…。