読んだ/読んでいる本を
羅列したいのですが
アメブロアプリが不安定なので
とりあえず著者名だけ。
(敬称略)
出口治明
河合隼雄
守屋洋
デカルト
池谷裕二
池内了
中村うさぎ
マツコ・デラックス
15冊
と
失恋ショコラティエ
4-8巻
一週間なので少し読み過ぎて
目がちかちかします。
過読症

良く噛んで消化しないといけないと
分かっているのですが
何か心に焦りや不安があるのか
次から次に手を出してしまっています。
好きな作者の方(例えば出口治明さん)が紹介してくれる本たちはやはり面白い本が多く止まりません。
小学校一年生の時学級文庫でナイチンゲールの伝記を読んで以来本を読み続けて来ましたが著者と向き合いながら
本を読むということは考えたことはありませんでした。
出口さんの言う思考をなぞる、と言う視点は無く、ニュースを見るように受け身的に読書をしていました。
デカルトはなぜこういう事を書いたのか
中村うさぎは。
マツコ・デラックスは。
向き合って読むと確かに行間から
色々な声、苦悩とか叫びとか
が聞こえてくる気がします

確かに寝っころがりながらは
読めません。
これまで私の脳は本を読んでるときは
考えるのをやめてしまっていたのだと思います。
考えながら本を読むと
ものすごく疲れます。
昔母がミステリーは何も考えずに読めるからスイスイ読めちゃう

と言ってたのですが。
それ以外の本では能動的読書をしてたってこと

逆に私はミステリーは苦手でした。
目次から読みたいところだけ探して
そこを集中的に読むという事が多いのでミステリーではそれができないと
思っていたからです。
これまでの本の読み方を振り返ると。
2011年に北方水滸伝を読了するまで
読書とは自分が知りたいこと、
不足している知識を断片的に
都度取り入れる作業でした。
サプリみたいな感じで
読む本もビジネス書、実用書が多く
小説は体に良いおやつ(干し芋とか)
エッセイはデザートまたは間食
みたいに思っていました。
何を読むか、と言うことについては
主体的でしたが読み方は自分勝手な
お弁当に乗っている梅干しだけ食べて
後は全部残すといったような
対話とはほど遠い読み方をしていました。
北方水滸伝を読み終わって
初めて小説から多くの気づきや
現実に起こる出来事についての示唆や
それらが漢方的な効き方をする事を知り、今は徳川家康を読んでいます。
本は精神のご飯だと言われますが
食事と同じで何をどう食べるか、は
非常に重要。
負荷のかからない
噛む必要ないような読書。
口当たりは良いスィーツ。
どちらもほどほどにしないといけません。
マツコ・デラックスさんとの
対話に戻りたいと思います。
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