1935年10月29日生まれだから82歳での没となる。
 宮崎駿より6歳年上である。
 高畑勲とは何だったかと問えば、アニメ界のパイオニアの一人だったと答えよう。
 日本アニメーションの祖である政岡憲三と並べても遜色ない、日本アニメーションの中興の祖だったと言うべきだろう。
 東大出の高畑勲がアニメーション監督になるということ事態がアニメ監督の社会的地位を上げたと言えるだろう。
 そして1968年に東映動画最高傑作と名高い「太陽の王子ホルスの大冒険」で監督デビューしたわけだ。
 この作品が後世に与えた影響は大きい。
 その後、テレビに移り、1974年「アルプスの少女ハイジ」1976年「母をたずねて三千里」1979年「赤毛のアン」を監督した。
 これらの作品は、TVアニメのレベルを一気に映画並みに引き上げたものだった。
 「赤毛のアン」の時期から宮崎駿の監督としての独立により二人は分裂するが監督としてはますます研ぎ澄まされていく。
 クリエーターとしてますますすごみを増していった。
 これまでの活躍だけでも一人の監督の一生の仕事として十分なほどであった。
 しかし1988年に傑作「火垂るの墓」を制作する。
 その後も「おもひでぼろぼろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョとなりの山田くん」そして遺作となった「かぐや姫の物語」と、全く違う作風の傑作を次々と世に放った。
 そして2018年4月5日肺がんにより逝去した。
 宮崎駿は監督デビューするまで高畑勲にその才能を守られていたというべきだし、富野喜幸は高畑勲に心酔していた。
 氏はパイオニアであり、なおかつアニメ界の第一人者であり続けた。
 偉大な人物だった。
 黙祷。